夜の一幕

 ある宿屋の一室。


 冒険者になったとはいえお金に余裕があるわけではない。イリスとルブリムはそういった理由から、同じ部屋を取っていた。


 部屋に備えられている小さな風呂で軽く身体を流してから、簡素なベッドに腰掛けて髪を乾かす。


 ルブリムは部屋にあるぼろい椅子に座って、小さなランプの灯りに照らされながらぼうっと窓の外を眺めていた。


 まだまだ先は長いとはいえ、一応の目的は果たした。


 そのことでイリスは少しばかり安心を覚えていたのだろう。何よりも、ルブリムが自分の友達と言ってくれたことが嬉しかったからだろうか。




「ボクは、上手くやれていたかい?」




 そんな言葉が口を衝いて出てしまったのは。




「上手く?」


「初めての実戦だったからね。勿論、他の冒険者と一緒にクエストには出たけれど、殆どサポートだけだったわけだし」




 ロレンソと一緒にクエストに出たときは、彼自身の気遣いもあってか殆どイリスはサポート役に回っていた。そのサポートですらも、荷物持ちなどの基本的なことが大半だ。


 ――それに加えてイリス自身がまともに働いていなかったというのも理由ではあるが。




「魔法学園で幾つもの魔法を学んだ。他の人よりもボクが優れている自覚も自信もある。ただ、それでも」




 目の前に迫る魔物。


 傷ついた人。


 強大だからこそ、仲間を巻き込まないような戦い方。


 それら全てが、今までのイリスは知らなかったことだ。頭の中でシミュレーションができていたとしても、実戦でそれをこなすのに必要な精神力は並ではない。


 そういう意味では、ルブリムはイリスにとっては完璧とも言える相棒だった。加えて、ヘイゼルの無謀だが前向きな姿勢はイリスに感情の力を与えてくれた。




「怖かった?」


「さあね。ボクがオーク程度に劣るとは微塵も思っていなかったから。ただ、うん。……想像していたよりも、凄かったのは事実だ」




 イリスの小さな手は、今頃になって震えていた。


 本当に、ルブリムとヘイゼルがいてよかったと思う。もしあの場にイリス一人であったら、適当な理由をつけて逃げてしまっていたかも知れない。


 幾ら天才であると豪語していても、その程度には弱い少女であった。


 ふと、ベッドの隣に体重がかかる。


 いつの間にかルブリムは真横に座っており、腕が触れ合ってそこからお互いの体温が伝わってくる。


 風呂で充分に温まったこともあってか、心地よい温度だった。




「偉い」




 掌が頭の上に乗せられた。




「イリスは偉い」




 そのままぐりぐりと、少しばかり乱暴に撫でられる。




「やめたまえよ。ボクは子供じゃない」


「見た目は子供だから大丈夫」


「そういう問題じゃ……」




 身体を引き寄せられ、ルブリムに体重を預けさせられる。


 彼女は当然だが、イリスの小さな体に寄り掛かられても全く揺らぐことはない。




「戦いは怖い」


「……思っていたよりもね」


「だから、イリスは頑張った」


「……そうであってほしいものだ」


「人の命を救うのは、凄いことだって。わたしのおじいちゃんとおばあちゃんも言ってた」


「それは……立派な祖父母だな」




 魔法学園での教えは、魔導に対する探究に全てを捧げること。


 そのためであれば他者の命でも、ましてや自信の命すらも惜しむなというのが通説だった。




「うん。わたしが、大好きな二人。だからお金が必要」


「冒険者になるというのは、それが理由か」




 視線を向けると、ルブリムが頷いた。




「……だが、何故冒険者なんだ?」




 それこそ、イリスではないが別に他の仕事を探してもいいだろう。


 ルブリムほどの力があれば、傭兵でも何でも好きに稼げるはずだ。


 そこまで思案して、イリスは自分の失言に気が付いた。


 イリスがそうであるように、職業を選べる状態で冒険者になるのだから、そこには人に言うことのできない理由の一つや二つぐらいあるだろうに。




「いや、すまない」


「……ん。ゴメン」




 思った通り、ルブリムはそれ以上を語ることはなかった。


 とはいえ、それ自体はイリスにとってはさして重要なことではない。


 彼女が何者であれ、協力してくれた友人であることに変わりはない。


 イリスにとってはルブリムの過去など些細な問題だ。これから冒険者として共に苦難に立ち向かっていくのだから、そんな些事を気にしても何もならない。


 ――もっとも、イリスがルブリムのことを知る機会自体は、想像よりもずっと早くやってくるのだったが。

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