転生悪役令嬢の、男装事変 〜宰相補佐官のバディは、商会長で黒魔女です〜

瑛珠(えいじゅ)

潜入任務は、女装?して


 王都の誇る巨大で豪奢ごうしゃな劇場は、最初に主演をした俳優の名に『オルガ』と名付けられている。

 石造りで、観覧席は三階建て。ステージには赤い緞帳どんちょうがあり、両袖には王族や高位貴族のみが着席を許される特別観覧席が設けられている。そこには身元のしっかりした専任のコンシェルジュが配備され、ワインや軽食の用意はもちろん、演劇の解説まで行うことがあるのだとか。

 

 その『オルガ』で数か月に一度行われる『仮面舞踏会マスカレード』に出ることが、上流貴族たちの秘密の遊びとして流行していた。この時だけは、一階全体が巨大なシャンデリアの燦然さんぜんと輝くダンスホールとなっている。


 今夜も開かれた仮面舞踏会で、全面もしくは半面のマスクをけドレスアップした人々が、会話やダンスに興じているのを――壁際で冷ややかに眺めるふたりがいる。

 

「なかなかサマになっているじゃないか」

「……恐縮でございますわ」

「ふ」


 ひとりは、スタンダードな黒タキシード姿。黒いシルクハットの脇からのぞく髪色はシルバーブロンド。えり足が少し癖毛で跳ねている。

 もうひとりは、ネイビーのベルベット素材にベージュのレースが美しいロココ調フリル袖のドレス姿。首半ばまで覆うハイネックで、華奢な肩の部分だけ布が抜かれた変形オフショルダーのデザインだ。ブルネットのハーフアップヘアスタイルに合っている。

 

 ふたりとも、顔のほとんどを覆うような白地に金糸のマスカレードマスクを着けているため、その面貌めんぼうは判然としない。特に女性の方は、マスクの目の部分にまで細工が施され、瞳の色すら分からなくしてある念の入れようだ。

 

「化けたものだな」


 タキシードの男性は重低音が鼓膜に心地よいバリトンボイスで、声にもハンサムさがかもし出されるのか、チラチラと参加している女性たちが視線を向けている。

 

 だがそんな彼のアクアマリン色の目は、連れの女性を射抜くように――仮面越しでもその鋭さが分かる――見ていて、周囲には全く興味がなさそうである。一方の女性は、所在なさげに持っていた羽根素材の黒い扇を広げ、口元を隠しながら低い声で告げる。

 

「からかうと――化けのツラの皮が剥がれますよ」

 

 その声は、華奢な体形に似合わず低めでハスキー。女性というより声変わりしたばかりの少年の様な軽やかなテノールだ。

 

「くく。すまん」


 いさめる声にも全くこたえていない様子の男性は、するりと女性の右手を取り、滑らかな所作で顔を近づけ耳打ちをする。


。任せてくれたらいい」

「……はい」

「いくぞ」


 エスコートされる先には、むせかえるような香水とワイン、人々の熱量と危険な遊びへの期待と高揚が溢れかえっている。


反吐へどが出そうだ」


 思わず呟いた女性の声は小さく、喧騒に負けて男性の耳までは届かない。

 

「何か言ったか?」

「いえ。うっぷ」


 思わずそう吐き出したパートナーに対して、男性は優しい言葉をかけた。

 

は窮屈だろう。今夜だけだ。なんとか耐えてくれ」

「わかってます」

 

 

 ――虎穴こけつらずんば虎子こじを得ず。



 の有名な故事成語を思い浮かべ、は肩に力を入れた。




 ◇




 仮面舞踏会の数日前――


 

 王都の最も栄えたエリアにある赤レンガ造りの頑丈な建物は、入り口に『YOROZU』という不思議な言葉の看板がかかっている。窓ガラスには複雑な編み目の白レースのカーテンがかけられ、日の光を遮らないものの、覗きこんだとしても中を窺い知ることは難しい。

 扉を開けるとすぐ、来客に即時対応できるカウンターがある。後方には事務机が並び、大きな背のパーテーションや棚など、さりげなく来客の視界を塞ぐ工夫がされている。

 そんな『ヨロズ商会』の最奥に設けられた、限られた客しか入ることを許されない応接室で、ふたりの人間が向かい合わせに座っていた。

 

「じょそおぅっ!?」

 

 突然金切声を上げたのは、非常に華奢な青年――というより少年と言った方が正しいくらいの、小柄な眼鏡の男性だ。癖のあるブルネットのショートヘアで分厚い眼鏡を掛け、首元にスカーフを巻いた白い開襟シャツの上には黒いジレ(ベストよりも丈が長いもの)を身に着けている。そんな彼は、ソファから飛びあがるようにして仁王立ちになり、固まっていた。


「ああ」


 その様子を冷えた目で見上げながら、ソファに座ったまま軽く頷いて見せるもう一人の男性は、ウェーブがかったシルバーブロンドを耳にかけ、アクアマリン色の瞳を持つ美丈夫だ。白いフリルのついたドレスシャツに、品の良い濃紺ベルベットジャケットを身に着けている。ソファに腰かけていても、組んだ足を見れば長身なのが分かる。

 

「わ、わ、わたしが、じょじょ女装するってことですか!?」

「その通りだ」

「なんでっ!?」

「商会長の君こそが、この任務に適任だからだよ、アル」

「っいいいい意味がわかりません!」

「依頼料は、前金でかなり払っているはずだが」

「うぐぐぐぐ……いいいくら仮面舞踏会だからって、このわたしごときがですね、ゆゆ由緒あるヴァラン公爵家ご令息ロイク様のご随伴ずいはんたまわるだなん」

「長い。簡潔に言え」

「無理ですっ!!」


 その拒絶にロイクは、怒るどころか肩を揺すって笑い始めた。


「ククク……俺にそう拒否の言葉を放てるのは、アルぐらいだぞ」

「ご無礼を!」


 がばっ!

 

 アルは、慌てて腰を直角に折って頭を下げた。下げた後、ずり落ちそうになった眼鏡をくいっと直す。

 

「いや、いい」

 

 ゆったりした態度でアルに再び腰を下ろせと促すロイクは、今までの紳士的な態度とは打って変わり、よく言えば気安く、悪く言えば傲慢ごうまんになった。


「はあ。その報告書を見るにだな。仮面があるからって好き放題だろ」

「……そのようです」


 ロイクが顎で指すのは、ローテーブルにばさりと放り投げられたままの報告書だ。アルはそれらを手早く回収しトントンと紙の端を天板に打ち付けるようにして揃えながら、またソファに着席した。

 『ヨロズ商会』は、表向きは織物問屋だが、裏では情報を品物として取り扱う。ロイクの依頼は、数か月に一度有名な劇場で行われている『仮面舞踏会』の調査報告だった。

 そしてこの報告書は、アルの部下であるニコが給仕きゅうじ見習いとして潜入し、探った内情を書面にまとめたものである。


 仮面を着けた貴族たちがつどえば、そこで怪しげな取引や密談が行われるのは必然である。二十歳という若さで宰相補佐官の地位にあるロイクは、を追っていた。そのうちに、情報を扱うヨロズ商会に辿り着いたというのが事の経緯だ。

 

給仕きゅうじとしてはなかなか踏み込めないところまでよく見てくれた。報酬ははずもう」

「ありがたいです」


 その報告書を見るだけでここまで洞察できるロイクもまた、油断ならない。アルは自然と姿勢を正す。


「だが、まだ足りない」

「しかしこれ以上は……危険です」

「なあ、アル」

「はい」

「殿下は、来年早々卒業を控えている」


 この『殿下』というのは、セルジュ・ラブレー。ラブレー王国第一王子だ。

 プラチナブロンドに深い青の瞳を持つ見目麗しいロイヤルの姿を、アルは頭の端で思い浮かべる。

 

「貴族学院、でしたか」

 

 アルはそう問いながら、思わずゴクリと苦い何かを吞み込むような顔をした。それを見たロイクは、アルの背景に学院に関する何かがあるのを察しつつも、それには気づかないフリをする。組んだ足を下ろし両膝の上に肘をつけるようにして前かがみになった。じ、とアルを見据える迫力は、並の人間なら間違いなく腰が引けているだろう。


「そうだ。それまでに、決着をつけたい」


 ところが、アルは怯まずにロイクを見返し、口を開く。

 

「殿下が学生のうちに、とこだわる理由をお聞かせ願えますか」

「……俺の自由がなくなる」

 

 公爵令息のロイクは、将来王太子となるセルジュの側近であり、いずれは宰相の地位にくことがほぼ決まっている。公爵家は次男が継ぐらしい。ある程度の爵位であれば誰でも知っていることだ。

 それを『自由がなくなる』と表現することに、アルは違和感を持った。


「不思議に思うか?」


 表情の変化ですぐに相手の心を読む、油断のならないアクアマリン色の目が冷たく光る。

 この男はただの公爵令息ではない。踏み込んではいけない――本能がそう告げているものの、アルの好奇心は止められるものではない。


「次期宰相として王宮に縛られる前に、ですか。あ、婚約者も勝手に決められちゃうんでしたっけ」

「! さすが耳が早いな。殿下と同時に、俺も決めろということらしい。誰があてがわれるんだか」

「あてがわれるって……ロイク様でさえ、自分でお相手選べないんですか?」

「選べんこともないが」

「ご興味がない、と」

「扇バッサバサで臭い香水と愛想振りまくのを、好きになれと?」

「……あー」

「どこのドレスがいいだの、宝石はどれが好きだの、挙句の果てに実家には相応の便宜を図れだのと」

「あーあーあー! すみませんでしたっ!!」

「ックックック」


 常に冷静な宰相補佐官が、額に手を当てながら肩を揺らす姿は、珍しい。

 だがそれを知る由もないアルは、あわあわとロイクを慰める言葉を探している。そんな若い商会長の様子をロイクは面白がっているのだが、態度には出さない。


「それはさておき、アル。仮面舞踏会は、男女ペアでないと入れない」

「話戻します!? いやいや、だからと言ってですね」

「それだけ華奢なら、大丈夫だ」

「はああああああああああ!?」


 アルはとにかく全力で拒否する。女装なんて、冗談ではない! と叫ぶ。

 

「大丈夫もなにも! いやですってば!」

「金貨二枚でどうだ」

「うぐう!」

「成功したら、さらに一枚積もう」

「ぐぬぬぬぬっ」

 


 そうして軽い口ぶりでヨロズ商会の売上約三か月分を優に提示されてしまい、泣く泣く依頼を受けたのだった。

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