追放されたお気楽転生悪役令嬢は幽霊屋敷でお出迎え〜元軍人執事の転生パパは溺愛なんて許さない〜

加賀谷イコ

第1章 婚約破棄から幽霊屋敷へ【1】

 残酷な機械音が徐々に弱まっていく。誰かに強く握り締められた手が、静かに冷たくなっていくのを感じる。光を拒むように、瞼が重くなった。

 ああ、もうこれで本当の終わりだ。どうしてだろう。何も悲しくない。

 これでいい。これでいいんだ。

 もう、苦しまなくて済む。だから、これでいい。

 望みが叶うなら、楽しい夢を見たい。幸福に包まれて、誰も憐れむ必要がないような、そんな夢。

 いざなわれるように、瞼がゆっくりと下りる。機械音が別れを告げるように、私――椎名しいな沙希さきの人生は幕を閉じた。






 ――はずだった。

「ルヴィ・サフォーリア。きみとの婚約を破棄させてもらう」

 再び開いた視界に飛び込んで来たのは、身を寄せ合い私を睨みつけるふたりの男女。床に膝をついた私は、豪華な赤いドレスに身を包んでいる。周囲には、ざわざわとした喧騒。

 これは……もしかして? もしかしなくても?

「聞いているのか? きみとの婚約を破棄すると言っているんだ」

 みんなの憧れ“断罪イベント”だ! どうやら、険しい表情の青年に指差された私が悪役令嬢らしい。

 おやおや? この青年、なんだか見覚えが……?

 端正な顔立ちにさらさらな金髪。強さを湛えた青い瞳。豪華な軍服風の装い……。

 ぴこん、と頭の中で電球に灯りがともる。この金髪の美形に見覚えがあるのは当然だ。

 私が熱中した乙女ゲーム「花舞う季節の恋乙女」の攻略対象であるクリスティアン・ヴァラリアス王太子だ。病床の私は何度もプレイした。その隣にいるのがヒロインのアスタ・ティボール子爵令嬢。どうやらクリスティアン王子が攻略されたらしい。

 とにかく立ち上がりましょう。私は、悪役令嬢ルヴィ・サフォーリア侯爵令嬢。いつまでもへたり込んでいるわけにはいかないだろう。

 これはもしかしなくても、ラノベの定番「異世界転生」だ。乙女ゲームの世界の悪役令嬢に転生しただなんて……! そんなの……興奮するに決まってるじゃない!

 ルヴィ・サフォーリアの処罰は「追放」だ。ラノベでは命をもって罪を償わされる悪役令嬢もいると考えると、追放で済む悪役令嬢に転生しただなんて僥倖も僥倖だわ!

「聞こえていないのか? きみとの婚約は――」

「了解です! どうぞお幸せに!」

 興奮のあまり満面の笑みになる私に、クリスティアン王子とアスタの頬が引き攣る。それでもアスタは、ヒロインらしく怯えながらも強い意思を湛えた緑の瞳で私をめ付けた。

「これまでの罪を認めて償ってくださ――」

「了解です! 全部わたくしがやりました!」

 私は思わず食い気味に、敬礼までして見せた。本来の悪役令嬢だったら、言い逃れをしようとする場面だろう。クリスティアン王子とアスタも、もちろんそれを想定していたはずだ。

 そんなことより……。さあ、早く断罪して! 私の処遇を告げて!

「素直に認めれば罪が軽減されると思っているのか? ルヴィ・サフォーリア、きみを国外追放とする!」

 国外追放キタ――!

 思わず万歳しそうになるのをなんとか堪える。国外追放となれば、待っているのは悠々自適なスローライフじゃない! ああ、私はやっと自由を手に入れられるんだ!

 私にはこれまでのルヴィ・サフォーリアの記憶も残っている。本来の彼女であれば、婚約破棄からの国外追放は屈辱も屈辱だろう。その冷遇に打ち震え、抵抗したに違いない。そうしてここ、王立魔道学院の卒業パーティから引き摺り出されるのだ。それから物語はエンディングに向かうため、断罪後の悪役令嬢がどうなるのかは私も知らない。

「私はどこに追放になるのですか……?」

 私がわくわくしているなんてつゆ知らず、クリスティアン王子はにやりと口端をつり上げる。

「きみには、旧ラッセル辺境伯邸に移り住んでもらう」

 観衆のざわめきが増した。きっとサフォーリア侯爵令嬢が暮らすには適さない、劣悪な場所なのだろう。

「あの幽霊屋敷に……?」

 喧騒の中から聞こえた声に、私の中の血潮が湧き立った。

「幽霊屋敷……!? 本物の幽霊屋敷で暮らせるのですか!?」

 クリスティアン王子とアスタの顔が強張る。私が絶望に打ちひしがれると思っていたのだろう。けれど、本物の幽霊屋敷で暮らせるなんて、私には僥倖も僥倖だ。

 なぜなら、私は乙女ゲームと同じくらいホラーゲームが好きだからである。幽霊屋敷で暮らすなんて、ホラゲヘビーユーザーの憧れ中の憧れじゃない! こんな経験は二度とできないわ!

「では、私は荷物をまとめて出て行きますゆえ、おふたりはどうぞお幸せに!」

 満面の笑みを浮かべる私に、クリスティアン王子とアスタはたじろぐ。私が泣いて減刑を求めると思っていたのだろう。それでも許さなかったはずだ。なぜなら、私は悪役令嬢なのだから。

 そうと決まれば、さっそく移住の準備をしなくては。私にとっては「善は急げ」である。

 おっと、その前に伝えなくちゃいけないことがあるな。

「この国は近い将来、魔王軍の侵攻を受けますが聖女様がいらっしゃるなら大丈夫ですよね!」

 このゲームの主人公ヒロインアスタは「聖女」として崇められることになる。子爵という位の低い家柄でありながら高い魔法力を持ち、この国を脅かす魔物と戦うことになる。というのが真エンディングだ。その情報は、この時点ではまだ誰も知らないはず。

 クリスティアン王子とアスタの顔がより青くなるが、私にはもうそんなことは関係ない。

「それと、私との婚約破棄によってサフォーリア家の支援はなくなりますが、鋭いご慧眼をお持ちの王太子殿下なら大丈夫ですよね!」

 現在、サフォーリア侯爵家は王室に次ぐと言っても過言ではないほどの権威を誇っている。王太子とルヴィの婚約によりその繋がりを確固たるものにしていたのだが、顔面が白くなるクリスティアン王子を見ると、そこまで考えが及んでいなかったらしい。ゲームでは悪役令嬢との婚約破棄だけで終わるため、そこまでは描かれていなかった。けれど、それももう私には関係のないこと。

「ではみなさま、ごきげんよう!」

 この婚約破棄は、遠くなく国王陛下の耳にも入るだろう。物語はハッピーエンドとなるが、私にとって、ここは現実の世界となった。彼らが真のハッピーエンドを迎えるかどうかは、私にもわからないことである。

 それにしても、興奮のあまりネタバレしちゃったわ。だって、本物の幽霊屋敷に住めるなんて! 追放後は幽霊とまったりスローライフが待っているだなんて! こんな幸運に恵まれることなんて、きっともう二度とないわ! 本物の幽霊屋敷なんて、ホラゲヘビーユーザーにとっては桃源郷のようなものじゃない!

 ああ、早く移住の支度をしなくちゃ!




  *  *  *




「本当にいいのか? ルヴィ」

 断罪イベントの翌日。私は必要最低限の荷物をまとめ、父母の見送りを受けていた。ふたりともとても心配そうな表情をしている。それはそうだ。可愛い娘が追放されて幽霊屋敷に移り住むなんて、普通に考えたらあまりに酷い処遇だもの。

いわれのない罪を認めて、追放だなんて」

「私たちの領地の辺境でもいいのよ?」侯爵夫人が私の手を握りめる。「あなたは無実なのですから」

 そう、この「花舞う季節の恋乙女」では、実は悪役令嬢ルヴィ・サフォーリアはそれほど酷いことはしていない。せいぜい廊下で足を引っ掛けたり、攻略対象とのダンスでドレスの裾を踏んづけたり、アスタの悪評を振り撒いたり……と、少々幼稚ないじめをするだけだ。むしろ酷いのは取り巻きのほう。取り巻きの令嬢たちは、アスタを階段から突き落として命の危機に晒したり、教科書や魔法の杖をボロボロにしたり、はたまた魔法の攻撃を仕掛けようとしたりと、危険を伴う嫌がらせをするのだ。その罪が、すべてルヴィ・サフォーリアに指示されたことだとして責任転嫁される。先の断罪イベントで王子がルヴィに突きつけた罪は、ほとんど取り巻きが行ったことなのだ。ルヴィも確かに嫌がらせをしたが、命を危機に晒すほどではない。ルヴィ・サフォーリアは侯爵令嬢として、未来の国母として誇りを持っていたのだから。侯爵夫妻はそれをよく知っているのだ。

「いいのです」私は微笑んで見せる。「しばらくは侯爵家に迷惑がかかってしまうかもしれませんが……」

「それなら心配はいらない」と、侯爵。「王室とは縁を切りたいと思っていたところだ。良い機会を得たとも言えるな」

「だから追放になんて従う必要はないのよ」

 ルヴィ・サフォーリアの両親に心配をかけさせるのは申し訳ないが、私はすでに、幽霊屋敷でのスローライフに心を奪われていた。

「幽霊屋敷の攻略が済んだら戻りますわ。きっとそう時間はかからないはずです」

「ふむ……。お前がオカルト好きなのは知っていたが、幽霊屋敷への移住でそこまで喜ぶとは……」

 ルヴィ・サフォーリアが「オカルト好き」という特性を持っていたことがこれほどまでにありがたく感じるとは。オカルトと心霊となると厳密に言えば違いのあることかもしれないが、侯爵夫妻にはそれはわからないことだろう。

 オカルト好きはさほど珍しい特性ではない。しかし、貴族の令嬢という観点からすると、特殊な趣味になるのかもしれない。ルヴィはせいぜいオカルト雑誌を読み込むくらいのもので、未確認生命体や飛行物体を求めるようなことはなかった。そういったことがあれば、貴族の令嬢として相応しくないと取り上げられたかもしれない。

「とにかく、元気で過ごしてくれ。私たちの願いはそれだけだ」

「たくさんお手紙を書いてちょうだい。内容はなんだっていいわ」

「はい。お父様とお母様も、どうかお元気で」

「ああ。ロラン、アンネッタ。ルヴィをよろしく頼むぞ」

 今回の移住には、さすがにルヴィひとりでは暮らしていけないだろうということで、執事のロランとルヴィ付き侍女のアンネッタが同行する。私には平民だった前世の記憶があるからひとりでも平気だと思っていたが、両親はやはり心配になるようだ。

「お任せください」ロランが言う。「お嬢様がお戻りになるまで、しっかりお守りいたします」

「お嬢様のサポートはお任せください」

 ロランは平然としているが、若き女性のアンネッタは少々怯えている。私はひとりでも平気だと言ったが、アンネッタは私が子どもの頃から世話をしてくれている。幽霊屋敷に身を置くことのほうが心配のようだ。

「では、行って参ります」

 意気揚々と馬車に乗り込む私に対し、侯爵夫妻は不安そうな表情をしている。まさか私が幽霊や怪奇現象と遭遇することに心を躍らせているとは夢にも思っていないだろう。ルヴィ・サフォーリアは悪役令嬢であるが、ひとりの少女であることに変わりはないのだから。





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