第5話 旅の支度

 「では、わしは明日の朝、勇者殿たちを迎えに上がろう。いろいろと支度したくもおありだろうからな」

 とシオン近衛隊長が言いました。

 勇者の一行がエスタに来てくれるというので隊長は上機嫌でした。

 こんなことまで言い出します。

「人のことばを話す魔犬殿も一緒では、馬で行くのは難しいだろうな。馬車を一台準備して参ろう」

 魔犬呼ばわりされて、ポチはちょっと複雑な顔をしました。


 すると、フルートが首を横に振りました。

「いいえ、ぼくたちは自分たちだけで行きます。隊長さんは先にエスタ王の元へ行って、ぼくたちのことを伝えておいてください。勇者の一行が大男と白いライオンとこびとの軍団だなんて信じられていたら、ぼくたち、すぐに追い返されちゃいますから」


「い、いやしかし、それは……」

 近衛隊長はフルートたちが同行しないことに不安を感じたようで、疑うようなまなざしを向けてきました。

「金の石がぼくを呼びました。魔法の金の石に誓って、ぼくたちは必ずエスタ王の元に行きます。どうか信じてください」

 とフルートが言います。


 こうまで言われると隊長もそれ以上は無理強いすることができませんでした。

 路銀ろぎんにするように、とかなりの金額の金貨を残して、家を出ました。


「くれぐれも気をつけておいでなされ。道中にエラード公の手の者が待ちかまえているかもしれん。わしはすぐに使いをやって、国境まで迎えの者をよこそう。エスタに入って間もなくのところにケイトという街があって、近衛隊の支部隊の詰所がある。そこに必ず寄って、迎えの者と共にカルティーナまで参られよ。わしは陛下のおそばで待っておるから」


 そう言い残して、隊長は馬にまたがり、畑の間の道へ消えていきました。

 道は西の街道につながり、街道は遠く東のエスタ国まで続いています。 


「ったく、物騒な話だよな」

 ゼンがいまいましそうにつぶやきました。

 フルートは、ちょっと笑いました。

「金の石が呼んでるんだもの。物騒じゃない状況なんてありえないよ」

「そりゃそうだけどよぉ」

 ぶつぶつ言う親友に、フルートは言いました。

「ゼン、本当に来てくれてありがとう。ぼく、君がここにいてくれたらいいのに、って本気で考えていたんだよ」


 ゼンは目を丸くすると、すぐに照れたように笑顔になりました。

「へへっ。なんかタイミング良すぎって気もするけどな」

 家の戸口の前で、フルートとゼンはしっかりと抱き合いました。

 ワンワン、とポチが尻尾を振りながら足下で飛び跳ねます。

「ほんとにすごい偶然ですよね! またみんなで旅ができるんだ! すごいなぁ、嬉しいなぁ!」


 すると、ゼンがフルートから離れて意味ありげに言いました。

「もしかすると偶然じゃないのかもしれないぞ」

 と背負ってきた弓を外して見せます。

 フルートとポチは、あっと驚きました。

弓弦ゆづるが切れてる……!」

 ゼンが持っているのは、白い石の丘のエルフからもらった魔法の弓でした。

 元は二メートル近い大弓なのですが、持ち主の身長に合わせて大きさが変わます。威力も並はずれて強いのですが、その分張りが非常に強いので、怪力のゼンでなければとても引くことができません。

 そんな弓の弦が途中でぷっつりと切れて、弓の両端から垂れ下がっていました。


「一週間前に突然切れたんだ。それまで、どんなに無茶な使い方をしてもびくともしなかったのにな。俺たちは猟師だから、弓も自分たちで修理するんだけど、これはエルフの魔法でできた道具だから直せないって親父たちに言われてさ、しょうがないから白い石の丘まで直してもらいに行くところだったんだ。で、どうせ南に行くなら、おまえにこいつを返そうと思って、おまえんちに寄ったんだ……」

 そこまで話すと、ゼンはピーッと鋭く口笛を吹き鳴らしました。


 とたんに、荒野の彼方から馬のひづめの音が聞こえてきて、二頭の馬が駆けてきました。

 全身が栗毛の馬と、額に白い星のある黒馬です。どちらの馬も初夏の光に全身を輝かせています。

 栗毛の馬を見たとたん、フルートは歓声を上げました。黒い霧の沼の戦いの時、北の峰でゼンの父親に預けていった、フルートの馬だったのです。

 馬のほうでもフルートを覚えていて、嬉しそうにいななくと、半年ぶりに再会した主人に鼻面をすり寄せてきました。


「うわぁ、コリン! すごく元気そうだね……! とてもよく面倒を見てくれていたんだね、ありがとう!」

 フルートが大喜びしたので、ゼンも得意そうな顔になりました。

「洞窟のドワーフは馬には乗らないけど、猟師の俺たちは馬を使うんだぜ。こっちの黒星くろぼしは俺の馬さ。こいつもいい馬だぜ」

「よろしく」

 とフルートはゼンの馬に挨拶しました。フルートは牧場の子どもなので、動物には特に親しみがあるのです。

 ポチもワンワンと吠えて、犬語で二頭の馬たちに挨拶をしていました。 


 ひとしきり喜んだ後、フルートはきっぱりした顔になって言いました。

「これでぼくたちのルートが決まったよ。ぼくたちは南へ向かう。白い石の丘のエルフのところに立ち寄って、ゼンの弓を直してもらったら、東の国境を越えてエスタの国に入るんだ」


「街道を通らないのか? 隊長が言っていたケイトの街は、街道沿いにあるんだろう?」

 とゼンが聞き返すと、フルートは考える目を道の彼方へ向けました。

「ぼくたちにエスタに来てもらいたくない人たちがいるんだ。街道を通ってカルティーナをめざしたら、一発で見つかって襲われちゃうよ。魔物ならともかく、人間とはできれば戦いたくないからね」

「なぁるほど。それで隊長とは別行動を取ることにしたのか……。俺はいつでも出発できるぜ。なにしろ旅の途中だからな。おまえの方の準備さえ整ったら、いつでもOKだ」

「うん、今すぐ支度したくするよ。待っていて」


 フルートがすぐに家に駆け込もうとしたので、ゼンは目を丸くしました。

「おい、今すぐと言ったって、おまえの親父さんやおふくろさんに挨拶はしていくんだろう? そんなに焦らなくても……」

 すると、フルートが真剣な顔をゼンに向けました。

「ぼくたちを邪魔に思っている奴らが、のんびり待っていてくれると思うかい? ここを立つのは一刻も早いほうがいいんだよ」

 一見おっとりして見える優しい顔が、大人のように厳しい表情を浮かべていました。エスタの近衛隊長が見たら、また意外に思って驚いたかも知れません。


 ゼンは肩をすくめました。

「おまえの言うとおりだな。よし、俺も支度を手伝うぜ」

「お父さんたちには手紙を書き残していくよ。金の石に呼ばれたから東へ行く、とだけ書いていく。それできっとわかってくれるはずさ……」


 ちくり、とフルートの胸が小さく痛みました。お父さんとお母さんが夕方家に帰ってきて、息子が無断で旅立ってしまったと知ったら、どんなに悲しむだろうと考えたのです。

 手紙には詳しいことは書き残せません。きっと、二人ともとても心配することでしょう。

 でも、フルートは金の石の勇者です。石に呼ばれたら、すぐに行かなくてはならないのです……。


 フルートはゼンとポチに言いました。

「食料と薬草が裏の倉庫にあるんだ。ポチ、ゼンを案内して必要そうなものを選んでもらってよ。ぼくは装備を整えるから」

「ワン、わかりました」

「俺も薬草はけっこう持ってきた。金の石もあるしな。必要最小限にしておこう」

 ポチとゼンは家の裏へ走っていきました。


 フルートは家の中に入ると、居間のテーブルに立てかけておいたロングソードを取り上げ、続いて、自分の部屋の壁から黒い大きな剣を下ろしました。

 炎のつるぎと呼ばれる魔法の剣です。

 さらに、部屋の戸棚からは銀色の鎧兜よろいかぶとを、ベッドの下からは丸い鏡の盾を取り出しました。どれも、黒い霧の沼の戦いのときに手に入れた、選りすぐりの装備品です。

「よし」

 フルートはひとりうなずくと、手早く装備を身につけていきました。


 窓の外を風が吹き抜けていきました。

 風は荒野を渡り、遠い空に戻っていきながら、かすかに悲鳴のような音を立てていました――。

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