第11話 レミの回想

 再び時計塔がよく見える高台に戻ってきた。黒服の彼女の後ろ姿をただ見ているだけで、一度も話し掛けることが出来なかった。何か重苦しい空気が、私に沈黙することを要求していた。しかし、その沈黙を破るべく、私は彼女の名前を初めて読んでみる。

「あの・・レミさん」

レミが立ち止まる。彼女は振り返ることなく、そのまま沈黙を守っていた。

「クミコさんが言っていたこと・・正直、私には判らないことが多すぎる。でもね、なんだか希望のようなものが持てる気がする」

何も話さないと、自分の中で微かに芽生えた希望の灯が消えてしまいそうな気がして、とにかくその想いを言葉にした。レミが振り返る。風は止み、太陽は所々浮いている雲の中に隠れた。私たちが立つ高台に影が落ちる。

「母は、私が中学の頃、突然居なくなったの。まるで煙のように。もちろん警察に捜索願いも出した。でも、見つかることは無いと思う。永遠に」

彼女は静かに過去を語り始める。

「母はずっと何かに葛藤しているようだった。ずっと苦しんでいるようだった。その原因がはっきりしない。そうしているうちに母は少しづつ正気を保てなくなってきた。日常の会話に支障をきたすようになっていったの。話していても、突然、脈絡のない受け答えをするの」

レミは両手で丸い木の柵を握り腰掛け、柵の隙間にかかとを乗せる

「医師の診断も要領を得ないものだった。過度な精神的ストレスでとにかく療養が必要って。でもどれだけ休んでも一向に症状はよくならない。それどころか日増しに悪化する一方だった。それが何かの病気なんかじゃないことはわかった。そして母の苦しみの原因はもっとずっと・・こう・・深淵なことなんだと思ったの」

彼女は空を見上げなら続ける。

「その時、クミコさんのことを知ったの。同じように精神を患う人を救う奇跡のシスターってことで、その時はとても有名な人だった。私たちはあの教会を訪れた」

遠くに一筋の飛行機雲が見えた。

「クミコさんは私たちに修道院で暮らすことを提案してくれた。それから母は毎日、クミコさんの洗礼を受けていた。そして症状は回復していった」

飛行機雲はどこまでも伸びていく。どこまでも長閑な空に。

「このまま普通の暮らしに戻れると思った。でも言った通り、そのあと母は忽然と消えた。修道院での生活の跡をそっくりそのまま、きれいに残して」

近くで遊んでいるはずの子供達のはしゃぐ声が、とても遠くから聞こえる気がする。

「私はある時から母の周りに、別の光景がまるで重ね写しのようにダブって見えるようになったの。そしてその残像には母自身の姿も投影されていた。わたしはその時おもった。これは誰か別の人間が見ている映像ではないかと。もしそうなら、その人間は一人しかいない。父が見た光景。母は父のことをずっと思い続けていたと思う。」

「レミさんのお父さんって・・?」

「私が物心つく前に、病気で亡くなったって聞いてる」

鳥の群れが、飛行機雲の方角に遠く消えていった。

「そしてある夜・・私は祭壇で3人の姿をみた。母と、知らない男の人、そしてクミコさん。その男性はたぶん父だと思う。まもなく母はその男性と静かに抱き合った。次の瞬間、私はベッドの上で目覚めた。でもこれは夢じゃないとすぐに思った。現実の出来事なんだって」

彼女は柵を握っていた片方の手で、スカートの裾のフリルに付いた綿埃を払う仕草をした。

「その日を境に、母の周りの残像は見えなくなった。そして母はなにかふっきれたように明るくなった。だから母のなかで、何かが解決したんだと思ったの。その時は」

「でもお母さんは突然消えてしまった」

私は聞いていたことを口にした。

「母の失踪とクミコさんが言っていた代償のことは何か関係があるのかもしれない。そしてそのことはクミコさんにも影を落としている」

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