第269話 思い出の石段で
幸は、思い出の石段で一人泣いていた。
今日は、今日だけは思い切り泣こう。我慢していたものを、全て吐き出すように。
そんな時だった。幸の脳裏に「お姉ちゃん」と小さく囁く声が聞こえた気がした。
その声は、イラクで極秘会談をしていた時にも、共和国防衛隊の接近を知らせてくれた声。
幸はその声の主が、キャサリンが所属する「GF」と呼ばれる時空間管理局によるものだと思っていた。
聞き覚えはあるが、よく考えてみれば若い男性の声、一体誰だ?
いや・・・・そうだ、考えるまでもない。自分の事を「お姉ちゃん」と呼ぶ人間なんて、二人しかいなかったはず。
どちらだ?、どうして自分に? これは声? いやテレパシー・・・・
そして、幸の脳裏に、それが出来て、自分をお姉ちゃんと呼ぶ人物は、一人しかいない事に気付くのである。
神社に背を向けていても、幸には解る、それは懐かしい街の匂い。
そう、この匂いは、始まりの街、チェカーラントの風だ。
振り向かなくても解る、多分、この石段の上には、懐かしい人がいると。
「ミユキ・・・・ミユキか?」
ああ、その声、忘れるはずなんてない。忘れるものか! 幸は思いっきり振り返る。
すると、夕日に照らされ、恋焦がれたラジワットの姿がそこにはあった。
幸は、一体何が起こっているのか解らずにいたが、それでも、それが夢でも幻であったとしても、そこにラジワットの何かがあるのなら、もう走らずにはいられなかった。
「ラジワットさん! ラジワットさん!!」
ラジワットも、石段を駆け下りる。両腕を大きく広げ、あの懐かしいラジワットの厚い胸板がもう目の前にある。
幸はラジワットに飛び付くと、ラジワットも力いっぱいに抱き締める。
こんな事って? こんな事って!!
「ラジワットさん? ラジワットさんだよね? 本当に? お化けじゃない? 本当に生きているのよね!!」
「ああ、生きているとも! 君には本当に苦労かけたな。こんなに大きくなって、見違えたね、もうすかりレディだ」
「ラジワットさん、ああ、本当にラジワットさんだ! ラジワットさん!!」
幸は、気が動転しそうになりながら、理性を失いかけるほどに泣いた。
自分の人生に、これほどの嬉し涙が流れようとは。
今日は悲しみの涙に暮れようと思っていたのに、嬉しい、嬉しすぎる誤算だ。
まるで幼子のように泣きじゃくる幸を、ラジワットはただ慈しみに満ちた瞳で優しく見つめ、ひたすらに髪を撫でた。
ラジワットは、あれほど幼かった14歳の少女が、今やこれほどの女剣士に成長したのだと感無量であった。
彼女の身体からは、過酷な鍛錬と運命の痕跡が随所に伺えた。それは同じ剣士であれば抱き締めただけで良く解る。
「どうだい、少しは落ち着いたかな?」
この優しい大人の声、本当にラジワットだ。聞きたい事が山ほどあるのに、ラジワットを感じれば感じるほど、再び涙が溢れ、横隔膜が痙攣を起こしそうに制御が出来ない。
それでも、幸はもう一人、とても大切な人の運命について確認しなければならなかった。
「あのっ ラジワットさんっ ・・・・マリトちゃんっ はっ どうして、いますか?」
吃逆交じりでそう聞くと、ラジワットは静かに後ろを向く。
まさか・・・・まさか?
そして、幸は再び「ミユキお姉ちゃん」と、美しい二人の声を聞くのである。今度は生の声で。
「・・・・マリトちゃん? マリトちゃんなの? 本当に? ねえ、マリトちゃん? 本当に?」
石段の最上部には、黒髪の皇帝エリルと、銀髪の、そして身体の線が細いエリルによく似たマリトの姿があった。
マリトも、目に涙を溜めながらラジワットと幸の二人に飛び付いた。
幸は思わず跪き、夕日に照らされた神社の石段で、呆然とマリトを強く抱きしめた。
「マリトちゃん! マリトちゃん! マリトちゃん! マリトちゃん!!!」
マリトだ! 本物のマリトが生きている。
ああ、神様! ありがとうございます! こんな幸福が私に訪れるなんて!
大泣きして抱き合う二人の元に、皇帝エリル二世がゆっくりと近付いてくる。
ラジワットも、エリルにも、優しい涙が流れ続けていた。
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