第8話 サンピラー

 崩壊寸前の玉座の間。


 天井から崩れ落ちる瓦礫が、地に臥す鎧たちに絶え間なく降り掛かった。


 鎧に覆い被さる鎧武者に次第に募りゆく瓦礫の山々が俄かにその甲冑を歪ませていた。


 其の渦の中心には、魔導書を握りしめたウェストラが獣の咆哮たる叫びを上げていた。


「ァァァァッッ!!」


「まずいな」


「…アァ」


 皆が身を寄せ合い、樹木たる長杖から発する淡い緑光が勇者たちを包み込んでいた。


 そして、固唾を呑んで見守っていた。


「荷が重かったか」

「俺の実力不足だ。すまない」

「……ど、どうするの!?」


 エルフは崩れ落ちてゆく玉座の間をキョロキョロと見回す。


「エルフ、すまないが陣を描けるか?」

「陣って?」


「転送用の魔法陣だ。片割れは既にあの魔法使いが刻んでいる。後は…此処に最後の陣を描くだけだ」

「やったことないよ!!」


「なら、さっさと逃げろ」

「でも、まだ完全には…」


「入り口が塞がるぞ!」


 疾くに振り返った先、瓦礫が積み上がりながらも、かろうじて大扉が姿を見せていた。


「この程度で死ぬのなら、俺は勇者になどなっていない」


 躊躇いを含んで立ち尽くす最中にも、時間は無情に過ぎてゆく。


 そして、遂に大扉に完全に塞がる。


「あっ……」


「……」


 だが、同時に勇者たちの傷は跡形もなく消えていた。


 勇者は徐に懐に仕舞われた白の巾着袋から、黄金に輝く硬貨を取り出し、指先で爪弾く。


 キンッという音とともに弾かれたコインは円を描いて宙を舞い、地に臥した。


「すまないが、借りるぞ」


 硬貨の臥す地に掌を当てがい、瞬く間に放射線状に白き眩い刻印が広がっていく。


「全員離れるなよ」

「え!置いていくの!?」


「先も言っただろう。そう易々と死ぬ質ではないと」

「でも……」


「ウェストラッッ!!」


 カースの怒号が響き渡り、谺する。


 だが、囂々たる雑音が飛び交う所為か、ウェストラは呼び掛けに応える素振りさえも見せる事なく、牙城を崩し続けた。


かい


 ウェストラを残し、一行は煌々たる眩い輝きに包み込まれ、光が収束すると共に卒爾に姿を消した。



 一行は住宅街前に舞い戻る。


「この迷宮はどうなるの?」

「守護者が息絶えた。やがては地下深くに眠ることにだろう。また魔力が巡るまでの間」


「じゃあ早く地上に戻らないと!」

「何故、最初から地上に転送用の魔法陣を刻まない?」


「距離の差異によっては、五体満足で帰ることが望めない場合もある。まして此処は魔力の充満した迷宮だ、何が起こるかは未知数」

「ならば、走るか?」


「案内人」

「此処に」


 勇者の眼前で呼び掛けに応える者。


 忽然と黒煙が立ち込めるとともに、黒きローブを纏い、跪いて現れる。


「頼めるか?」

「承知致しました」


 疾くに大地に両の掌を揃えて添える。


「我、大地の恵みを受けし者に今一度、この血肉を糧として扉の枷を解き放て、開!!」


 指先から滴り落ちる鮮血が、混凝土の大地に独りでに扉の形を成して陣を刻み始めた。


「迷宮入り口前に形成します」

「いいや、今は魔物の往来が激しいだろう。見渡しの良い場所に転送を頼む」


「ハッ!」


「魔物が外に出てるの!?」


「恐らくは」


「人を襲うんでしょ!」


「無論、策はある。だが久々の大技だ、成功するかは五分五分……」


「……?」


「ウェストラはどうするつもりだ」


「自らの破滅を望むか、或いは自力で脱出し、弔い合戦の続きを為すだろう」


「……?」


「完了しました。皆様、どうか私の傍を離れぬように……。行きます!!」


「願くば、此処で消えてもらいたいがな」


 勇者は小さく囁いた。


 そして三度、神々しい白光に包まれるとともに、忽然と姿を消した。


 

 勇者たちは五体満足で、やや隆起した見晴らしの良い場所に転送された。


 見上げても尚、視界に収まらぬほど聳え立っている古代迷宮の出入り口が、綺麗に映り込むほどに遥か遠くで迷宮を凝視していた。


「朝…もう一日経ってたんだ」


「我、業火を司る者なり」


「何…やってるの?」


 勇者の唐突な独り言に、小首を傾げる。


「死して尚、雄々しき獣を棲まう左腕に、森林をも呑む紅蓮の焔を纏いて、獰悪なる者たちが巣食う迷宮に天から舞い降りし柱を刺せ」


 徐に迷宮に燃ゆる掌を突き出して翳す。


 その鎧に包まれた左腕を支えるように、右手で肘あたりに握りしめる。


「ねぇ!!」


 エルフの甲高い叫びに耳を貸すことなく、詠唱を続けた。


 エルフは立ち竦みながらも、必死に手を差し伸べる。


 だが、勇者の傍に佇む案内人が妨げた。


「どうか、お静かに」


 濃い緑葉の木々が生い茂る間から垣間見える、緩やかに昇りゆく朝日。


「日の出と共に馳せ…サンピラーッッ!!」


 光芒一閃。


 古代迷宮の入り口に、燦々と曙色あけぼのいろなる光芒が突き立てられた。


 精霊樹の森を焼き尽くさんとする業火の熱風が、遥か遠くに仁王立ちする勇者にまで、仄かに運ばれて紅き豪毛が靡いていた。


「ぁっ……」


 エルフの視界に燃ゆる炎が映り込む。


「精霊樹はただの森じゃない。魔力で生み出された焔でさえも、いずれは消えるだろう」


「……」


「今のは敵意を向けているように感じたが?」


 茂みの中から淡々と歩みを進めていく者。


「えっ?」


 徐に視線を声のする方へ向けた先、目に映るのは魔導書を抱えた白髪の青年であった。


「生きてたんだ。良かった……」


「そう易々と死んでたまるか」


 張り詰めた緊張の糸が切れたのか、ホッと胸を撫で下ろしながら、清澄なる涙が頬を伝う。



 王都への凱旋。


 無事に帰還した勇者一行は、馬車に揺られて王都へと舞い戻っていた。


 王都は空を破るほど賑わいを見せていた。


「魔王討伐を成したかのような賑わいだな」


「それ程までに手を焼いていたのだろう」


「ご馳走食べられるかな」


「……」



 諸々を終え、闇夜の漂った王都の中心。


 幾重にも重なる机上には、数えきれないほどのご馳走がずらっと並べられていた。


 祝宴を上げる国民たちの中心には、困り顔ながらも微笑みを浮かべる勇者がいた。


 だが、同時に月明かりの照らす森林で、ただ一人、天を仰ぐ勇者がいた。


「この宴の主役ともあろう者が、このような場で夜に耽っていて宜しいので?」


「失せろ」


 ぞろぞろと白皚皚たるローブを纏った者たちが、闇夜の樹林から忽然と現れる。


「機嫌を損ねたのなら謝罪致します。ですが、我々にも役目がございます故」


「素材でも探しに来たのか?」


「そんなところです」


「布教は構わないが、この宴の興を冷ますような行いをすれば……解っているだろうな」


「無論、そのつもりでございます」


 怪訝な表情を浮かべながらも、再び、徐に天を仰ぐ。


 緩やかに雲夜が揺蕩う。


 煌々たる黄金色の三日月を遮り、月明かりに照らされた勇者たちは暗雲に覆われる。


「…。ハァ。お前たちに用があるのは勇者か?それとも俺にか?」


 勇者の顔が露骨に陰るとともに地に俯く。


「前者。であります」


「ずっと視界の片隅に映っていると、不愉快極まりない。俺の気が変わる前に去ね」


「ならば、一言だけ問うても?」


「……」


 勇者の承諾も無しに言い連ねる。


「先代様とはどのようなご関係で?」


「お前……此処で死ぬか?」


 徐に大剣を握りしめ、鬼気迫る形相を浮かべる。


「矛をお収め下さい。勇者様」


 忽然と黒霧が立ち込めるとともに、黒きローブ姿をし、立ち膝を突いた者が現れる。


「そんなに自殺志願者多かったとはな」


 疾くに大剣の鋒を案内人の首筋に添える。


「此処での争いは不要です」


「下賤な輩に誅罰を下すまで。邪魔立てするなら、お前が最初に地に臥すことになるぞ」


「……貴方は勇者様に他ならないお方。このような場に於いて、私情に流されるまま誉高き剣を無闇に振るうなど、決してあってはなりません」


「あれが勇者に訊くべき、問い掛けか!?」


 空を切り裂くような怒号が飛ぶ。


「北諸国は貴方様を愛しております。どうか、矛をお納めください」


「……」

「……」


 首筋に据えた刃を渋々、退かせる。

 

「肩書きを愛でることを愛とは呼ばない」


「いやはや、流石は案内人。導くべき場所が解っているようですな」


「邪教信者風情が……ッッ!」


 案内人は血走った眼差しを向ける。


「そう事を荒立てていては、これからの道行きに同行者様方が苦労するでしょう。まぁ、貴方の案内はもう時期、終わりでしょうが」


「貴様!」


「先の問い、特別にお答えしよう」


 一触即発の寸前、静寂に亀裂が走っていく最中に、勇者の思わぬ一言が、その場をシンと水を打ったように静まり返らせた。


「俺は…親族だ。ただの血縁者に過ぎない」


「ノース家に次子は居られないと聞きましたが?」


「……。忘れたか?」


「ハハハ。流石は勇者様。ですが、貴方様は過去を然る事乍ら、私怨を燻らす者たちも蛆の様に湧くでしょう。どうか五体満足で魔王城へと辿り着くことを祈っておりますよ」


「あぁ、言われなくとも……そのつもりだ」

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