心のことば
むーるとん
第1話
幸福というものは、人それぞれ色々ある。それは各々の価値観や経験、歩んできた人生などによって輪郭を成し、そこへ中身が流し込まれて幸福が完成していく。何を幸福という言葉で表現するかは自由であり、そこに明確な線引きは存在しない。その人にとって幸福と思える瞬間が、その答えとなる。
ただ、そのような不明瞭とも言える幸福でも、ある瞬間においては共通して幸福の授受があると。
「ありがとう」
色々な局面で「ありがとう」という言葉が飛び交っており、その「ありがとう」に どれ程の思いを注ぎ込んでいるのかは、発した本人の気持ちや置かれた状況によって千差万別だ。
流れ作業のように「ありがとう」を発する人だって当然いるわけで、例えば長い行列を成す店の有人レジであれば、次々に商品をレジに持ってくる人々を相手に出来るだけの速さと正確さで捌いていかなければならない。そういった状況下においては言葉に思いを乗せることは難しく、まるで"空虚と思われる言葉"が音として流れていく。
それでも、何気なく聞き流している「ありがとう」に受け手が憎悪を抱くことはないだろうし心を削る力を持ち合わせていない。そこにあるのは、温もりや柔らかさといったニュアンスの類いである。
「感謝」という言葉がある。この「謝」という字は「言」と「射」の2つが組み合わさることで成り立つ。
この文章を綴るにあたって「謝」の字の成り立ちについて調べたわけだが、まず「言」は普段我々が使用するような「言う」というニュアンスである。そして「射」の字であるが、諸説の一つにどうやら矢を放った際に緊張状態を保っていた弓が緩むところが由来とされているそうだ。
人が言葉を発するという状況で考えるならば、この緊張状態とは心を指す表現として捉えるのが自然だろう。
何気ない会話の節々の度に心が硬直したりすることは会話自体に苦手意識を持つ方々を除けば極々少ないだろうが、緊張する局面というのは人それぞれ存在する。「何を話しているか、また何を話されていたか覚えていない」という言葉を耳にすることがあるが、普段であれば容易に受け取ることの出来る会話の意味などを受け取れない程の精神状態にあるということを示している。
緊張した状態においては、言葉の持つ意味や力を受け取るというのは難しいということだ。
”緊張状態を保っていた弓が緩む”。それはつまり、「ありがとう」の言葉には「心を緩める」という意味合いも内包するということである。単なる音の連続であるはずが、余計な緊張状態から通常状態の心への橋渡しとして機能するということ。
「ありがとう」は、言葉が有する意味や力を出来るだけ受け止める条件を知らぬ間に整えてくれるのである。
流れ作業のように発する「ありがとう」を"空虚と思われる言葉"と例えたが、"空虚な言葉"とは例えなかった。
心を整える役割を持つ上に完全な純度を誇る言葉が空虚であるはずがない。
”言霊”なる言葉があるが、音という波の大小だけでは説明が付かない要素があるから生まれた表現なのだろう。特に「ありがとう」においては意味や力の伝達にあたり、余計な回り道も無く真っすぐに別の心という目的地に到達する。
話し手が”意識的に思いを乗せなかった”言葉であろうと、「ありがとう」という音の連続には気づきの有無は別として幸福の授受が不思議と存在するのである。その言葉が流れている瞬間、そこには国籍も人種も関係なく"幸福の空気"なるものが漂っていると、わたしは認識している。
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