三章 共鳴する魂 /三 魂の行方【2】
「……どこまで行くつもり?」
庭に出て歩いているだけだった凜花に、彼女が呆れたようなため息をつく。
「すみません……。じゃあ、とりあえずこのあたりで……」
どこまで行くのかなんて、凜花は考えていなかった。
自分から庭に誘っておいて紅蘭とどう話せばいいのかもわからず、ただ歩くことしかできなかったのだ。
ふたりから少し離れて、桜火と蘭丸たちがついてきていた。
桜火は警戒心をあらわにしており、蘭丸と菊丸はどこか心配そうな顔をしている。
「あの……」
「あなた、私がどうしてここまであなたにこだわるのか知りたい?」
凜花がおずおずと切り出せば、彼女がじっと見つめてくる。
「はい……」
「聖からなにも聞いてないのね」
紅蘭に対して、疑問がなかったわけではない。
にもかかわらず、彼女のことがよくわからないままだったのは、聖も桜火たちもそこに触れようとしなかったからである。
訊けば答えてくれたのかもしれないが、凜花はなんとなく尋ねられずにいた。
「私は、
「龍王院?」
「それも聞いてないの?」
目を見開いた紅蘭が、小首を傾げた凜花に向かって鼻で笑う。
「龍王院は聖の名前よ。天界の中でも力を持つ一族で、聖はその本家の龍なの。分家はたくさんあるけど、龍王院の直系はもう聖しか残っていないわ」
「聖さんだけって……」
「天界は聖が龍神になる前まで争いばかりだったの。そのときに、直系の者が暗殺されたのよ」
突如出てきた物騒な言葉に、凜花の顔が強張る。
「でも、力のある聖が天界を治めるようになったことで、目に見える争いはほとんどなくなった。千年前に凜が亡くなったときには一度大きな争いが起きたけど、そのあとはずっと今みたいな感じが続いているわ」
そんな凜花に構わず、彼女は滔々と話していた。
「龍王院の血が龍の中でも強いのはもちろんだけど、それだけ聖に力があるからよ。なにより、天界では彼を慕う龍はとても多いの。聖の存在が争いばかりだった天界の均衡を保っているのよ」
凜花はこれまで、龍神という存在がどういうものなのかをよく知らなかった。
というよりも、わからなかったのだ。
屋敷の中にいる者たちはみんな聖を慕っているし、彼が主だというのもわかる。
街に出たときに聖が受けていた視線を考えれば、彼はみんなの上に立つ者だというのも理解はしていた。
ただ、それはなんとなく会社の社長のような、凜花が知っている立場に近い形なのだと思い込んでいたのだ。
しかし、紅蘭の話を聞けば、それとはまったく違うことが伝わってくる。
「龍はね、古来から特別な生き物だと言われているの。小さな息吹ひとつで風を呼び、啼き声で竜巻や雷雲を起こし、怒りとともに雷を落とす――と」
要するに、自然に干渉できるということだろうか……と凜花は想像する。
竜巻や雷雲、雷は、龍が生み出すものなのか……と。
けれど、残念ながら想像はどこまでも想像でしかなく、あまりピンと来なかった。
「龍の中にはそれすらできない者もいるけど、聖は別格よ。龍はそれぞれに性質があって、私や桜火は火を操るのが得意なの。でも、聖は違う。火も水も風も雷も……大地や空さえも操れるわ。聖がその気になれば、街ひとつなんて息吹で壊滅できる」
一方で、それだけ大きな話だということは理解できる。同時に、凜花の中にあった小さな不安を嘲笑うように煽られた。
「龍たちにとって、聖は尊敬と同時に畏怖の念を抱く存在なの。龍神という存在そのものというより、聖自身がそうなのよ。龍の力がないあなたにはわからないでしょうけど、普通なら近づくことも許されないような存在だと言われているわ」
そして、それはおもしろいほど激しくなっていく。
「そういう存在のつがいになる覚悟があなたにあるの?」
「そ、れは……」
即答できなかった凜花に、紅蘭が嘲笑を零す。
「ほらね、所詮はその程度なのよ」
彼女は、冷たい言葉で凜花を追い詰めていく。
けれど、凜花も負けてはいなかった。
「確かに、私にはまだつがいがどういうものかはわかりませんし、ピンと来ていません。だから、覚悟なんて決められません」
「そうでしょうね」
「でも……前に紅蘭さんに会ったときとは違って、今は聖さんのことをもっと知りたいと思ってます。聖さんともっと一緒にいたいって感じてます」
紅蘭を真っ直ぐ見つめる凜花に、彼女が意表を突かれたような顔をする。
「……あなた、少し変わったわね」
「え?」
きょとんとすると、紅蘭は「でもだめよ」と凜花を睨む。
「私は、凜の親友だったの。聖のつがいに選ばれたのがあの子だったからこそ、聖を諦めようと決めたわ。それなのに、千年も待っていた聖のつがいが人間ですって? 番う相手が人間であること自体は今までもあったけど、聖のつがいなら話は別よ」
さらには、憎しみに満ちた双眸を向けられた。
「天界では、聖が決めたことなら誰も逆らったりはしない。ましてや、つがいの話ならなおのこと。龍にとってつがいというのは、何者であっても当人たち以外の干渉を許さないものだからよ。でもね、これだけは覚えておいて」
彼女の表情がほんの一瞬和らぎ、次いで冷酷な笑みを湛えた。
「聖に愛されているのはあなたじゃない。あなたの中にある、凜の魂よ」
凜花の顔が強張る。
「あなたの中に凜の魂がある限り、聖はあなたじゃなく凜を愛し続けるわ」
心には紅蘭の言葉が深く突き刺さった。
聖がくれた言葉を、凜花は信じている。
あのときの彼の瞳は揺るぎなく真っ直ぐで、紡いでくれた想いはきっと嘘ではないと感じたからである。
その一方で、不安と疑問もあった。
自分の魂が凜のものなら、彼女の魂はこれからもずっと自分の中にあり続けるのだろうか――と。
その答えは、凜花にはわからない。
黙ったままの凜花を残し、紅蘭は凜花の傍を離れる。
すぐに桜火たちが駆け寄ってきたが、凜花はしばらくの間なにも言えなかった。
日が暮れた頃に屋敷に帰ってきた聖は、すでに紅蘭のことを聞いていたらしい。
凜花の様子がおかしいことに気づくと、早々に人払いをして凜花の部屋でふたりきりになり、彼女のことに触れた。
「すまなかった。屋敷から紅蘭の気配を感じていたんだが、どうしても戻ってこられなかったんだ……」
「ううん、聖さんが忙しいことはわかってるから」
凜花は、彼からの謝罪なんて望んでいなかった。
聖が紅蘭から守ってくれていたことは、昼間の彼女の言動から感じられた。
なにより、彼が悪いとは思えないからである。
「紅蘭になにか言われたんだな?」
きっと、ここで凜花が隠しても、桜火から報告が入るだろう。
庭では少し離れてもらっていたから会話は聞こえていないはずだが、そもそも紅蘭は桜火の前でつがいの件に触れていた。
そう思った凜花は、少し悩んだ末に素直に頷いてみせた。
「なにを言われた?」
「……聖さんみたいなすごい人のつがいになる覚悟があるのか……って。それから、聖さんが愛してるのは私じゃなくて、私の中にある凜さんの魂だって」
聖の表情が、苦々しげに歪む。
「紅蘭にはきつく言っておく。凜花はなにも気にしなくていい」
「紅蘭さんのことはいいの」
「どうして?」
凜花は口を噤む。
上手く説明できないのもあったが、紅蘭は彼を想っている。その上、凜の親友だったと言っていた。
紅蘭にしてみれば、いくら自分が聖のつがいとはいえ、不満を抱いて当然だろう。
「それは言えない……。でも、ひとつ訊きたいことがあるの」
「訊きたいこと?」
「私は、凜さんが見ていた光景を夢で見たのは一回だし、聖さんたちといるとたまに懐かしいような感覚を持つこともあるけど、やっぱり自分の中に凜さんの魂があるとは思えないの」
「ああ……」
「でも、凜さんの魂は私の中にあるんだよね?」
「そうだな」
「じゃあ、この先ずっと、凜さんの魂は私の中にあり続けるの?」
彼は寂しげに微笑み、凜花の手をそっと握った。
「確かに、凜花の魂の中には凜の魂がある。だが今は、凜花と最初に会ったときよりも、凜花の中にある凜の魂の力は弱まっている」
「え?」
聖の瞳が悲しそうで、凜花は動揺してしまう。
けれど、彼は過去を慈しむように瞳を緩め、優しい笑みを浮かべた。
「これでいいんだ」
「でも……」
「俺はずっと、つがいを待っていた。その中で、凜の魂を求めていたのも凜花が凜の生まれ変わりなのも、最初から話している通り事実だ」
聖の声は落ち着いていたが、力強くもあった。
「それでも、いつかこうなることはわかっていた。恐らく、凜の魂が凜花の魂とひとつになろうとしているんだ」
もしかしたら、とっくに覚悟を決めていたのかもしれない。
そう感じるくらいには、彼の表情は穏やかだった。
あまりにも柔和な笑顔を前に、凜花の方が寂しくなってしまいそうなほどである。
「そんな顔をするな。俺はこれでよかったと思っているんだ。なぜなら、凜花は凜ではなく凜花だからだ」
胸の奥が締めつけられた気がするのは、凜花の中にある凜の魂のせいだろうか。
わからなかったが、なんだか心が苦しかった。
それなのに、聖が自分自身を見てくれていることが嬉しいのも、また事実だった。
凜の魂の行方はやっぱり気になる。
反面、凜花は痛みを感じる心で、彼の言葉を素直に受け止めていた。
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