悪役令嬢レティシア・グランドール

 レティシア・グランドール。18歳。

 透き通るような白い肌、つり目がちの瞳には銀の虹彩が宿る。絹糸のようなアイスグレーの髪は緩やかに波打ち、艶やかな光を振り撒く。

 繊細な容貌はガラス細工の人形然としているが、左ほほに落ちるホクロがわずかに人間味を主張している。

 周囲を拒絶するかのような感情を見せないその姿は氷の姫君とも評される。


 そんな私はグランドール公爵家の息女にして、王太子ルーファス・ベルナード殿下の婚約者である。……はずだった。


 馬車に揺られながらぼんやりと窓の外へ目をやる。王都を離れ走り続けるこの馬車は長閑な田園地帯を駆け抜ける。街道は程よく整備され、激しく揺られることもなく順調に目的地へと進んで行く。

 しかし挙動の定まらない思考が邪魔をし、私の目には外の景色は何も入ってこなかった。

 このままではよくない。いい加減現実から逃げるのを諦めて、現状を整理しなければ。

 四日前に起こった断罪劇を頭の中で冒頭から再生し分析を試みる。


 ◇ ◇ ◇


 王宮にていつものように王太子執務室へ向かう途中、回廊にてそれは起こった。

 目の前に立つ冷徹な美貌の若い男性と寄り添うように立つ一人の令嬢。

 男性の方は今会いに行こうとしていたルーファス王太子殿下。

 長身で細身だが華奢とは感じさせない体躯。ブルーブラックのしっとりつやのある髪をやや無造作に一つに束ね、瞳は星空のような神秘的な紫でアイオライトを彷彿とさせる。深い夜の静けさのような佇まいだが視線は射貫くような厳しさをこちらに向けていた。

 その彼の隣に立つ彼女は確か、オリヴィア・ノクシー男爵令嬢。小柄ながら凹凸のある体躯にミルクティ色の髪がふわふわ揺れている。くりくりと丸いヘーゼルの瞳を瞬かせる様は小動物のような愛らしさがある。

 そしてルーファス殿下が、そのいたいけな小動物に対して悪辣な行いをしたのが私だと冷たく言い放った。

 左右から王太子付きの近衛騎士に両腕をつかまれたと思ったらそのまま床に押し付けられる。腕を極められ膝をつく格好になる。石造りの回廊だ、腕も膝も痛い。しかし悠長に痛みを感じている余裕もない。

 私が主導したというオリヴィア嬢に対する数々の仕打ちを、手に持った紙束をめくりひとつひとつ読み上げる。夜会でわざとぶつかるから始まり、ワインをかけドレスを汚す、不埒な噂を流すといったほか、階段から突き落とす、果ては休憩室で貴族令息に襲わせるなどなかなかに質が悪い。

 もちろんそんな事実は一切ない。


 そもそもなぜそのような言いがかりをつけられたかといえば、最近のオリヴィア嬢の行いに原因がある。婚約者のいる、しかも身分が上である男性に付きまとっているのだという。

 ルーファス殿下は見目もよく女性からの人気も高い。それでもほとんどの令嬢が遠巻きに眺めることにとどめていたというのに、あろうことかオリヴィア嬢は殿下に言い寄り、隣に寄り添い笑みを向けあっているというのだ。正直あの鉄面皮で有名なルーファス殿下が笑うというのはにわかに信じがたく、そんなこともあり噂も眉唾程度に聞き流していた。

 そして婚約者である私がそのとき何をしていたかといえば、ただひたすらに王太子妃教育にいそしんでいた。基本的な教養や国内外の歴史などの座学からマナー、ダンスなど覚えなければならないことは山ほどある。ルーファス殿下と婚約してもう10年になるが学ぶことは増えるばかりで一向に慣れることはなく、精神は摩耗するばかり。

 泣き言をいうことも許されず、私はただただ疲れ切っていた。

 この時だってルーファス殿下に借りていた本を返した後は座学の講義が詰まっていた。あの教育係、時間にうるさく厳しい人だから用件を済まして早々に立ち去りたいのに。そんなことをうすらぼんやり考えているうちに追放処分との沙汰が下されていた。



 ひとまず家に戻され父である公爵と改めて話をする。


「お父様、罪状はすべていわれのない誤解であり冤罪です!」


 家に戻ったことで少し落ち着きを取り戻した私は父の前ではっきりと罪を否定した。やってもいない罪で裁かれるなんてばかげている。当然父も公爵家として抗議をしてくれるはず――そう思っていた私に投げられたのは無情な言葉だった。


「やっていないという証拠はないのであろう? 殿下の提示した証言類は確かに状況証拠のみだがお前の関与を否定するのは難しいだろう。反証できない以上処分に従うほかない。これはお前の甘さが招いた落ち度である」


 普段は温厚な父だがこの時ばかりは瞳に怒りが満ちていた。しかしここで怯むわけにはいかない。

 なお反論しようとした私を押しとどめるように父が続ける。


「この際お前がやったかどうかは問題ではない。ルーファス殿下の前で断罪された事実こそが問題なのだ。この件は即周囲にも伝わるだろう。その時お前の潔白を信じる人間がどれほどいる? 事態がここまで大きくなるまで放置していたお前の怠慢こそが罪なのだ」


 私は何も言い返すことができなくなってしまった。


 荷物をまとめ早々に屋敷を出るようにと父に突き放され話は終わった。

 追放先は公爵領の飛び地になる辺境地区ルシーダ。ずいぶん前から森に侵食され、すでに住民のいない廃墟となっている地区だ。廃墟への追放とはずいぶんと粋な計らいである。嘘です、全然うれしくない。

 父に何とかひとこと懇願し、付き添ってくれる侍女と従僕は自分の希望を通してもらった。


「メリルにカイン、不甲斐ない主人の道連れにしてしまって申し訳ないわ。それでも私は一人じゃ何もできないもの、ついてきてくれるかしら?」

「もちろんですお嬢様! 廃墟領にお嬢様を一人で向かわせるなどありえません!」

「お嬢様のお心のままに、どこへでもお供させていただきます」


 幼い頃から面倒を見てくれている二人は快諾してくれる。感謝しかない。

 必要最低限の荷物を手際よくまとめると、私たち一行を乗せた馬車は王都を後にした。



 改めて意識を馬車の外の景色に向ける。ちらほら見えていた畑も今は遠く、人の手の入らない森が姿を現す。ずいぶん遠くへ来たものだ。

 ここまでくると道の整備もあまりされていないのか、こぶを踏むたびに車輪ががたんと跳ね上がる。

 不快な揺れに耐えつつも頭の中では父の言葉がぐるぐると迷走する。


『これはお前の甘さが招いた落ち度であろう』


 ルーファス殿下とオリヴィア嬢の噂を耳にしていたのに、大した問題ではないと聞き流していたことは確かに私の怠慢だ。

 王妃教育で手一杯で普段の社交もおろそかにしていた。元々このきつい目つきのせいで私が受ける周囲からの第一印象はすこぶる悪く、ついでに人見知りもこじらせている。そのため味方になってくれるような友人はほとんどいない。

 そんな婚約者である私とルーファス殿下の評価は、お互い表情が乏しく口数も少ないため、怖い冷たい近寄りがたいとなかなかにひどい有様だった。

 その点オリヴィア嬢は柔らかい笑みを湛えるとても温かみがある令嬢だ。ルーファス殿下の氷の尊顔を溶かすのではないかと王宮の侍女たちの声を耳にしたこともある。

 そんな声も耳に蓋をして聞こえないふりをしていた。認めたくなかっただけかもしれない。

 彼の婚約者は私だ。

 なのになぜ、いつからこうなってしまったのか。


 納得できない結末と後悔と言い訳の中、ふと思った。

 この現状に既視感があると思ったら、私ってばまんま『悪役令嬢』というやつではないの?

 王都で流行している大衆向けロマンス小説で読んだことがあるわ。

 意地悪で高飛車な貴族令嬢がヒロインの恋路をあの手この手で邪魔し、結ばれた恋人たちの眼前で罪を暴かれ刑に処される、というのが基本ストーリー。

 多くは平民もしくは身分の低い令嬢がヒロインで、王子様や騎士様、場合によっては従僕や教師などといった男性と恋に落ち、恋路の邪魔をする高位貴族令嬢の理不尽な障害を乗り越えて思いを遂げるのだ。

 男爵令嬢であるオリヴィアがヒロインで王太子のルーファス様が恋のお相手。

 そしてその邪魔をする、とされている、目つきの悪さに定評のある公爵令嬢の私。

 どこからどう見ても悪役令嬢ですね、これ。

 ちなみに小説では断罪された悪役令嬢はひどければ打ち首、他娼館や修道院送り、からの奴隷堕ちなど散々な末路をたどる。いやだ。怖い。

 私に突き付けられた罰は婚約破棄と辺境への追放。だいぶましな部類だ。いや、冤罪の時点で罪を問われることがおかしいんだけれど。


 目的地に到着し、馬車が止まる。

 ふぅ、とひと呼吸し俯いていた顔をあげる。

 現実から逃げるのはここまでだ。悔いても過去は戻らない。ならば悪役令嬢として、この地でひと花咲かせようじゃないの!

 そう決意を胸に新天地に降り立った。

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