アリスの手記と、チョコレゐト

芦舞 魅花

第1話 アリスと手記


「お、落としましたよ」

私は目の前の女性に声をかける。

そして今しがた地面に落ちていたパスケースを手渡した。

「あぁ。ありがとうね」

その女性は80代くらいで、細い目にギュッと力を入れて私の手元のパスケースを確認してからゆっくりと受け取った。


ふぅ。私は我慢していた息をゆっくりと吐きだす。

今日も無事にバスの座席に座れたことに安堵をして。


幼い頃から何故か私の周りにはこうゆうイベントが多発する。

落とし物だったり、横断歩道で転んでしまった人だったり、風船を手放した子供だったり。だから今の私は周りの警戒を怠れない。バスに揺られながらも周りを観察し続けている。

親切心があって人助けが大好きなら、こういった事が日常茶飯事でも楽しめるのだろうけど生憎私はそうではない。

こういった助けを素直に受けいれてくれない人も中にはいるからだ。

「いらんことをするな!」と怒鳴られる事もある。

でも助けた方がいいのでは…私が行くべきなのでは…と、動かずにはいられない。

感謝か怒られるか。私はその二択にかけて行動をする。


桃宮女学院前もものみやじょがくいんまえの1個前のバス停を通過しアナウンスが流れる。私と同じ制服を着た女子が素早く停車ボタンを押した。

おかしい…。

いつもならここまでにお助けイベントがもうひとつ発生しているはず。

今日は珍しく、何もないままバスを降りられるのか。

小学生の頃からこのバスを使っているけれど、朝の通学時点で最低でも2回お助けイベントを毎日乗り越えてきた。毎回ドキドキしながらこのイベントを切り抜けてきたんだ。誰にもこの嬉しさは理解できない。ふふふ。

私は少し嬉しくなって、足をパタつかせた。

その時、何かを踏んだ感覚がして足元を確認すると、チョコレート柄のメモ帳が落ちていることに気がついた。

「…はぁ」イベントが発生してしまった。

まぁでもこれは運転士さんに渡せば解決する。一番イージーだ。

「桃宮女学院前。桃宮女学院前」

プシューッと音がしてドアが開く。私は勢いよくメモ帳を拾って運転士さんの方へ歩き出そうとした、その時。後ろから肩を叩かれ、いい匂いがふわっとしたと思ったら、女性の声で囁かれた。


「落とし主は、あわてんぼうな兎。アリス。あなたが探して」


私はビックリして後ろを振り返る。

途端に彼女は私の横を通り過ぎていった。

一瞬だったが顔を見た。印象に残っているのは黒く長い美しい髪とお花のようないい香り。そして、うちの学校の制服を着たとてつもない美人だということ。

「あんな子、うちにいたっけ…」

それにしても、落とし主はアリスってどういう意味だったんだろう。

私がフリーズしているとプシューっともう一度音がしてバスのドアが閉まった。


「あ」


「珍しいね。清川が遅刻なんてさ」

隣の席の佐々木がにまにまして声をかけてくる。

「…大変だったんだからね」

「なに。またお助けイベント発生?よくやるよね。そんなの無視すりゃいいのに」

「それができたら苦労してないって」

佐々木は中学からクラスが同じで、お嬢様が多いこの学校で唯一「感覚の合う腐れ縁」だ。望んで近くにいるわけではないが、なにかと一緒になってしまう。

私のお助けイベントに関しては、よく理解をしてくれていて巻き込まれる事が多い。

でも笑って許してくれる、なんだかんだ優しいやつだ。

ちなみにあの後「降ります」の一言が言えなくて、しかたなく次のバス停で降りて走って学校にたどり着いた。朝のホームルーム中にドアを開けて入る度胸はないから終わったのを見計らって入ってきたのだった。


そのあまりの大慌てに、メモ帳の件は放課後に鞄を開けて思い出した。

「そんな可愛いメモ帳どうしたん」佐々木がすかさず突っ込んできたので、私は朝の遅刻の経緯を説明した。

すると佐々木は、ふむ…と少し考えた後「それって葉山静はやませいじゃね?」と、スマホをいじり始めた。

「まず、うちの制服。それで高等部の人間だってわかる。それから見覚えのない黒髪美人。人の外見に全く興味ない清川が美人だっていうんだから、それなりに話題になる美人じゃなきゃいけない。でも、見覚えがないってことは…何かしら問題があるやつか、不登校じゃなきゃ当てはまらない。それを総合すると、葉山静だと思うよ」

大好きなミステリー小説で培った探偵風の口調で話した後、佐々木はスマホの画面をこちらに向けてきた。

そこには、朝見た少女と同じ顔立ちで同じ髪型の美少女が写っていた。

「こ、この子!この子!え、なんでわかったの?」

「この子中等部の頃から結構有名だよ。親は葉山医院の医院長で生粋のお嬢様。高校入学してからしばらく不登校だったんだけど、最近旧校舎に入り浸ってんの」

「え、なんで旧校舎?」

「そんぐらい学校来たくないんじゃない?親厳しそうだし。まぁでも学年1位には毎度なってるから、先生達は見逃してんのかも」

「じゃ、じゃあ旧校舎行けば会えるのかな」

「たぶん…ってちょっと?」

「ごめん!佐々木!先に帰ってて!!」

気付けば私の足は勝手に進んでいた。

このメモ帳を届けたいという気持ちと、もうひとつの感情に動かされ旧校舎に急ぐ。


旧校舎は、私達が入学する前に使われなくなった校舎で、あまりにも歴史が長いためか取り壊されずひっそりと形を残している。

今、初めて入ろうとしている旧校舎を前に一旦立ち止まり私は覚悟をもって踏み込む。本来旧校舎には許可を得て入らなければいけない。ルールを守らないということは今まで一度もなかった私にとって、これはとても勇気のいる行動だった。

旧校舎の正面玄関は冷たい風が吹いていて、11月のあまりの寒さに少し身震いをしながら下足を脱いで校舎の床を踏んだ。その瞬間、正面の大きな階段に人影が見えた気がした。少しドキッとしたけど、階段の踊り場の大きなステンドガラスから漏れる逆光に目を凝らしながらその人影を見た。

「…やっと来た」

私は気付く。朝聞いた声と同じだ。

「は、葉山静!」私の大声を聞いた彼女は、くすっと笑った。

「あはは。なんでフルネーム呼び?」

「あ、えっと。葉山ちゃん…だよね?私、朝バスでメモ帳を拾った者なんだけど…。あの時言われたことよくわかんなくて。とりあえずあなたに返そうと思って」

「あぁ…ごめん。面白いかなって思ったから」

「...え?」

「確かにバスに落としたのは私。でも、持ち主は私じゃないの。だから協力してくれない?持ち主探し」

彼女は淡々と話しながら階段下に向かってゆっくりと降りてくる。

ステンドガラスの逆光から外れ、顔がはっきり見えるようになる。

朝見た通りの美人。彼女と近くなる距離に私は息をのむ。

余裕の笑みで近づいてくる美しい顔。

私が思わず一歩後ずさると、彼女は歩みを止めてまたくすっと笑った。

「あはは。やっぱりあなたに任せたい。だって運命を感じたの。そのメモ帳とあなたに」

「さっきから何を言ってるの?」

「あはは。ごめんね。ちゃんと説明するから」

そしてもう一度くすっと笑ってこう続けた。

「2年B組の清川有栖きよかわありすさん」



第一話「アリスと手記」終わり







































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