第12話 世界で一番素敵な人(1)
レイモンドは夕焼けに染まる窓の外の景色を、寝台の上に座ってぼんやりと眺めていた。植木や芝生も、色調豊かな花壇も、オレンジ色の光に包まれている。
《――
そっと人差し指を伸ばして呟けば、光でできた蝶が現れ、ひらひらと窓の外に飛んでいった。蝶は、繊細な光の粒子を撒きながら舞う。
「相変わらず、お前の魔法は緻密で綺麗だな」
「ありがとうございます。――セナ」
今日は学校帰りに、セナが見舞いに来てくれた。彼はレイモンドが作り出した蝶を目で追いながら感嘆の息を漏らした。セナとは幼馴染で、気の置けない友人でもある。
彼はオリアーナの身代わり入学を一番に見抜いていた。それから彼女のことをサポートしてくれているようだ。
「姉さんの学校での様子はいかがですか?」
「想像通りだと思うよ。リアはどこに行っても不思議と人に好かれる。……『殿下』なんて呼称までつけられてるし」
「――不思議と、ではありませんよ。彼女が慕われているのは必然。そういう資質を持って生まれたんです」
「資質?」
レイモンドは小さく息を吐いた。
「――聖女としての資質、ですよ。聖女はその存在だけで人々に敬愛されるもの。姉さんが目立つのは、聖女の器だからでしょう」
「どうして君がそれを……」
「セナも気づいているのでしょう。……姉さんから、聖女の呼び笛を現出させたと聞きました」
「…………」
オリアーナはなるべくして聖女に選ばれたのだと思う。思い遣りがあって正義感が強い。今までは家庭環境に抑圧されて、彼女らしさが抑えられてきたが、その高い精神性は聖女としてふさわしい資質だ。
しかし彼女は、魔力を有していない。なぜならオリアーナが持つはずだった魔力を、レイモンドが奪ってしまったから。
もし今のオリアーナが聖女の座に据えられ、万が一戦闘に出されてしまえば、早々に殉職するのがオチだ。聖女が死ねば、また新しい聖女が生まれる。軍部が『非魔力者』の聖女を大事にせずに使い捨てにするだろうということは見え透いている。家族が彼女を出来損ないとして蔑ろにしたように……。
「リアが次期聖女候補ということは、教員の中ではもはや公然の秘密。……世間にもずっとは隠しきれないだろう」
「……そうですか」
オリアーナの進む道は茨の道だ。
婚約者に裏切られ、両親の言われるがままに身代わりを押し付けられ、気の毒な人だ。本人はいつもへらへらと平気な顔をするけれど。
(もっと僕に力があれば……姉さんを両親から守れるのに)
拳をぎゅっと握り締める。レイモンドがどんなに彼女を守りたいと思っても、今の状態では何もできない。
始祖五家の当主は、身体に紋章を有する者が務めるという習わしがある。神に選ばれた人間の体に家紋の紋章が浮かび上がると、正式な世代交代となるのだ。大抵の場合は当主が死亡するころに、新しい当主が選ばれる。
今は父親がアーネル公爵家の実権を握っており、レイモンドは何も口出しできない。逆に言えば、神に選ばれた紋章さえ発現すれば、両親を思うままにできるということ。
(あと少し、生きていられれば……)
おもむろに、レイモンドは服の上から、左腕の手首を撫でた。レイモンドは死にかけのはずなのに、当主の証である紋章がなぜか浮き上がり始めている。紋章が完全に発言するのが先か、レイモンドが病魔に侵されて死ぬのが先か。
「セナ。僕が死んだら、代わりに姉さんを守ってやってください」
「……うん。分かってる」
セナは、レイモンドが長くないことを薄々気づいているし、受け入れている。だから、「弱気なことを言うな」とか「早く元気になれ」という返事はない。
決して彼が軽薄な人間だからではなく、現実的な考え方をいつもするからだ。
「セナは……姉さんに告白しないんですか」
「しないよ。彼女を困らせたくない。……リアは俺のことを男として見てないから」
セナが子どものころからずっと、オリアーナに好意を寄せていることは知っている。知らないのはオリアーナだけだ。セナは彼女を未来の花嫁に切望していたが、自分に好意がない彼女と無理に結婚するのは気が進まないらしく、それを両家に言ったことはなかった。
セナはこう言っているが、オリアーナも満更ではないと思う。今はまだ自覚がないだけで。元婚約者のレックスより、セナは何百倍もいい男だ。オリアーナがレックスと婚約解消できたことだけは幸いだったと思う。
(でもこれは、セナと姉さんの問題ですから。僕が口出しするようなことではありませんね)
レイモンドは苦笑した。
セナは心からオリアーナを想ってくれている。だからこそ、彼になら安心して姉のことを任せられるだろう。
「セナは随分強くなりましたね」
「……ずっと、お前を追いかけてきたからね。アーネル公爵家始まって以来の逸材のお前を」
「ふ。光栄です。姉さんを任せるなら、僕くらい軽く超えてくれないと困ります」
「それはあと三回くらい生まれ変わらないと無理かもな」
「買い被りすぎです」
庭に飛ぶ光の蝶に視線を移す。レイモンドが意図すると、蝶はそれに従って室内に戻ってきて、セナの指に止まった。
「姉さんのこと、頼みますよ」
念を押すように告げたあと、蝶が光の粒になって離散した。その直後。部屋の扉が乱暴に開け放たれる。
「頼んでほしいなんて、私は言ってない」
険しい表情で、オリアーナが立っていた。
「盗み聞きするなんて、姉さんらしくないですね」
「早く元気になって……学校に行くんでしょ? 学校を卒業して、魔術士団に入って出世するんでしょ……?」
「ふ。父さんや母さんみたいなこと言わないでくださいよ。僕は地位や名誉には興味ありません」
出世を願っているのは両親だけだ。もし魔術士団に入ったら、出世のためではなく、ただ人々のために力を尽くしたいと思っていた。病床に伏せってしまった自分には、もはや叶うことがない未来だが。
オリアーナは、震えた声でこちらに迫って来た。
「弱気なこと言わないでよ。早く……元気になってよ」
「諦めてなんていません。叶うなら早く元気になりたいと……毎秒ごとに思っています」
「ならどうして……っ。どうして魔力が異常増幅していることを隠したんだ?」
「!」
レイモンドは目を見開いて、言葉をなくした。
「その顔、事実なんだね。病気に関係があるかもしれないのに、なぜ黙っていたの?」
「姉さんには関係のないことだからですよ。出て行ってください」
「は? なんで、」
「今は姉さんと話したくないと言っているんです」
冷たい声であしらい、彼女に手をかざす。
「待って、まだ話は終わって――」
呪文を唱える。
《――
魔法が発動し、セナとオリアーナは部屋の外へと飛ばされる。レイモンドは魔法で扉を閉じて施錠した。
「ゲホッゲホ……ごほっ」
少し無理をしてしまったようだ。痛む胸を抑えながら、荒い息を整える。
(姉さんは優しいから……。事実を知ったら自分を責めたり、余計な苦悩を背負ってしまうかもしれません)
レイモンドが人並外れた魔力を持っているのは、ひとりの身体で始祖五家アーネル公爵家――二人分の力を保有しているからだ。
オリアーナは生まれつき魔力の供給源である魔力核を有していなかった。そしてレイモンドは、母親の腹の中で、本来オリアーナが持つはずだった魔力核まで奪ってしまった。
レイモンドの病は、本来ひとつしか持たないはずの魔力核を二つ、体内に有してしまう病気だ。
その事実に気づいたのは、最近になってからだ。魔力核は目で見ることはできない。しかし、核の中の魔力が増幅する度、自分のものとは明らかに違う神聖な魔力が、身体を破壊する勢いで膨れ上がっていることに気づいた。それはまさに、オリアーナが持つはずだった――聖女としての神聖な魔力だ。
魔力核について調べるために、あらゆる論文を取寄せて読み漁ったものの、現在の魔法医学では治療法が確立されていないと分かった。
きっとオリアーナは、自分が持つはずだった魔力核が弟の身体中を破壊し尽くしていると知ったら、心を痛めるだろう。両親が知れば、何も悪くないオリアーナを理不尽に責めるかもしれない。
だから、沈黙を守るしかなかった。
◇◇◇
転移魔法で強制的に部屋から追い出されたオリアーナは、部屋の扉を叩いた。
「レイモンド! 話はまだ終わってないよ! ここを開けるんだ!」
しかし、扉を叩くオリアーナの肩にセナが手を置き、「やめろ」と窘めるように首を横に振った。
「リア。……魔力の異常増幅って何? 俺も初めて聞いたんだけど」
「今日……リヒャルト王子から聞いた。レイモンドは随分前から、身体の内側から爆発するように魔力が増えているらしい」
「…………」
セナは顎に手を添えてしばらく思案した。
「レイモンドの不調の原因は魔力増幅で……それはあいつにとって後ろめたいこと――か」
「どうして隠したんだろう。レイモンドだって、誰より病気をよくしたいと思ってるはずなのに」
「ひとまず、魔法医学の専門家に相談してみよう。うちの学校にはいるだろ? 魔力核のスペシャリストが」
「……エトヴィン先生――か」
オリアーナは頷き返した。
◇◇◇
「――で。そこにいるのはレイモンドじゃなく双子の姉のオリアーナの方で、レイモンドには魔力増幅の症状が見られるから診断してほしい、と」
「はい。その通りです」
翌日。朝早くにオリアーナは、化学準備室に押しかけて頭を下げた。オリアーナがレイモンドの代わりに入学することになった経緯を、包み隠さず全て打ち明ける。
不正を咎められて退学することになり、両親から責められてももう構わない。
エトヴィンは呆れたようにため息をついた。
「失望したぞ。それでもアーネル公爵家の人間か? 国から下賜された家宝を使い、不正を働いているとは……。この件が露見したら、始祖五家と王家全体の名誉に関わる」
「返す言葉もございません。私が独断で行ったことですのでどうか、弟のことは咎めないでください。――罰なら私だけが受けます」
「ふん、人に物を頼める立場だと思うな」
「……はい」
失望をあらわにするエトヴィンに平謝りする。
「だが、お前の弟のことは俺が責任を持って視てやる」
「……本当ですか!?」
「嘘なんかつかねぇよ。これはただの推測だが、レイモンドは二人分の魔力核が体内で形成ているんだと思う。聖女が持つべき、膨大な魔力を」
「……母胎の中で結合したということですか?」
「魔力核に限らず、こういう障害は稀にある。だから、本人はお前には言いずらかったんじゃねぇか?」
「…………!」
彼の推測に、全ての点と点が結びつくような気がした。ただでさえ冷遇されているオリアーナが、理不尽に両親から責められないように。またオリアーナが負い目を感じないように気遣ってのことなのだろう。
(私……最低な姉さんだ。何も知らずにレイモンドのことを責めたりして……)
昨日の自分の振る舞いを思い出して、表情を曇らせる。そんなオリアーナを見て、エトヴィンは面倒臭そうに言う。
「んな辛気臭ぇ顔すんな。こっちまで憂鬱になんだろ。まだ決まった訳じゃない。とりあえず中間テストが終わったら、すぐに時間を作る」
「はい。よろしくお願いいたします」
藁をも掴む思いでエトヴィンに頭を下げたのだった。
◇◇◇
しかし、エトヴィンは替え玉の件を上に報告しなかった。始祖五家と王家の名誉に関わる重要事項。
もしかしたら、問題に巻き込まれるのが面倒で沈黙したのかもしれないし、オリアーナの境遇への同情があったのかもしれない。結果として彼は『聞かなかったことにする』という選択を取った訳だが、その真意は分からなかった。
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