ざっきょびる

ざっきょびる

 男はネット通販の仕事をしていた。

 事務所は東京にある雑居ビル内にある一室だ。

 とても古い雑居ビルだが駅から割と近くある、そんなところだ。


 それはお盆の時期だった。

 ネット通販自体には休みはない。

 なので、お盆休みの時期でも、何かあった時のために一人は事務所にいるのが当たり前だった。


 その日の当番が男の番だった、それだけの話だ。


 男は遅刻することなくその日も通常の時間通りに会社に来る。

 普段の満員電車が嘘のように空いていて楽なほどだ。

 それに会社に行っても自分一人だけだ。

 なにかと気が楽だ。

 男はビルに入って、警備会社のカードを通し警備システムを切る。

 それとなく他の部屋のも見るが、どの部屋も警備システムが起動したままだ。

 どの会社も休みなのだろうと、男にも察せられる。

 薄暗く長い廊下を歩き、二階へと上がる。

 エレベータもあるが、事務所は二階なのでそれに乗る必要もない。

 鍵を取り出し、事務所に入る。

 ブラインドが閉じられ薄暗く静かな事務所だ。

 夏だからか空気も暑く籠っており淀んでいる。

 

 男はとりあえずエアコンを入れて、ウオーターサーバーからお茶を入れてから、ラジオを付ける。

 それからブラインドを開け、パソコンの電源を入れて、それから軽く事務所に掃除機をかける。


 これは日課のようなものだ。


 掃除機をかけ終えたら、自分の席に着き、メールを見る。

 特別な指示も、何かトラブったメールも届いていない。

 あたりまえだ。

 客とのやり取りも、賞品の発送も実店舗の方でやっているので、事務所の方にそんなメールが届く方が稀だ。

 男は前日の夜遅くに送られてきている在庫票の内容を、ネットの在庫に反映させる。

 それで今日の仕事は終わりだ。

 楽なものだ。

 あとは時間いっぱい悠々自適に定時まで過ごせばいいだけだ。

 お盆休みのこの時期なら、電話すらかかってこないだろう。

 なにせ取り扱っている商品のメーカーも休みなのだから。


 男は適当にネットを見てお茶を飲みながら時間を潰す。

 長い、無駄に長い、一日の始まりだ。


 十一時を過ぎたころか、もうすぐ昼休みの時間と言うところで事務所のチャイムが鳴る。

 こんな時期に来客か、と男はすぐに事務所のドアを開ける。

 が、そこには誰もいない。

 シン、と静まり返る昼でも薄暗い日のはいらない生暖かい空気の廊下があるだけだ。

 もちろん人がいた形跡もない。


 男は首をひねり、ドアを閉める。

 そんなことが短い時間に三回から四回ほど起きた。

 不思議なことに男が出なければチャイムは鳴り続ける。

 なので、機械の故障と言うわけではないように思える。

 玄関のドアを開けっぱなしにしてみようかと思ったが、流石にエアコンをつけておいてそんなことはできない。

 男は不気味なものを感じつつも、そのチャイムに対応しなければならなかった。


 十二時になりお昼の時間になる。

 その頃には、チャイムが鳴るのも収まっていた。

 男は事務所に鍵をかけコンビニに弁当を買いに出る。


 男が帰ってくると、事務所のチャイムが、ピンポーンポンポーン、ピンピンポーンと鳴っていた。

 無論、事務所の前のチャイムの前には誰もいない。

 やはり機械の故障なのだろう、と思い鍵を取り出して事務所を開ける。

 そうすると、チャイムも止まる。

 扉と連動してるのかと、男は考えるがそんなことあるとも思えない。

 とりあえず、帰り際にでも、入口のチャイムが壊れたと社長にメールで投げておけばいい。

 今、メールで投げると面倒ごとに巻き込まれるかもしれない。

 帰り際で良い。

 男は買ってきた弁当を食べ始める。


 食べ終わり一息つき、男は軽く仮眠をする。

 そうして時間は無駄に過ぎていく。


 十五時を過ぎたころだろうか。

 男は腹の具合が悪くなる。

 昼間食べた弁当が悪かったのだろうか。


 男は事務所を出て共用のトイレへとすぐに駆け込む。

 その際にもこの階にある別の部屋はやはりしまっている。他の会社は休みのようだ。

 男は個室に入り、用を足す。


 一息ついたことで、小便器の流れる音が聞こえてくる。

 誰かいたのか、そう思うが少なくともこの階には人がいないし、他の階にいたとして、わざわざ別の階にまでくる必要もないはずだ。

 それ以前にトイレ自体のドアを開けた音すら聞こえなかった。

 男が個室から出ると、小便器に水は流れているがやはり人はいない。

 手を洗うために男が洗面台の前に立った。


 洗面台には鏡がある。


 男は確かに見た。鏡に映った男の後ろに黒い人影が通り過ぎるのを。

 一瞬だったため、どんな人物かはわからない。

 ただ黒い影がいたのは事実だ。

 男は急いで事務所に戻り、事務所のドアの前に「チャイムが壊れています。御用の方は声をおかけください」と張り紙をして、事務所に定時まで引きこもった。


 途中なんどかチャイムが鳴ったが、男は無視したし、声がかけられることもなかった。


 男が一人で番をするような機会は何度かあったが、このようなことが起きたのはお盆の時期だけだった。



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