第40話 きっと……歪んでしまっている



 結局その日は、それからしばらく時間を置くことにした。

 家の外で時間をつぶして、最初言っていた通り晩ご飯前に。左希さきに連絡を入れて、家に戻った。


 たっくんの姿は、なかった。疲れたから先に帰ったとのことだけど、私と顔を合わせづらかったのかもしれない。



『夏祭り、楽しみだねお姉ちゃん!』


『うん、そうだね』



 その日以降も……私は、たっくんと左希の関係を問いただすことはしなかった。

 こういうとき、普通はどうしたらいいんだろう? やっぱり、関係を追及するべき?


 でも、そんなことをしたら……私たちの関係は、壊れてしまうだろう。

 たっくんと別れることになるのも嫌だし、左希と気まずくなるのも嫌だ。しかも、左希は妹だ……どうしたって、毎日顔をあわせることになる。


 関係が、壊れてしまう。それは嫌だ。

 だから私は、黙っておく……


 ……本当に、それだけ?



『あ、そうだ右希うき。さっき、なにを言おうとして……っ……』


『……』



 夏祭りの日。私は、たっくんにキスをした。

 すごく恥ずかしかったけど……このまま、なにもしないなんてことは、できなかった。


 花火の下で、想いが爆発した私は……隣に座ったたっくんの唇を、奪った。

 直前に、私はつい、たっくんと左希のことを聞こうとした。黙っておくと決めたはずなのに。

 だから、そのタイミングでの花火は、正直助かった。



『えへへ……しちゃった』



 初めてのキスは、ソースの味がした。

 よく、初めてのキスはレモン味と聞く。でも、違った。きっと、直前に食べていたものの味になっちゃうんだ。


 ソースと言えば、パッと思い浮かぶのはたこ焼きだ。

 たっくんったら、私に隠れてたこ焼きでも食べたんだな、と微笑ましくなった。


 ……あの話を聞くまでは、微笑ましく思っていた。



『あの日、"薄青色の生地に白い紅葉みたいな模様"のある浴衣を着ていただろう?』



 ……あの日、帰り道に左希は言っていた。たこ焼きおいしかった、と。

 でも、私は食べていない。それに私は、左希がたこ焼きを食べているのを、見ていない。


 それはつまり、私のいないところでたこ焼きを食べたってことだ。きっと、私の鼻緒が切れてたっくんと左希二人になったとき。

 別に、それはいい。なんにも不思議なことではない。二人にお祭りを楽しんでと、そう言ったのは私だし。


 たっくんと左希は二人でたこ焼きを食べて……

 その後、二人はキスをした。だから、たっくんの口からはソースの味がしたんじゃないの?


 真相は、わからない。たっくんがたこ焼きを食べただけでも、ソースは口につくだろうし。

 左希とのキスでソースが口についた、っていうのはさすがに考え過ぎだろう。



『しっかし、いくらなんでもあんな人がたくさんいる場でキスをするとは……まあみんな、自分たちのことに夢中で、気付いていなかったみたいだが。

 それでも誰に見られるかわからん。ああいう場所でするのは、やめたほうがいいぞ』



 でも……二人がキスをしたってことは、事実なんだよね?


 どうして? 理由は分からないけど、あのときキスはしないって言ってたじゃん。

 なのに、なんで。なんでキスをしたの、たっくん……左希……



『……どうして』



 私はまだ、たっくんと"そういうこと"はしていない。

 だからキスは、せめて私の方が先だと……そう、思っていたのに。


 二人で遊んでいる間に、いつの間にかキス、しちゃってたんだ。

 それを想像すると、胸が痛くなる。ズキッと、トゲが刺さったような感覚がある。


 胸が痛い……そのはず、なのに……


 

『…………どうして?』



 ……それからまた、日は過ぎる。

 私たちはキスをしたことで、以前よりも意識し合う仲になっていたと思う。


 でも、あれ以来キスはしていない。気持ち良かったんだけどな……

 やっぱり、左希とのほうが気持ちいいから? 友達から夏祭りの話を聞いてから、私の頭の中はそれでいっぱいだった。


 それは、私が風紀委員の集まりで学校に行っていて……委員会から、帰った日のこと。

 二人の様子はぎこちなかった。左希はうまくごまかしていたけど、たっくんはバレバレ。これは、もしかして、また……



『……っ』



 ……まただ。また、この感情だ。

 胸の奥から、湧き上がる気持ち。これはなんなのか……無性に、確かめたくなった。


 だから、私は……



『う、右希?』


『なあに?』


『い、いやその……どうしたんだ?』


『えぇー? 彼女なんだから、いいでしょ?』


『それは、そうだけど』



 私は、たっくんの隣に座り、彼の肩に頭を乗せた。

 自分でも、思い切ったことをしたなと思う。たっくんは、わかりやすく顔を赤くしていたし……ふふっ、かわいい。


 そして、私はチラッと左希を見た。左希が、どんな反応をしているのか、確かめたくなったから。



『……』



 私たちを見たまま、固まっていた。驚いたように、そして……少し、うらやましそうに。

 ねえ左希、今どんな気持ちなの? 悔しいの? ねたましいの? 私も、そんな気持ちになっていたんだよ。


 左希の気持ちを考えると、ぞくぞくする自分がいる。

 だから、もっと……もっと……!



『ねえたっくん、頭撫でてー』



 私の要求に応えて、たっくんは頭を撫でてくれる。あは、やっぱり優しいなぁ。

 私よりも大きな、あたたかい手。この手に思い切り抱きしめられたら、どうなっちゃうんだろうなぁ。


 左希はきっと、もう……

 あぁ、いいなぁ。



『っ……アタシ、ちょっとトイレ』



 左希は、それだけ口にして部屋から出て行った。

 それが本当にトイレに行きたいからではないのは、すぐにわかった。あの子も、こういうときはわかりやすいなぁ。


 でも残念だな、左希の反応を見ていたかったのに。

 まあいっか、こうして頭撫でられているだけでも、気持ちいいし……



『……ぁ』



 少しだけ、首を動かした。すると、目の前にはたっくんの顔があった。

 肩に寄りかかっていたんだから、当然だ。たっくんの……好きな人の顔が間近にあって、私の心臓は高鳴った。


 今なら、左希もいないし、二人きり……なんにも気兼ねする必要はない。

 ……気兼ね? 誰に? なんで? 私はたっくんの彼女だよ?



『う、右希……』


『たっくん……んっ……』


『!』



 私はまるで吸い寄せられるように、たっくんの唇に自分の唇を押し当てた。

 うわぁ、やわらかい……手は大きくて固いのに、ここは柔らかいんだ。


 ドキドキする。たっくんも、ドキドキしてくれてるかな?



『右希っ……左希が、帰って……んっ』



 たっくんは、嫌がっていない。でも、左希が戻ってくるのを危惧しているようだ。

 ……左希が、戻ってくる?


 …………あ、そうだ。



『そうだね、だから……もうちょっと。んっ……』



 私は、もうちょっとだけと告げて、キスを続ける。

 唇を触れさせているだけなのに、頭の中は幸せでいっぱいだ。これより先に進んだら……私、どうにかなっちゃいそう。


 ……いや、もうどうにかはなっているのかもしれない。

 だって……



『…………』



 部屋の扉……閉じられているはずのそれが少しだけ開いて、左希がこちらを見ている。そのことに、私は気付いていた。

 気付いていて……たっくんから離れるでもなく、左希に声をかけるでもなく……私は、キスを続けた。


 見られている。左希が、私たちを見ている。こっそりと、でもしっかりと見ている。

 左希は多分、私が気付いていることに気付いてない。そんな左希の前で、私は……!



『んっ……たっくん……』



 あぁ、私……っ……わかっちゃったかも、この変な気持ちの正体。

 これは、左希にたっくんを取られたことへの悲しみじゃあない。私を裏切った二人への怒りじゃあない。


 それ以上の、この気持ちはもっと、別のものだ。

 そう、これはきっと……



(あぁ……左希が、私を見てる。今、どんな気持ちで、どんな顔でいるんだろう……見れないのが残念だなぁ。取られたって思ってるのかな、悔しいって思ってるのかな。たっくんの彼女じゃない左希が、彼女の私にいったいなにを思ってるのかなぁ。自分がイケないことをしていて、それがわかっているからどうしようもないんだよねぇ……たっくんもたっくんだよ。私じゃなくて、左希とあんなことして、なのに私とも関係を続けて……あぁ~っ、今きっと罪悪感でいっぱいなんだろうなぁ。たまらないなぁ。たっくんも左希も、私は大好き……だから、私は怒ったりしないよ。二人が関係を持ってること、言わないよ。その代わり……もっと見せてよ、その顔。二人のいろんな顔……もっと見せて!!!)



 私はきっと……歪んでしまっている。

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