エピローグ これからのわたし 2/2
「智香っ。きょ、今日は、調子どう?」
「……うん、もう大丈夫。おはよ、沙織ちゃん」
おにいちゃんとの時間からしばらくが経って、早朝の教室。
昨日とは打って変わって、雨の中を心持ち軽やかに登校したわたしは、目線の先から一目散に駆け寄ってきた沙織ちゃんに笑顔で接して、そう声をかけた。
「……! よ、良かったぁ……その表情なら確かに大丈夫そう」
「そ、そんなに昨日のわたし、酷かったかな?」
「酷かったってもんじゃないって! 身内でも亡くなったんじゃないかってくらいどんよりしちゃっててさぁ、私も含めてクラスのみんなすっごく心配してたんだから」
「そ、そうなんだ。ごめんね、心配かけちゃって」
「ほんとにねっ! 智香はうちのクラスの象徴的存在なんだから常に可愛く元気でいてくれないとっ!」
「……あはは」
若干怒り気味に言う沙織ちゃんに対してわたしは苦笑する。
あまり記憶に残ってないから正直何とも言えないけれど、心配をかけちゃったことは間違いなく事実。
だから……何か、謝罪の意を込めて、沙織ちゃんにしてあげられることはないかな?
『ありのままの智香ちゃんの方が……俺は、好きかな』
「……ありのままの、わたし」
学校でも、わたしはいい子で在り続けようとしていたけれど。
……もう、いいかな。
そんなの必要ないや。
信頼の置ける沙織ちゃんの前でなら、尚更。
「? 智香?」
「沙織ちゃんって、すっごく可愛いよね」
「……へ?」
「えへへ。沙織ちゃん大好き~っ」
──ガバッ!
わたしは沙織ちゃんに抱きついた。
「え……はっ、へ、へえぇええええッッ!!?」
当然、驚いて声を上げる沙織ちゃん。だけどわたしは構わずに耳元で話し続ける。
「昨日はごめんね、色々落ち込んじゃってて。だからその分今日は沙織ちゃんに甘々するぅ~」
「と、智香っ!? な、なに、どしたの急にそんならしくないっていうかそのッ……や、柔らか、めっちゃいい匂い……」
「沙織ちゃんもいい匂いだし柔らかいよぉ。好き~」
「い、いや、智香には劣るって……あ、ああ、だけどこういう子供っぽい智香もアリかも……ッ?」
「好き~」
「はえッ……わ、わたしも好きーッ!?」
沙織ちゃんと二人で仲良くはしゃいでいると、周りで見ていたクラスメイトのみんなも「う、うちらも混ぜて混ぜて~!」とか、「百合の波動を感じるッ」なんて言い出す男の子がいたり。
……百合ってなんだろう?
ともあれ、そんな賑やかな朝を過ごしていた。
お昼近くになると、今日も宮内先輩からLINEでのお誘いが届く。
休み時間中、スマホを手に取って通知欄からLINEを開くと、『今日はお昼どうかな?』っていういつも通りの文面。
昨日は既読無視しちゃったし、そういう意味では今日はお付き合いするべきなんだろうけど……。
『ごめんなさい、他に予定があるので』
わたしは迷わずそう打ち込んで、返信していた。
「……ふふっ」
とても気持ちが吹っ切れていた。
多分、これから先は、宮内先輩とお昼を一緒に過ごすことはほぼ無くなると思う。
だって、学校にいる間はお昼休みが一番の──
『お兄ちゃん。一緒にお昼食べよ?』
おにいちゃん宛にメッセージを送信して、LINEを閉じたわたしは胸に両手を当てて、思いを馳せる。
「……早く、会いたいな……」
お昼休みに入ると、わたしは沙織ちゃんたちに声をかけてから二年二組の教室まで一目散に向かう。
早く会いたい。早くおにいちゃんに会いたい。
ずっとずっと我慢してて、もう限界。
早くおにいちゃん成分を摂取しないと、わたし耐えきれなくて死んじゃう……ッ!
逸る気持ちを抑えきれずに廊下を駆けて、階段を上がっていく。
廊下を走るなだなんていう校則、どうだっていい。
わたしは……もう、周りの目なんて気にしない。
「──おにいちゃんっ!」
二年二組の教室の扉をバンッと開きながら、わたしは大きな声で呼びかける。
人気が薄くなった教室内で、おにいちゃんは伊月先輩や長田先輩たちと一緒に談笑している最中だった。
……。
また、長田先輩と仲良くしてる。
……おにいちゃんのバカ。
「お、お疲れさま、智香ちゃん。……こ、ここでその呼び方はちょっと……?」
教室の入口付近まで歩み寄ってきてくれたおにいちゃんは、困った表情でわたしの名前を呼んでくれた。
いつもなら、ここでおにいちゃんの言うことをちゃんと聞くわたしだけど──
「えへへ、やだ。おにいちゃんはおにいちゃんだもん」
もう、遠慮しない。
わたしの、おにいちゃんの傍にいたいから。
「い、いや、でもなぁ……?」
「……おにいちゃんが言ってくれたんだよ? ありのままのわたしの方が好きなんだって」
「そ、それは、確かに言ったけども」
「ふふっ、だからぁ……おにいちゃあ~ん」
「ちょッ!?」
あえて周りに見せつけるように、わたしは全身を使っておにいちゃんにぎゅうっと抱きつく。
おにいちゃんの匂い……はあぁ……おにいちゃんの匂い~……。
わたしにとっての精神安定剤~……。
好き~……大好きぃ~……。
「お、おい千尋……? これは、一体……?」
「あ、いやその、これは決して俺の意思ではなくて」
「お、俺の目の前で堂々と、相川さんと……ッ」
「だから本当に違うんだってばっ!?」
……宮内先輩。
……邪魔だなぁ。
わたしはおにいちゃんに抱きついたまま、目線だけを宮内先輩に向ける。
「あの、宮内先輩」
「え、あ、うんっ。なにかな相川さんっ? ここまで来てくれたんなら俺たちと一緒にお昼──」
「邪魔ですあっち行ってください」
「…………え?」
「わたしとおにいちゃんの邪魔しないでください」
「……じゃ、じゃ、ま……?」
「邪魔です」
「──……?」
冷たく突き放すように言うと、宮内先輩は愕然とした表情で動きをフリーズさせていた。
うん、スッキリした。
これでもう、宮内先輩はわたしに愛想尽かして近寄ってこないよね。
「と、智香ちゃんっ!? 宮内くんに対してなんてこと言うのっ!?」
「だって邪魔なんだもん」
「もんじゃないよもんじゃっ!?」
「おにいちゃあ~ん」
「いやちゃんと話聞いてッ!?」
おにいちゃん以外の男子に興味なんてない。
わたしは、おにいちゃんだけでいいの。
「おーおーこれはどういう騒ぎだこりゃ。よう智香ちゃんっ!」
「……こんにちは、伊月先輩。今日もお元気そうですね。邪魔です消えてください」
「ご丁寧に扱い酷くないッ!?」
だって、伊月先輩が絡んできちゃうと何となくうるさくなるし……邪魔だし……。
「お、おいコラ千尋ッ! おめえ清純な智香ちゃんに一体なに吹き込みやがった!?」
「いやだから俺は何もッ」
「嘘こけっ! おめえ以外いねえだろっ! あんま調子に乗ってるとなぁ──」
────ッ。
「お兄ちゃんを悪く言わないでッ!!」
──カッとなってわたしが叫ぶと、おにいちゃんや伊月先輩、宮内先輩も含めて周りの人たちがシンと静まり返って、わたし一人に注目が集まっていた。
「……と、智香ちゃん?」
「……」
心配して声をかけてくれるおにいちゃんを愛おしく感じながら、わたしは伊月先輩をキッと睨みつける。
「おにいちゃんを悪く言う人は、嫌いです」
「へ……?」
「伊月先輩、嫌い。あっち行ってください」
「……? ……??」
「あっち行ってくださいッ!」
「は、はいッ!?」
強く怒鳴ると、伊月先輩はビクッ!! と肩を跳ね上がらせて教室の端っこへと逃げていった。
……つ、つい怒っちゃった。
わたし自身、起こした行動にすごく驚いていた。
でも、おにいちゃんが悪く言われてると、どうしても我慢できなくて……。
「智香ちゃん、あの……」
「ご、ごめんねおにいちゃん、大きな声出しちゃって」
「あ、いや……」
「き、嫌いにならないで……?」
「き、嫌いにはならないけどね?」
「……えへへ~」
おにいちゃん、優しい。
おにいちゃん好き……。
はあぁ、だいすきぃ……。
「──……ちょっと、相川さん」
「ッ!」
惚気けていると、綺麗に澄んだ声色が、幸せに満ち満ちていたわたしの心をパックリと切り裂く。
名残惜しくもわたしはおにいちゃんから体を離して前を向くと、そこには長田先輩が立っていた。
……やっぱり、いつ見てもすごく可愛くて美人。
わたしとは違って大人びていて、堂々としたその存在感の大きさに思わず萎縮してしまいそうになる。
……だけど、負けたくない。
ここで怖気ついてたら、わたしはいつまで経ってもわたしのままだ。
迫力に屈せず、前を向き続ける。
「目立ちすぎよ、あなた。あまり大きな声出されると周りに迷惑だからやめてもらえる?」
「……す、すみません」
わたしが頭を下げると、長田先輩は大きく息を吐いたのちに、続けて口を開く。
「それで……なに? その感じだと、今日は千尋と二人きりで昼を過ごしたいってわけ?」
──お、おにいちゃんのこと、名前で……ッ!
「~……ッ」
「なによその目」
「……い、いえ、別に」
悔しいけど、長田先輩相手じゃさすがに、強く前には出れない。……わたしとは、格が違う。
モヤモヤしながらも、長田先輩を見据える。
「そ、そうです。おにいちゃんと、二人きりで」
「……ぷっ。おにいちゃんってあなた、いつからそんな子供じみた呼び方してるの?」
「別に、わたしの勝手じゃないですか。長田先輩にとやかく言われる筋合いはありません」
「……ふーん?」
長田先輩はどこか面白がるようにわたしを見た後、「あっそ」と口にした。
「ま、勝手にすれば? 私は隼太たちと適当に昼過ごしてるから」
「……」
「じゃあね」
手短にそう言って、長田先輩が去ろうとする。
……。
何も起きなければ、それが一番で、最善。
わざわざ、わたしから呼び止める必要もない。
──だけど、
「お、長田先輩っ!」
「……?」
わたしの呼びかけに反応して長田先輩が振り返る。
……どうしても、
これだけはちゃんと、わたし自身の声で長田先輩に伝えたい。
わたしの──心の底からの、
逃げも隠れもしない、真っ向からの本心。
「ち、千尋くんは……おにいちゃんはあげません!」
「……は?」
「おにいちゃんは、わたしのモノですッ!」
……長田先輩は、ポカンとした様子でわたしのことを見つめていた。
周りの人たちも、近くでわたしを見守ってくれているおにいちゃんも驚いた顔をして。
でも、これでいいの。
どれだけわたしがおかしな子だと、変な目で見られようとも、これで伝わったはずだから。
わたしが──このわたしが誰よりも、おにいちゃんが一番好きなんだってことを。
「わ、わたしのおにいちゃんに手を出そうとしたら、誰であろうとこの手でぶっ飛ばしますからッ!!」
降り続けていた雨が止み、白く眩しい陽の光が窓から教室中に差し込む。
もう辛い思いはしたくない。
もう迷いたくない。
これからのわたしは思うがままに、躊躇なんかせずに前へ前へと突き進んでいく。
「ぶ、ぶっ飛ばすって、あなた……」
「ぶっ飛ばしますッ!」
「と、智香ちゃん、ちょっと落ち着こうか?」
「ぶっ飛ばしますッ!!」
「いや俺のことぶっ飛ばしちゃダメでしょッ!?」
……すき。
おにいちゃん、だいすき。
この気持ちは、わたしだけのモノだ。
わたしだけの大切な、大切な宝物。
誰にも……譲りたくない。
(1章、了)
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