ティッシュバコ
最早無白
邂逅『鼻水、石油になれ』
四月、春風と花粉が舞い込むこの季節に、私は晴れて高校生となった。
これから三年間、基本的に何をやっても『青春』の二文字で済まされる。やったもん勝ちの片道切符。それが女子高生、JKブランドなのだ。
玄関前に張りだされている、組分けの紙を確認。私はどこだ……あった、三組か。
一年三組二十八番、響きとしてはまあまあかな。
対応する教室の、対応する席に座る。教卓から見て『真ん中奥』が、私の初期位置らしい。
『人目につかない』を売りにしすぎて逆にマークされるであろう『窓際』よりは、先生から当てられる確率は低いのかな?
一クラスが四十人、七列が四つと六列が二つ。私は二十八番なので、左隣はいても右隣はいない。その分、右側に色々と荷物が置きやすいってことだな。四十人中ただ一人、私だけの特権だ。やったぜ。
――とりあえず、まずは隣の人に挨拶をしなきゃだな。心の準備を済ませ、いざ話しかけようとすると……隣の女子は鼻をかんでいた。あら、タイミングが悪い。
ふんわりとした茶髪に、これでもかという猫背が逆に映える。目の下にはクマができていて、こちらは猫背とともに彼女の不健康さをアピールしている。入学までの春休みで、生活リズムを盛大に崩してしまったのかな……?
隣席には、彼女の手元にある箱のティッシュと、その他に新品のものが五個も積まれている。花粉症なのかな? それにしても、箱で持って来なきゃいけないほど辛いものなの……?
「くしゅっ! あ~あ、ガチで止まんないや」
手が汚れないようにティッシュを上手く丸め、それをビニール袋にひょい、と投げ入れた。
「あの……大丈夫? 花粉症、かなり辛そうだけど?」
「あえ? 花粉なら、見ての通りクッソ辛いよぉ。スギなんてなけりゃいいのに~って感じ」
そしてまた鼻をかむ。彼女のくしゃみはとどまるところを知らない。
「鼻水、石油になんないかな……」
「JKがいきなりなんてこと言ってんの!?」
えっ、なにこの人!? 急にぶっ飛んだことを言いだしたんだけど! 石油!?
JKって、もっと清楚で綺麗な言葉遣いを心がけるものじゃないの? 私のイメージがおかしいだけ?
「いやだってさ、せっかくこんなに鼻水が出るんだったら、どうせなら石油の方がいいに決まってんじゃん? 塵も積もれば油田となるよ?」
「それ、ティッシュを見つめて言うことじゃないよ、JKブランドが泣いてるよ? 積んでも塵たちは石油にならないから、むしろソイツらを入れてるビニール袋が一番石油してるから!」
多分だけど、初日の朝に捨てちゃダメなものだと思うんだよね。三年間のキラキラした青春が約束されたパスポートだよ?
「ブランド? まだ石油になってないよ?」
「いずれなるみたいな言い方してもならないよ。その液体に望みはないからね?」
残念だけど、あなたの鼻水はそれ以上でも以下でもない。ただあなたがスギに弱いだけ、敗北の涙の代わりでしかないんだよ。
「いやさ、花粉症の対価に『お金持ち』になれるってなら、ウチも甘んじて受け入れるんだよ? でも現実はどうだ、クソリスクノーリターン! おまけにティッシュ代で、逆にお金が飛んでくんだから!」
「確かに! 苦しい思いのし損じゃん!」
あまりの勢いに言いくるめられてしまう。鼻水が石油に変化するなんてありえない話なはずなのに『なぜ鼻水が石油にならないんだ!』と、やるせない気持ちにさせられてしまった。
私、騙されやすいタイプなのかな?
……って、ダメダメ! この人のペースに乗せられると、なんだか色んな意味で危ない気がする!
少なくとも『華のJKライフ』は送れないだろう。はな違いなら最大限に送れそうなのが、なんとも皮肉である。
「とりあえずさ……鼻は大丈夫なの? 入学式でくしゃみとかしちゃわない?」
「う〜ん……すると思う」
すんな。絶対にすんな。あなたのせいで、学年全体が恥をかきかねない。
「体育館中にさ、あなたのくしゃみだけが響き渡るんだよ? さすがにキツくない?」
「『あなた』じゃないよ、ウチは
――確かに。交わした話題のインパクトが強すぎて、名乗るより先にツッコんでしまっていた。このままだと、彼方さんの私への第一印象が『なんかツッコんできた人』になってしまう。いや、もうなっているのか。
仮に今から打開しても、それは第二、第三の印象でしかないのでは? 私はもう『ひとりごとにツッコんでくる人』という認識が固定化されてしまったのか?
とにかく、名前を聞かれたには名乗らないわけにはいかない。体裁を整える意味も込めて、それっぽい言葉も添えておこう。
「私は
「よろしく~。ウチら、いい友達になれそうな感じすんね。クラスの中じゃあんまり目立たない感じの『言われてみれば、あの二人って確かに仲良いかも~』ってヤツ」
ずいぶんと微妙な例えだな。パッと見だと全然キラキラしていない、だけど二人だけの光り輝く世界がある……六等星みたいな立ち位置。
それを私と彼方さんが? いやいや、さすがに気が早すぎる。だってまだ、出会って五分も経っていないんだよ?
そりゃ、スタートダッシュの十秒ちょっとで『鼻水石油』でひとしきり盛り上がったら、そう錯覚しても仕方ないけどさ……それ由来で私を友達認定されても、私への責任が大きすぎるよ。
「友達か……こういう出会い方もアリ、なのかな?」
「アリアリ! もうこうなったら、ウチとさやかはマブ……くしゅうっ!」
「ねぇ、本当に大丈夫なの? そんな辛いなら、もう保健室で休んでた方がいいんじゃない?」
「ふっふっふっ。ウチは天才なので、ちゃ~んと対策は考えてあるよ! じゃじゃ~ん!」
ドヤ顔でスクバから取り出したのは、鼻栓とマスクだった。どうやらこの自称天才は、約二時間の入学式を口呼吸オンリーで乗り切るつもりらしい。
「マスクしてりゃ、鼻栓は見えま
ほ~ら言わんこっちゃない。彼方さん、あなたの鼻は現代日本には適していないの。まずはその事実を受け入れるところから始めよう?
「ちょ、そんな人を憐れむような目で見ないでよさやかぁ。ぱっちり二重をベースにした、かわいい顔が台無しだよ~?」
「か、かわ……!? って、そうじゃないでしょ! 私は彼方さんのことを心配してるんだから!」
褒めるにしてもクセが強いというか、いちいち知らない角度からくるんだよな。彼方さんって、いつもどんな視点からモノゴトを見ているんだろう……?
わけの分からない問答をしているうちに、教室にいた他のクラスメイトたちが廊下に並びだす。前の時計を見ると、長針が『8』の地点に差しかかろうとしていた。「もうこんな時間になってたんだ。彼方さん、私たちも並ぶよ」
「へ~い」
天才モードとなった彼方さんを先導する。立ち上がっても相変わらず猫背だし、マスクのせいでクマがより際立っている。
初日とはいえ、ここまでJKらしさがゼロに近いのも珍しい。制服の力だけでギリギリJKを保てているが、それも時間の問題だろう……そのうち個性が没個性を塗り替えにくるから。
「新入生、入場」
アナウンスとともに、私たち一年生の入場が解禁された。入学式の会場となる体育館はなかなか広く、少しだけプレッシャーがかかる。
まあでも、基本的に長時間腰かけるだけで……名前を呼ばれたら返事して、課題曲を二曲歌えばいいだけだ。校歌の方は初見なので、最悪口パクでもいい。
出席番号順に指定の椅子に座る。いざ、華のJKライフの幕開けだ!
「続いて三組……
「はい!」
式は中盤、我らが三組の順番がやってきた。な~にも難しいことはない、ただ『乃乃崎さやか』という単語が聞こえたら『はい』と口にすればいいだけだ。
「
「っは、はいぃ……」
彼方さん!? ここの返事大事だよ、一体何があったの!?
……そうか、今の彼方さんはマスク鼻栓! ここまでずっと口呼吸、しかもマスクによる乾燥のダブルパンチで、彼方さんの喉は言葉を出せるほどの潤いがない!
――多選彼方、敗北……!
「……次、
「はい!」
ああ彼方さん、恥ずかしすぎて完全に下を向いちゃってる! 顔を抑えても、もう既にマスクで半分隠れてるから! それ意味ない!
気持ちは分かるけどもう少しだけ耐えてね、これ一応『式』だからね?
「乃乃崎さやか」
えっ、ちょっと待って、もう私の番!? 彼方さんが二十一番で、私が二十八番だから……体感時間って、こんなに短いんだ!
ヤバい、急に緊張してきて、私の喉も砂漠化してきてる! 一旦唾を飲み込ん……いやいや、そんな時間ない!
――こうなったら一か八か、勢い任せに返事するしかない!
「……は、はぁっ、いっ……!」
喉から飛び出た私の声は、その勢いを保ったまま盛大に宙返りする。裏返った、たった二文字『はい』と言うだけだったのに。
二文字でしくじるって、いうなれば『告白するかしないか』みたいな、もっと甘酸っぱいシチュエーションでこそ映えるのに。『入学式の返事』というシチュには絶対合わないって!
――乃乃崎さやか、敗北……!
恥ずかしい! 前を向いて『私、何かしましたか?』なんて、すまし顔で乗り切れないほど恥ずかしい!
たまらず赤面を抑えつつ下を向いて、寒さで冷えた手で熱を鎮めようとする。ああこれか、彼方さんの思いが伝わった気がする。
もう式が終わるまでこうしてよう。『悪目立ちして恥ずかしい』なんて感情はどこにもない。
コップにどれだけ水を注いでもコップ分しか水を注げず、あとは溢れるだけ。それと同じだ。既に許容量なみなみの恥に追い恥を注いだとて、もうな~んにも変わんない。
彼方さんもきっとそうだろう、追い恥をものともせずひたすら悶え続いてい……あっ。
――乃乃崎さやかと多選彼方。『鼻水石油』という奇妙な邂逅をした二人。
そして入学式の返事でしくじった者同士の、おそらく最悪の目の合い方をした。
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