第6話 交竜

 夜闇に沈んだ森の小道を、悲しみに暮れた葬列がゆく。

 俯く彼らが運ぶのは、彼らが愛した大工の娘。

 娘の棺に寄り添うは、彼女を愛した夫の姿。

 声も無く歩む人々の頬を、音も無く濡らす霧の雨。

 やがて弔いの一行は、森の広場へ辿り着く。

 いつしか雨は止んでおり、誰とも無しに視線を上げる。

 月明かりが照らす広場の奥、墓石の岩のその前で、

 翼を広げ佇む竜が、静かに彼らを待ち受けていた。



「……あの時、皆がこう思ったんじゃ。『このお方白竜様は、この時のために来て下さったのだ』、と」

 白竜を見上げつつ当時の様子を語る村長に、ルーカスの父や、周りの村人たちも頷きます。

「それで母親の遺体を、獣じゃなく竜に喰わせる事にした、と」

 確かめるようなドロシーの声。

「ドロシー様……」

 振り返った村長は、深々と頭を下げます。

「いま一度、お願いでございます。どうか、白竜様を討つのはお辞め下され……!

 この村で死んだ者は、この場所で白竜様の血肉となり、そして白竜様と共に、丘から村を見守り続ける。今ではそれが、皆の心の拠り所なのです! どうか……!」

「ドロシーさん……僕からもお願いします」

 ルーカスもまた、縋る様な目でドロシーを見上げます。

「母さんが……母さんは、白竜様の中で生きてるんです。ずっと、僕と父さんのそばにいてくれたんです! だから……!」

「あのねえ……」

 困ったような顔をするドロシーに対し、周りの村人たちも跪き、

「ドロシー様!」「魔女様!」「おねげえします!」「うちの人も白竜様の中にいるんです!」「うちの爺さんと婆さんもでさ!」「私もあの人と一緒に、子供たちが育つのを見守りたいんです!」「どうか見逃して下せえ!」「「「どうか!!!」」」

 と、口々に白竜の助命を願い出ます。

 しかし、

「だから、そもそも、アタシらは!

 この子白竜を殺すだなんて、ひとっことも言っちゃいないだろう!?」

「「「へ?」」」

 ドロシーの予想外の言葉に、顔を見合わせる村人たち。

「……おい、誰だ? 討伐しに来たとか言い出したんは」「おじゃながったか?」「おらは違う、『村ごと消されちまうんでねか』って言っただけだあ!」「余計にひでえでねか!」「あの、じゃあやっぱりサインを……」「おさそれあどにしろ!」

 あーだこーだと騒ぎ出す中、彼らの内の一人が言いました。

「いや、そもそもよ……村長が『ドロシー』っつう名前聞いてそげな想像したから、わざわざ俺ら集めたんだべ?」

 その一言で、バッ! と一斉に村長を見る村人たち。

「い、いや、わしはただ……」

 村長は急に自分の責任を問われ、白髭を揺らしながら慌てふためきます。

「はいはいはいはい、その辺にしておきな! アンタたちがアタシの事をどういう目で見てるのかは、もう充分にわかったから!」

 当のドロシーにジロリと睨まれ、口をつぐむ一同。

「話を前に進めるよ。

 アタシたちの目的は最初に言った通り、ノースヒルの白竜の調査さ。正確には……」

 そこまで言って、チラリとエルマの方を見るドロシー。

 エルマは頷き、彼女の言葉を引き継ぎます。

「……正確には、『人と竜の共存の可能性』を探りに来たんです」



「人と竜の、共存……」

 思いがけない言葉に、目を見開く村長。

「そう。だからよっぽどの事がなけりゃ、討伐する気なんざさらさら無いのさ」

「竜を養うために、村へ来た人を生贄にしているとか。実はこの村が復権派のアジトで、竜を利用したクーデターを企んでるとか……

 一応聞きますけど、やってないですよね?」

「まさか、滅相もない!!」

 村長は白髭を振り乱しながら、激しく首を横に振ります。

「で、だ。アンタたちは竜葬を……というより、『人を食わせた存在を身近に住まわせ続ける事』をタブーだと思ってる様だが、これだって隠すような事じゃないのさ」

「そう、なのですか……?」

 ドロシーの言葉に驚く村長へ、エルマが頷いて見せます。

「似たような例なら、故人のご遺体を身内が食べて弔うという地域もあります。

 この村の竜葬はつまり、白竜を『大いなる存在』として崇めると同時に、『生きた墓標』としても大切にされてるわけですよね?

 故人を自然のサイクルに還す、という点は元の獣葬と同じですが、竜葬ならより永く、より身近な場所に感じていられる……素敵な考え方だと思いますよ」

「おお、お分かり頂けますか……!」

 村長は理解を得られた事で、喜びと安堵の表情を浮かべます。

「ただ現状は、アンタたちが勝手に白竜を崇めてるだけだろう? それじゃあまだ共存とは呼べない。

 白竜の方は、何を考えているのか?

 どういう事情でここへ来て、どういう理由で留まっているのか?

 アンタたち人間の側も、この子白竜の事をもっと理解するべきだ」

「それは我々としても、是非知りたい所ではありますが……

 では、改めて調査して頂けるという事でしょうか?」

「いや。実はもう、概ね予想は付いてるのさ。

 順を追って話そうか。エルマ!」

「はい!」

 エルマは白竜の前脚に歩み寄ると、その鱗へ手の平を添わせます。

「はぁぁあ、これがナマ・竜の鱗……!

 ……じゃなかった、いつでもどうぞ!」

 ドロシーは半眼でため息を吐くと、話を続けました。



「まず5年前、坊やと白竜がこの広場で出会った。当時の竜は、まだ鱗が赤かったそうだがね。

 この時、突然現れた竜に驚いた坊やの体は、『後天性ドワーフ症候群』を発症する。要は、体内のオド《内魔力》が際限なく漏れ出しちまうって症状さ」

「そうだったのか!?」

 ルーカスの父が、驚きの声を上げつつ息子を見ます。

「うん、さっきドロシーさんが教えてくれたんだ。治し方もね」

「少々時間はかかるが、ちゃんと治るから安心おし。

 さて、竜ってのはとても大きい生き物だ。この子白竜の様な翼持ちの四脚竜だと、最大で40mくらいにはなる。

 そして生物が生きるのには生命力、即ちオドが必須。巨体ならその分、オドも大量に必要になるんだが……」

 視線を受けたエルマが、空いた手で眼鏡をクイッと持ち上げつつ続きを話します。

「実は、竜が自力で作れるオドの量は、彼らが生存するための必要量に到底足りてないんです。

 不足分の魔力を外部から補うために、彼らは住処を選ぶ際、空間のマナ外魔力が多い場所を探す必要がある。

 だから竜は魔力に対して、非常に鋭敏な感覚を持っています」

「そんな竜の、それもまだ子供が。目の前のこーんな小さな人間ルーカスから急に、とんでもない量の魔力を感じとったわけだ。そりゃあ大層驚いただろうねえ。

 人間の感覚で言えば、そう……生まれたての子猫が、急に熊の声で唸ってきたくらいの事さ」

「な、なるほど……」

 ルーカスはとんだ怪生物に例えられた事に対し、少し複雑な顔をしました。

「問題はここからでね。そのときこの子白竜は、坊やの前でそうなんだよ。

 これは竜同士が争った際に、負けを認めた側が取る降参のポーズでね。つまり白竜は坊やの事を、『自分より強い相手』と認識したって事になる」

「ええっ!?」

 思わず声を上げるルーカス。

「間違いないみたいです」

 白竜に触れたまま頷くエルマ。

「ええっ!?」

 今度はエルマに対して驚くルーカス。

 白竜も驚いたようで、エルマを見ながら目を丸くしています。

「竜ほどじゃあないが、エルマも魔力に敏感な体質でね。触れている相手の魔力の動きから、ある程度の感情を読み取れるのさ」

「魔力の漏出が多ければ、視ただけでも読めますよ。戦いの最中で興奮していたり、ルーカス君みたいにドワーフ症候群に罹っている場合ですね。

 そして、今のやり取りではっきりしました。やはり貴方白竜、私たちの言葉を理解していますね?」

 そう言いつつ見つめ返したエルマに、こくりと頷き返す白竜。

「なんと!?」「頷かれたぞ!?」「まさか!?」

 どよめき出す村人たちをよそに、

「ふ、ふふ……ふふふふふふ……!」

 と、怪しげに肩を震わせるエルマ。

 彼女は空いた左手でグッ、とガッツポーズすると、

「ざまぁぁぁみろ王都の石頭ども!! 私の説は、やっぱり間違ってなんかいなかった……!」

 高らかに笑うエルマに対し、冷静な声が掛かります。

「エルマ」

「はいっ!?」

「続けるよ」

「あ、はい……」

 彼女が正気に戻った所で、ドロシーは話を再開しました。



「ええと、どこまで話したっけ……ああそうそう。白竜が坊やに対して、負けを認めたってところだったね。

 ただ、これに関しちゃ流石のアタシも、聞いた段階では確証が持てなかった。だからさっき、坊やに自分のオドを体感してもらうついでに、色々と試させてもらったのさ」

「まさかあれって、別の意味もあったんですか?」

 ルーカスは先ほどから驚かされっぱなしです。

「坊やのオドを解放する時、真上へ放出させただろう? あれは、白竜に対する狼煙でもあったんだよ。『お前さんの認めた相手が、何か大変な状況になってるぞ』っていうね。

 その子白竜からすれば、ずっと感じていた強い魔力が急に消えたかと思ったら、振り絞る様な勢いで出て来たわけだ。しかも、よりによってこの場所竜葬の広場で。そしたら当然、確認しに来るはずだろう?

 実際すぐに飛んで来たから、坊やを特別視しているのは確定した。そこで今度は、白竜がアタシと戦っている所を、エルマの目で視てもらったのさ」

 ドロシーの言葉に、エルマが頷きます。

「彼女と戦っている間、白竜は常にルーカス君の身を案じていました。

 無事な姿を確認した時は安心していたし、その後の立ち回りも彼を庇ったり、彼から目を逸らさせるような動きでした」

「そうだったんだ……」

 自身を見上げて来たルーカスに、頷きかける白竜。

「その割には、最後のブレス吐息で巻き込みかけてたけどねえ」

 ドロシーの指摘に、白竜はどこかばつが悪そうな顔をします。

 ルーカスを危険に晒した事は実際、彼も気にしていたのでしょう。

「あれだって先にドーラの周囲を囲んで、余波が広がらない様にしてたんですよ? 速攻で破られてましたけど。

 というかあのブレス、一体どうやって受け止めたんです……?」

「ああ、あれは地面に魔力を受け流して……」

 二人の会話が脱線し始めた所へ、村長から質問が飛びます。

「で、では! 白竜様は、ルーカスを特別目にかけておられて……

 つまりは村にこの子がいるから、丘から離れずにいて下さってると?」

「おっと。どうなんだい?」

「クルルゥ……」

「んー、少し違うみたいですね。『肯定』、でも全肯定じゃない……

 村の人達の方を見て……『親しみ』……?」

「丘に長いこと住んでいる内に、だんだん居心地が良くなったって事かい?」

「クルォゥ!」

 白竜はドロシーの言葉に頷きます。

「あぁ、なるほど。今の白竜は信仰の対象だから、普段いるあの丘が魔力溜まりになってるんですね?」

 エルマの言葉に、ルーカスが首を傾げます。

「それって、どういう事ですか?」

 その問いには、ドロシーが答えました。

「オドってのは、持ち主の思念に沿って動く性質があってね。

 お前さんの本で、マナを感じ取る際に『心臓へ意識を集中する』ってあっただろう? あれは、邪魔なオドを手元から遠ざけるための手順なんだよ。

 そして持ち主からある程度離れた漏出オドは、繋がりが切れて大気中に散ってしまうんだが、その際もいくらかは、最後に意識していた方へと漂って行くんだ。

 だから多くの時間、多くの人が意識を向ける場所には、多くの魔力が集まるのさ」

「あの丘はノースヒルのどこからでも見えますから、村の人達の意識も向けられやすいはず。その結果、竜の住処に適する程の魔力溜まりとなったんでしょう。

 しかし、あの丘が生み出すマナ自体は大した量じゃないはずです。つまり、マナを目当てに他の竜が来る心配も無くて、とても都合が良い!」

 どうだと言わんばかりの顔で、ビシッ! と白竜に人差し指を向けるエルマ。

「クルルゥ……!」

 しかし、白竜は首を横に振ります。

「『惜しい』、『まだある』? えー! あとなんだろう……?」

「竜葬じゃないかい?」

「あー!! それだ!!」

「クルォォォウ!!」

 ドロシーの回答に、竜は大きく頷きます。

「丁寧に弔われたご遺体にだって、弔った人たちの思念と共に漏出オドが染み込みますから、魔力喰らいの竜にとってはまさにご馳走です。

 なんならこの広場自体、村からずっと微量の魔力が届き続けてますからね。ノースヒルの人達が普段、亡くなった方々をどれだけ想っているかが良く分かります」

 そう言うとエルマは重い眼鏡を外し、目を細めながら広場の奥を見つめます。

 彼女の目にはハッキリと、墓石に集まる人々の想いが視えているようでした。



 エルマたちが考察を終え、広場が静まり返る中。

「じゃあ、最初に僕が出会った事と……」

「その後に我々が竜葬を始め、そして白竜様を崇めた事……それらのすべてが、今の関係性に繋がっていた、と?」

 ルーカスと村長は、まだ実感の湧かないような声で尋ねました。

「そういう事になるねえ」

「なるほど……」

 村長は白竜に向き直り、深く深く、頭を下げます。

「白竜様の御心、よーく分かり申した。

 お邪魔でなければこれからは、定期的に丘へ向かわせて頂いて、貴方様のお考えを伺いたく存じます。何かご要望があれば、遠慮のう仰って下され」

「クルォウ! ……クルルゥ」

 村長の言葉に頷いた白竜でしたが、何か気になる事でもあるのか、エルマとドロシーを交互に見やります。

「早速なにかあるみたいですね。えーと……?」

 どうも少々込み入った話らしく、翼や脚を使った身振りも交え、何とか伝えようとする白竜。

 エルマも真剣な表情で、彼の意思を汲み取ってゆきます。

「『自分』、広がる……いや『大きくなる』。

 村長……じゃない、『村人』? 村人が……小さい? 惜しい。 あっ、『少ない』? 合ってた!」

 白竜は最後に、空へ向けて大きく口を開きました。

 その口元が微かに、陽炎の如く揺らぎます。

「ブレス……『魔力』! じゃあ繋げると……

『自分はまだ大きくなる、村人の魔力では少ない』?」

「クルォウ……」

 白竜は悲し気に頷きます。

「ふむ。さっきも言ったが、有翼の四脚竜の全長は最大で約40m。今のこの子白竜の2倍くらいだね。

 そして生存に必要なオドの量は、おおよそ体積に比例して増える。全長が2倍になるという事は、その3乗で8倍だ」

「そこまで成長してしまうと、村から得られる魔力だけでは足りなさそうですね……」

「わ、わしらがこう、熱心に白竜様へ祈りを捧げれば……」

「うーん……信仰はもう充分に集まっていますし、たぶん殆ど増えないと思います。

 最悪、元いた場所に戻るわけには……『北の火山』『けれど』『追い出された』『戻りたくない』?」

「火山ねえ……ま、今さら帰らせるのは最後の手段さ。それよりも良い手がある」

「どうすればよろしいのですか!?」

 すがるような眼で見る村長へ、ドロシーはニヤリと笑って続けます。

「人が足りなきゃ増やせば良い。

 ノースヒルの『村』を、『町』にまで発展させるんだよ」

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