第4話 後天性ドワーフ症候群
木の幹にいくつも刻まれてきた、ルーカスの成長記録。
それらを眺めていたドロシーが、おもむろに口を開きます。
「常に大量のオドを漏出させているという事は、それだけオドが余っている、つまり生命力にあふれているという事だ。そういう人間は普通、背丈や筋肉、体毛や爪が成長しやすい。
ところが坊やは5年もの間、成長期にも関わらず一切身長が伸びていない。見た感じ特に筋肉質なわけでもないし、16歳になるのに髭だって生えちゃいない。
そして何より、成長が止まる直前に竜と遭遇している。
これらの症状からすると、お前さんは間違いなく『
「後天性、ドワーフ症候群……?」
どうやら病名らしき聞き慣れない言葉に、ルーカスは首をひねります。
「ドワーフっていうと……あれですか? 洞窟に住んでて、背が小さくて、力が強くて、髭もじゃの?」
「そう。大食らいで大酒呑みの、あのドワーフさ。彼らは生まれつき、残りの容量に関わらずオドが漏出しやすい体質なんだよ。
要は、穴の開いたバケツに水を注いでるようなもんでね。漏れ続けるオドを補うために、食べた栄養のほとんどがオドの生成に持っていかれちまう。だから生命力が常に不足して、よく食べる割に背が低い。
彼らが狭い洞窟で暮らしてるのも、周りの土でオドの拡散を防いで、漏出を外側から押さえ付けるためなんだよ。
そして後天性ドワーフ症候群ってのは、何かのきっかけ……例えば竜と出会って命の危険を感じた場合なんかに、無意識で漏れ出しちまったオドが収まらなくなる症状の事を言うのさ」
ルーカスは、自身の両手を見つめます。
「じゃあ僕は、白竜様と出会ってからずっと……?」
「オドが駄々洩れになってるんだろうねえ。じゃなきゃ、そこまで漏出量が多いなんて事はまず無いよ。魔力に敏感じゃなくとも気付くくらいだ。
気配が強い、って言えば分かりやすいかね。お前さん、人や動物に近付いた時、後ろからこっそり忍び寄ってもすぐ気付かれるんじゃないかい?」
「そういえば……」
ルーカスは、ドロシーと出会った時の事を思い出します。
確かにあの時、彼は離れた場所から見ていたにもかかわらず、急に彼女が振り向いてきたために驚いたのでした。
「これって、治せるんですか?」
「治せるさ。その方法も、ドワーフたちが経験から編み出している。
彼らは成人する時、集落を出て一人で穴を掘るんだよ。鉱脈か、別の集落を掘り当てるまでね」
ドロシーは杖を振り上げ、穴を掘る真似をします。
「一人で掘る穴の中は当然、集落より狭い。オドの拡散は更に抑え込まれるし、体力を消耗する分、オドの生成量自体も減る。そうやってしばらく過ごす内に、ちょうどいい
成長期を過ぎてるから背は低いままだが、漏出量を補ってきた分、オドの生成力が自然と鍛えられる。だから大人のドワーフは、筋肉モリモリの髭もじゃになるのさ」
「なるほど……じゃあ僕、家からスコップ取って来ます!」
「お待ち!!」
駆け出そうとしたルーカスを、ドロシーの杖が遮ります。
「この方法はドワーフの住処が、火山帯の地下にあるから出来る事だ。ああいう所の土は元からマナが豊富だから、それ以上魔力を吸わないのさ。
マナの薄いここいらで適当に穴を掘ったって、お前さんから漏出したオドはみいんな土に吸われちまう。ただ単に疲れるだけだよ」
「じゃあどうしたら……」
「話は最後まで聞きな。要は、『魔力を通さない小部屋』を作れればいいのさ」
ドロシーは先ほどいた場所まで戻って来ると、そこにある物をコツンと杖で叩きました。
一方その頃。ドロシーと合流しようと、北西の森を抜けて来たエルマ。
村まで戻って来た彼女は、ドロシーの行きそうな場所を一通り巡ってみますが、どこにも姿が見当たりません。
「んー、外周沿いにはいなかったし、村長さんの家はまだ会議中。部屋にも戻って来てないし……どこ行ったんだろ?」
宿へ寄ったついでに遅めの昼食を済ませると、エルマはドロシーと分かれた中央広場へと向かいました。
広場では、商人がまだ露店を開いています。傭兵たちの配送サービスも好評なようで、今は3人出払って4人になっていました。
彼らはニコォ! と歯を輝かせて笑いつつ、新たなポーズで筋肉を見せ付けてきます。エルマはなるべく、視界に入れないようにしました。
「おや、エルマさん。お一人ですか?」
ちょうど手の空いた商人が、エルマを見付けて声を掛けて来ました。
「お疲れ様です。ドロシーを探してるんですが、あの後どこへ行ったか知りませんか?」
「ドロシーさんなら、ルーカス君と一緒じゃないでしょうか?」
「ルーカス?」
知らない名前に、エルマは首をかしげます。
「この村の子供ですよ。魔法使いに憧れがあるようで、よく父親と一緒に魔法関連の本を探しに来るんです。
ああ、噂をすれば。ちょうどお父上がお見えです」
見ると、近くの家から40代ほどの男性が出て来て、キョロキョロと辺りを見回しながらこちらへ歩いて来るところでした。
「いらっしゃいませ。魔法に関する本でしたら、あいにく今回は入荷してございませんが……」
「ああ、いえ、今日はその……すみません、うちの息子が来ませんでしたか?」
「ええ、ルーカス君なら昼前にお見えでしたよ。ちょうど魔導師の方が来られた直後だったので、教えて差し上げたら後を追いかけて行かれました」
「どこへ行ったか分かりますか? 昼飯にも戻って来なかったようで……」
「さあ、そこまでは存じかねますな。
エルマさんは何かご存じで……あれ、エルマさん?」
商人が振り返ると、エルマは忽然と姿を消していました。
「やばいやばいやばい、これ絶対ドーラがなんかやらかしてるパターン……!」
こっそりと商人の元を離れたエルマは、小走りに宿まで戻って来ました。
部屋の中に手掛かりが無いかと、あちこちひっくり返しながら探してみますが、
「書き置きの
いや落ち着け、落ち着くのよエルマ……まずは情報を整理しましょう」
彼女は深呼吸すると、片手で眼鏡の真ん中を押さえながら考え込みます。
「魔法使い志望の子供。意外と世話焼きの大魔導師。村の中には見当たらない。
だったら外。何をしに?
それは当然……魔法を教えに!」
エルマは、勢いよく窓を開け放ちました。
その音に気付いたのか、丘の上の白竜がこちらへと振り向きます。
エルマは、そおっと窓を閉め直しました。
「村人や白竜を警戒させるから、魔法の特訓なら周りから見えない場所を選ぶはず。
この辺だったら森の中……南と北西、どっち?
子連れの日帰りで南は遠い、北西!」
階段を駆け降り、宿を飛び出し、裏手の石垣を乗り越えて。
左手沿いにぐるりと回り、橋を渡って北西の森へ。
「こんな事なら帰り道、ショートカットしなきゃ良かったー!!」
曲がりくねった道を小走りに進み、再び広場を目指すエルマ。
そう。先ほど彼女が戻る際は、道を無視して真っすぐ村へ向かったため、道なりに来ていたドロシー達とはちょうど入れ違いになってしまったのです。
息を切らせつつ獣道を抜けて、ようやく広場へ辿り着いた時。
ずれた眼鏡を直すエルマの目に映ったのは、杖を構えて佇むドロシーと、
「……何あれ??」
ちょうど子供が入りそうなサイズの、大きな土の柱でした。
エルマが広場に着いた所から、時は少し遡ります。
「要は、『魔力を通さない小部屋』を作れればいいのさ」
ニヤリと笑うドロシーが杖で叩いたのは、魔法で固められた土の塊。
先ほど彼女が地面から作り上げ、椅子として使っていたものです。
「ドワーフ症候群を普通に治そうと思ったら、漏出オドを落ち着かせるのに大体1ヶ月はかかっちまう。
だから並行して、内魔術の訓練もやっていく。オドの扱い方を覚えた方が、漏出量のコントロールもしやすいからね。
これからやるのは、そのための第一歩。『オドの自覚』だよ」
ドロシーは杖から煙を出すと、再び細い煙でルーカスの周りを囲い、その内側を薄い煙で満たしました。
「まず今から坊やの周りを、魔力の籠った土壁で覆う」
ドロシーが杖で地面を突くと、煙の輪の内側に土の壁が迫り上がり、これまたぐるりとルーカスを囲みます。
「するとその内側は、逃げ場を失った漏出オドが濃度を増してゆき、強制的に漏出が止まる」
土壁の内側で、薄い煙が段々と濃くなってゆきます。
「この状態で1ヶ所、穴を開けてやる。すると、そこから勢い良くオドが放出される」
土壁の一部が崩れ、内側に溜まっていた煙が外に溢れ出しました。
「こうすると、普段無意識にやってる漏出とは段違いの魔力が動く。
濃度の高い魔力は素人でも感じ取れるってのは、さっきの気配の話でも言った通りだ。そこを体感して貰おうって寸法さ」
「なるほど……早速お願いします!」
「良い返事だ。だが先に、注意点を説明しておくよ。
この方法は、成人したドワーフが穴を掘る時とは違って、完全な密封状態を作る。
内部は急激に魔力の圧が増すから、『魔力酔い』という症状が出やすい。というより、出るまでやる事になる」
ドロシーの手元に〔魔力酔い〕の文字が浮かびます。
「魔力酔いの主な症状は、満腹感・胃もたれ・吐き気などだ。要は、食べ過ぎた時のような感じだね。
症状が出始めたら穴を開けるから、大声で呼んでおくれ」
「はい!」
「それと、当然だが中の空気も薄くなっていく。
魔力酔いが起こらなくても5分ほど経ったら開けるが、その前に息苦しくなった場合もすぐに呼ぶんだよ」
「分かりました!」
「よしよし。それじゃ、そのまま動かない様に」
ドロシーが杖で地面を叩くと、ルーカスの周囲で迫り上がっていた土壁が、再び高さを増してゆきます。やがて背を越した辺りで角度を変えると、頭上まですっぽりと覆ってしまいました。
一筋の光もない暗闇の中、土壁越しにドロシーのくぐもった声が響きます。
『聞こえるかい、坊やー? どこか明かりが漏れてる所はー?』
「ありませーん!」
『よーし! 魔力酔いか酸欠の症状が出たら、すぐに呼ぶんだよー!』
「分かりましたー!」
大きく返事をしたルーカス。ですが、真っ暗な中でただ待つというのは、思っていた以上に退屈です。
何か聞こえないかと壁に耳を当ててみると、ちょうど誰かが広場へやって来たようでした。
「おや、エルマ。遅かったじゃないか」
「散々探させといて何を……っていうかドーラそれ、何やってるんです?
ルーカスっていう子と一緒だって聞いたんですけど、まさか……」
「ああ、ルーカスならこの中だよ」
ドロシーは、ルーカスを覆っている土の柱を杖で指します。
「ホントに何やってんですか貴女!? 未成年誘拐の上、監禁!?」
「物騒な事言うんじゃないよ! これは、れっきとした治療行為さ」
ルーカスとの出会いから、彼の過去やドワーフ症候群など、これまでの経緯を語るドロシー。
「……というわけだよ」
「なるほど、事情は分かりましたけど……ドーラ、ここがどういう場所か分かってます?」
エルマは広場の奥、岩の台座を見ながら尋ねます。
「見当は付いてるよ。お前さんも視たんだろう? なら、間違いない」
「だったら……」
その時、土の柱から『ドロシーさーん!』と呼ぶ声が聞こえました。
「話は後だ。はいよー! どんな調子だい坊やー!」
『なんだか、胃の辺りがムカムカしてきましたー!』
「魔力酔いの初期症状だねー! それじゃあ、お前さんの真上に穴を開けるから、そこからオドが解放される感覚を、しっかり体で覚えなー!」
「えっ。ちょっと待ってドーラ、真上になんか出したら……!」
慌てるエルマをよそに、ドロシーが土の柱を杖で叩くと、その上部に拳ほどの穴が開きます。
その瞬間。穴の中から勢い良く、見えない『何か』が溢れ出してきました。
「うわ、すっごぉ!? 何この濃度!?」
「ははっ! こりゃ思った以上だねえ、アタシにまではっきり視える!
どうだい坊やー! 何か掴めたかーい!?」
『なん、か、この、こう……すごい、です……!
体の中で、張り詰めていた何かが……一気に、抜けていくような……!』
柱の内側から、喘ぐようなルーカスの声が届きます。
「……あの、これ、聞いてて大丈夫な奴です?」
「初めてだったらこんなもんさ。
よーしよし! その抜けていってる物が『オド』だよー!
段々と勢いは弱まっていくから、それが自分の中をどう巡っていて、どう頭上へ抜けていくか! それが確かにあるって感覚を、しっかりと体で覚えなー!」
『分かり、ました……!』
ルーカスの返事が聞こえると、ドロシーは満足げに頷きます。
「……ってドーラ! こんな濃度の魔力、上に向かって出しちゃったら……!」
「そうだねえ、そろそろ……」
慌てた様子のエルマに、ドロシーがのんきに返事をしかけた時。
不意に、辺りが暗くなりました。
「来たね……!」
見上げた老魔導師の視線の先には、太陽を覆い隠す巨大な影。
4本の脚に、1対の翼。大きな2本の角と、長い尻尾。
全てが純白の鱗に覆われた、全長20mの威容。
「グルォァァアアアアアッッッッ!!!」
ノースヒルの白竜が、今まさに降り立たんとしていました。
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