名もなき魔法
ガエルの正気は、父を殺した時点で既に半分以上が失われていた。
そこに水晶の力に魅入られ、殆ど理性を失った状態でありながらも、勝利を確信していた。
イリスにカートリッジという制約があることをガエルは知らないが、今空から降り注いだ魔法が彼女の最大級のものであったことは予想が付く。
それに耐えた。
その一撃を、天からの裁きを以てしてもがエルの身体を焼き尽くすことはできなかった。
その事実に、裂けた口で笑う。
雨に打たれながら、無力に首を下げる愚かな女。
どう嬲ってやろうか。一撃で首を落とすなど勿体ない、散々に慰み者にして、人間としての尊厳を全て奪い去ってから殺してやろう。
これから彼女に与える苦痛や屈辱を考えるだけで、ガエルの心が晴れ晴れとしたものへと変わっていく。
それだけのことをされたのだ。
ガエルのプライドを砕き、そして今こうして父の命までも失われた。
この女が来なければ、ガエルがこんなことをすることはなかった。ここ数日で起こった全ての、彼が原因である不手際は全てイリスが原因であるとガエルの頭の中ではすり替わっていた。
「もう手段は尽きたみたいだなぁ! さぁ、泣き叫べ、命乞いをしろ! 全力で俺に尽くすのならば、命だけは助けてやる! ただし手足は引き千切ってやるからなぁ! そこに跪けえええぇぇぇぇ!」
まるで屋敷全体を揺るがすような声でガエルが叫ぶ。
空から落ちる雨粒が弾けるほどの音の圧を受けてか、ようやくイリスは下げていた視線をガエルに向ける。
「うん。覚悟ができた」
「……あぁん?」
「本当はやりたくないんだ。封印術式に内側から罅を入れるのは、とても苦しいんだ」
「何言ってやがんだあああぁぁぁ! 遂に頭がおかしくなったってのかぁ! いいや、お前はあった時からおかしかったよなぁ! 唯一、俺に頭を下げなかった! その生意気な目で、俺を見下すんじゃねええぇぇぇ!」
これ以上、イリスにその視線を向けられることが、ガエルには耐えられなかった。
誰もがガエルから目を逸らすか、奇異の目で見る。彼はそこにある感情を全て、自身への畏怖であると判断してた。
だが、目の前の少女は違う。
出会った時から真っ直ぐに、尊敬も怯えもなくガエルを見つめてきた。
それはガエルにとっては屈辱に他ならない。貴族という生まれながらにして他者とは違う自分が、他の者達と同じようにみられるのだから。
「決めたぜぇ! その首を飛ばして、お前の仲間達のところに持って行ってやる! そしてこの力で、お前の首を飾ったままあの女共を散々にいたぶってやるからよぉ!」
指が伸びて、刃のように変化する。
それを振りかぶって、ガエルが真っ直ぐにイリスへと飛びかかった。
「正直に答えたからとしても、命を助ける保証をしてあげることはできないけど、一つ質問させてほしい」
「あ……?」
振り上げたガエルの刃は、イリスに届かない。
掌を突き出した彼女のそこから発せられているのは、強大なエネルギーだった。それが壁のように二人の間に広がって、ガエルの進行を阻んでいる。
「その水晶について、君が知っていることを教えて欲しい」
「知るかあああぁぁぁぁぁぁ!」
闇雲に叫んだそれは、事実でもあった。
ガエルどころか、それを手に入れたドロウですらも水晶の正体については何も知らないだろう。
「それじゃあ、消えてくれ。君の行いや振る舞いには、幾ら知的で冷静なボクでも我慢の限界だ」
「あ、ぐっ……おおっ……!」
身体が押し返される。
広がっていく白い光の持つ力は、先ほど空から降り注いだものの比ではない。それよりも遥かに大きな魔力が、そこに込められていた。
「名前のない魔法だが、君にあげるには少し豪華すぎるかも知れないね。それじゃあ、サヨナラ」
「い、嫌だあああぁぁぁ! 俺はガエルだ! ガエル・ケンドールなんだぞ! ここから俺の力で、俺の、俺のおおぉぉぉぉ!」
広がった光は、一筋の閃光になる。
この時、遠くからここに向かっていた者達からは、ケンドールの屋敷から斜めに空に向かって伸びる一筋の光が見えていた。
そしてそこに巻き込まれたガエルは、何の抵抗も許されずにただ光の中へと飲み込まれ、そのまま全身を焼き尽くされて消滅していくのだった。
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