第6話 目線の先
その子に気が付いたのは、3年前のことだった。
この日も、薬師室に近い訓練場で王宮騎士団に交じって練習に参加していた。ワサト隊長だけが俺の正体を知っているというのに、交える剣に容赦はない。
右手の剣がキィンと音を鳴らして大きくはじかれた。
「最後の一瞬に気を取られるな! 次!」
「ありがとうございました」
ワサトに礼をして、次の兵士と順番を変わる。
今日は結構良いところまで言ったんだけどな…。やはりワサトにはかなわない。
ジンジンとしびれる右手をさすりながら振り返る。
この王宮騎士団はその腕を見込まれ、選ばれた者しか入れない。その中でも俺はそれなり腕は良いと思ったのだが、ワサトの前ではあっさりとやられてしまう。
だてに隊長というだけあって、ワサトは格別に強かった。
その訓練で怪我をすると、いつも薬師室から薬師たちがやってきて手当をしてくれる。怪我と言っても擦り傷、打ち身、打撲だが、その訓練は一般兵とは比べ物にならない。
放っておいて、いざという時に使い物にならなくなったら意味がない。だから毎回、薬師によって丁寧に治療されていた。
彼女もそのうちの一人だった。
薬師の中でも飛びぬけて若い。一つに縛られた淡い茶色の髪が忙しく揺れていた。
「ワサト隊長…、あの子は?」
年の頃ならまだ20歳前後。
クリクリのウサギのような瞳と白い肌、はじけるような笑顔が美しい少女だ。ワサトの隣に行ってこっそりと聞くと、新しく入った薬師のラナだと教えてくれた。
「ラナ…」
「おや、気に入りましたか?」
声を潜めて、ワサトはニヤッと笑う。
偽名を使って参加しているとはいえ、訓練中は周囲に気が付かれないよう、ワサトが俺に敬語を使うことはないが、二人きりの時は声を潜めて声だけ敬意を示してくれる。
俺よりもでかいワサトは、ニヤニヤしながら見下ろしてきた。
その視線から逃れる様に顔をそむける。
「一人だけ若いから目についただけだ」
「それ、他の薬師たちの前で言ったら毒盛られますよ」
クツクツと笑って冗談を言う。
しかし本当にやられそうだから、そこは他の人には言えないだろう。
「ラナはとても優秀なんですよ。明るい子だから、兵士たちにも人気だし。狙っている奴も多いんじゃないでしょうかね」
「…へぇ」
気のない振りして適当に相槌を打つ。
確かに男だらけの訓練に、若い女性が治療に現れたらみんな喜ぶだろう。
それから訓練に参加する日は、訓練が終わるといつの間にかラナを目で追っていた。茶色い髪を揺らしながら、明るく手当てをしている。
確かに気にしている兵士も多いのか、ラナはよく声をかけられていた。
「診てもらったらいかがですか?」
側にいたワサトが口角をあげてこちらを見てくる。誰に、と言わなくても気が付かれていることに俺は気まずくて目をそらす。
「今日は怪我をしていないから大丈夫だ」
「そうですか」
苦笑したワサトを軽く睨みつけた。
俺は正体を感づかれないよう、手当ては訓練後の部屋で行っている。専属の薬師がいるのだ。年老いた老人薬師は俺の正体を知る数少ない人だ。
だから訓練場で手当てを受けることはほぼない。
手まぁ、誰でも手当てしてもらうならラナのような若い子がいいよな。
みんなの気持ちに納得した。
そして一年前。
担当していた老人薬師が引退すると言い出した。腰を悪くしてしまったのだという。
「それでですな、カザヤ様。私の後任薬師ですが…」
「ラナはどうだ?」
気が付くとそう言っていた。
しまった……!
ハッとしたが、もう遅い。
奥ではバルガが片眉を上げ、老人薬師は表情を変えないが、その目はどこか面白がっているような探る目をしている。
どう言い訳しようか。
頭の回転は速い方なのだが、こういう時に限って頭が回らない。
すると老人薬師はコクコクと頷いた。
「よくわかりましたな。私の後任はラナに任せることにしたんですよ」
老人薬師は書類を俺に見せる。
そこには第一王子付き薬師にラナの名前が入っていた。
「彼女は優秀です。能力も高く、信頼も十分できます。なにせ、私の愛弟子ですからのぅ……。ただラナにはカザヤ様の秘密教えず、薬を届けさせるだけにいたしましょう。あなた様がご健康であることは伏せるべきです」
「なぜ?」
「ラナはまだ若い。良い意味でも悪い意味でも」
そっと目を伏せる老人薬師に「…確かにな」と俺も同意する。
この老人薬師はどこか掴めない人だが、やはり年の功なのかこんな重い秘密を抱えても平然としているし、口も驚くほど硬い。
俺が健康だということもこの老人薬師から洩れることはないだろう。現にこの何十年も漏れることはなかった。
しかしラナはどうだろうか。
まだ若く、反応も素直なぶん、ずっと秘密を抱え続けるのは負担であろう。誰かに脅されでもしたら簡単に口を割ってしまうかもしれない。
俺が彼女を心から信用するにはまだまだ関りが足りないのだ。
なによりこの老人薬師も、無駄に愛弟子を傷つけたくないのだろう。
ということで、ラナには訓練後、痛み止めと湿布薬を届けさせるのみとした。
表向きは、担当薬師として病弱な王子に薬を届けるだけ。その際、俺は布団に入って病弱のふりをする。
ラナが出て行った後、バルガに手伝ってもらいながら手当てを行った。
「カザヤ様、ラナでございます。お加減はいかがですか?」
訓練後、急いで服を脱いでラフなものに着替える。シャワーを浴びて、汗や汚れを落とす。
そしてベッドにもぐりこむと、ほどなくして部屋の扉がノックされた。
入室を許可すると、ラナがそっと顔を出す。
寝室に入ってくると、パッと笑顔を見せるのだ。輝くような笑顔が眩しい。
「本日もお薬お届けに参りました」
「ありがとう。そこに置いといて」
鍛え抜かれた体が見えないよう、首まで布団に入っている。
訓練後なので疲れも顔に出て、それが弱っているように見せていた。声も訓練で出していたので、かすれておりそれがちょうど良かったのだ。
「カザヤ様、今日はとても良い天気なんです。もし体調がよろしければ、あとでテラスにでも出て気分転換なさってくださいね」
気遣う優しい言葉かけに、俺も頬が緩む。騎士団のみんなはこんな風に癒されていたのか。
いつしか俺にとって、ラナとのこの時間が一番の楽しみで癒しだった。
「頬が緩んでいますよ」
ラナが出て行った後、消毒しながらバルガに指摘されたときギクッと体が強張った。バルガが小さな溜息を吐く。
「お立場を考えてくださいね」
遠慮がちにくぎを刺すバルガに、苦笑が漏れた。
そんなことはわかっている。ただそうしても、あの時間だけは楽しみで待ち遠しいのだ。
国王が危篤だと知らされた日は、朝から雨が降っていた。
そうか、その時が来たかと身が引き締まる。国王とはすでに次期後継について話が出来ていた。司教もその意向をくみ、あとは来る日までそのことが漏れないようにするだけだった。
「親父……、痛むのか」
ベッドで荒い呼吸をする国王である父に問いかける。
「あぁ、痛いな……。お前を苦しめたこと……、心が痛い……」
呟く声にハッとする。
父のやせ細った手が俺の腕を弱々しく掴む。
「お前を守るためとはいえ……、苦労をかけた……。お前の……母親が死んだ時、お前だけは……何が何でも守らないといけない……。そう思って、お前を病弱に仕立て上げた……」
「親父、わかっているから。もう喋らなくていい」
その手を取ると、父は深くため息をついた。
「気をつけろ……。お前が国王になったとしても……、命の危険は……去っていない……。お前の……、に……、気を付け……」
最後の方の言葉は聞き取れなかった。
父はそのまま意識を深く沈ませる。もう浮上はしてこないかもしれない。あとはただ時が来るのを待つだけになった。
『お前の……、に……、気をつけろ』
誰のことを差しているのか。
心当たりがある人物は限られている。
「ありがとう、親父」
聞こえているかもわからない父にそう声をかけた。
ラナに花を上げたのはそんな頃だ。
テラスの脇に咲いていた小さな花がラナに見えて、無性に胸が苦しくなった。
父の危篤、次期国王への重圧……。
多くのことがのしかかってきたその時、小さな可憐な花に心奪われる。表立って、俺からラナに感謝の気持ちを送ることはできない。
ちょっとした動きも今は悟られてはいけない。
だからその花を栞にしてラナに贈った。
いつも訓練場から見えるその手には本が抱えられていたのだ。ちょうど良いかと思った。でも……。
「子供みたいだな……」
手作りの栞なんて、子供じみていて恥ずかしい。20歳をゆうに超えた大人のすることではないのかもしれない。
しかし、どうしてもラナに何か贈りたかった。
そしてあのはじける笑顔が見たかったのだ。
渡すときは少し緊張した。
こんな気持ち久しぶりだ。
ラナは驚いていたが、頬を染めとても嬉しそうに笑ってくれた。
あぁ、良かった。
俺はこの笑顔が見たかったんだ。
苦しみ、悲しみ、不安でいっぱいだった胸が温かくなった。
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