やたい
やたい
男が仕事帰りに通る道に毎日ではないが、大体屋台をみる。
良い匂いがする屋台だ。
少し長い暖簾が掛かっていてなんの屋台なのかよくわからない。
暖簾も濃い紺色の無地で何を売っているのかもよくわからない。
屋台からは地面に置かれた長椅子が見えるくらいだ。
匂い的にラーメンではない。
ならおでんだろうか、確かにそんな感じの匂いと言えばそうだ。
だが、気になりはするが、屋台に立ち寄るだなんてことを男は今までしたことはなかった。
興味はあるのだが、その暖簾をくぐるには少々勇気がいる。
その日は会社で飲み会があり、男は少々酔っていた。
だからだろうか、気が大きくなってた。
紺色の長い暖簾をくぐるくらいには。
男は一人でその暖簾をくぐる。
屋台の主はまだ若い男だった。
男よりも大分わく見える。
二十代そこそこ、そんな感じの年齢だ。
売っている物はやはりおでんだった。
男は暖簾をくぐり、長椅子に座る。
そして、屋台自体初めてなんだけど、注文していいのか、と屋台の主人に聞く。
まだ若い主人は少し驚いた顔を見せたが、今はまだ良いですよ、と答えた。
その答えに男は少しだけだが、カチンと来る。
ただそれを表に出すほど男は若くはない。
なんだ、もう閉店ですか、と男は屋台の主人に伝える。
屋台の主人は少し困った表情を見せて、少しの間を持ってから答える。
そう言うわけではないんですが、ここを普段利用するお客様達は厄介な方々が多いですので、と答えた。
客を厄介呼ばわりしている主人に男は更に憤りを感じるのだが、それと同時にその筋の人々が主な客なのかと納得もする。
それなら確かに、あまり長居するのは良くないのかもしれない、とも少し肝を冷やす。
そして、なら、一品だけ頼んでいいですか、と主人に問う。
主人はもちろんです、と、愛想の良い笑顔で応える。
男は大根を注文する。
酒も、と思ったが、飲み始めてしまったら長居してしまうのでやめておいた。
出された大根は、よく煮込まれ箸で簡単に割れるほど柔らかく、ダシもが良く染みていてとても旨い。
男は主人に、もう結構お遅い時間ですが、他のお客さんはいつ頃来られるのですか? と聞いた。
もうすぐ夜中の時間にもなろうとしている時間だ。
かなり遅い時間であるが、その筋の方がお客ならそんなもなのかもしれない、と男は思った。
だが、主人は答える。
ああ、今日は大分早い、もう来てしまわれました、お代は良いですからなるべく早く帰った方がいいですよ、と。
暖簾が揺れる。
次に長椅子が軋む音がして何者かが長椅子に座る。
が、男にはそれが見えない。
男が大根を食べる手が止まる。
主人が何か親し気に話し出す。ただの世間話のようだが、男には主人の独り言に見える。
だが、それが独り言ではない、確かに誰かと話の受け答えをしているのが男にはわかる。
自分の隣に見えはしないが、異様な存在感を感じていたからだ。
しばらく男が頬けていると、暖簾がまた揺れ、長椅子にまた何かが座り軋む音がする。
無論、男に見える者は何もいない。
男は半分食べた大根を見て、慌てて、財布から千円札を取り出し、これで足りる? と置く。
主人は笑顔で頷く。
男はその場から走り去るように逃げ出した。
それからも、その屋台を見る。
男はあのおいしいおでんが味恋しくはなるのだが、あの屋台の暖簾をくぐることはない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます