第7話 図書室の魔獣

 この大陸に生きる人間の誰しもが、魔獣の恐ろしさを知っている。

人々は人生で一番最初の教養として、魔獣について学ぶのだ。決してこころを許してはならないときつくきつく言い聞かせられて。あるいは、母が語る英雄が獣を討つ夜話に紛れて。またあるいは、自ら魔獣に相対することで。

「……何もいないって最初に言ったじゃない」

『人間は、いないって言ったんだぞ』

「ブランのへりくつ」

 石壁を潜り抜けたはずのアルメリアの目の前には、巨大な秋の庭園が広がっていた。

どこまで広がっているのか分からない白乳色の天井に、終わりの見えない茶と赤の植物の海。規則正しく並んだ街路樹の木々は鮮やかな赤褐色の葉を垂らし、枯れ葉の雨が際限なく降り注いでいる。深紅の秋薔薇が色を添え、白い綿のような穂が頭を垂れ、庭園の中心には、動かない噴水が水だけを溜めていた。

 無骨な石壁なんてどこにも無い。突如現れた寒々しい光景を前にして、ブランはいつもどおりにぴふ、と鼻を鳴らす。

『だいじょぶだいじょぶ。リアに何かあったら、たてごもりのやつをおれがころす』

「もう……、反省してないでしょ」

『でも別に困らないだろ?』

「確かに、困らないけれど」

 奇妙な現象に襲われているにも関わらず、アルメリアが取り乱すことはなかった。

空と果ての無い異空間を見つめて、ぽつりと呟く。

「それにしても、ここは……」

『ボクの腹の中だよ』

 アルメリアの声に応じて、するりと足元を小麦色の何かが通り抜けたような気がした。ふと足元を見ると、今まで何もいなかったはずのそこには、腿あたりまでの体躯を持つ狐が座っている。

 もふもふの小麦色の毛と、大きな尾。魚類が持つ背びれのように背には二本の角があって、まるで何もかもを見通すような透き通った青い瞳が特徴的だ。

そして額にはやはり、黒々とした魔石が埋まっていた。

『こんにちは~、ボクらの可愛い人の子。それと……』

 狐はきゅうと鳴いて、刺々しい視線をブランに浴びせた。

『君は招いてないんだけど』

『は? 招いてなかろうがなんだろが、どうでもいいだろ』

『これだから冬の獣は』

 この狐——別名「建籠り」と称される秋の魔獣、ムニミィが、この異空間の主だった。

 実のところ、アルメリアは魔獣が自らの魔力で創り出した異空間に足を踏み入れることは初めてではなかった。

 魔力が多く、強力な魔獣は、時に自らの理想とする空間を作り出す。その中にいる時の魔獣は絶対に安全で、本来の力を出せるのだと言う。

「……初めまして、ムニミィ。私はアルメリア・クランエリゼと言うの。この建物の使用人のひとりで、さっきの部屋の清掃をしていたのよ」

 人と接するときも、魔獣と接するときも、アルメリアにとっては大差はない。むしろ魔獣と接する時間の方が長かったくらいだ。

 胸に手を当てて礼儀正しく自己紹介をすると、ムニミィは友好的な態度を見せてくれた。

『はじめまして、アルメリア。ボクの庭にようこそ。ボクのことはロールって呼んでよ』

「それは自分で付けた名前なの?」

『そうだよ。ボクは人が好きだからね』

「そうなのね。お招きありがとう、ロール」

 狐の温かそうな尻尾が、アルメリアを歓迎するようにゆらりと揺れた。見下ろしたまま会話を続けるのも失礼な気がして、アルメリアはその場で膝を抱えて座り込んだ。髪を引っ張ってブランが頭に登り、ロールはすぐ隣に腰を下ろす。もふもふの毛があまりにも魅力的で思わず手を伸ばすと、ロールは自慢げに背を差し出してくれた。しかし、『おれの方がもふもふだぞっ!』とブランに頭をふみふみと踏まれたので、途中で断念する。

(人が好きな魔獣なんて、変わっているわ)

 世界に存在する魔獣たちは、大きく四つの種類に大別されることが一般的だ。


穏やかな気質の春の魔獣。

賑やかなことが好きな夏の魔獣。

気まぐれで変わりものの秋の魔獣。

冷酷無比な冬の魔獣。


 ダイアモンド王国は北の国であるため、冬の魔獣が多く生息している。だからこそダイアモンド王国の軍事力は大陸随一であり、魔獣に対する恐怖や憎悪が最も強い地域でもあった。

 その王城の城壁に溶け込むように、秋の魔獣がこうも堂々と自らの居場所を作り出していたとは、きっと誰も思わないだろう。

「ここは素敵な場所ね」

『でしょう〜! ふふん、君なら解ると思ってたんだ。こだわったんだから』

 もし「第二書架には怪物がすんでいて、足を踏み入れた司書たちをどこかに連れ去ってしまう」という噂の原因がロールならば、目の前の彼が司書の人員不足を生み出した張本人なのかもしれない。

(でも、人間が好きって言っていたわよね。いや、食べ物としての「好き」の可能性はあるのだけど)

 周囲を見回したところ、白骨死体があるとか、いかにも食べかけの肉があるとか、そういう卒倒ものは見当たらない。アルメリアはとりあえずほっと息を吐いた。

『どれも言葉から抽出して再現したものなんだよ。それがどういう意味なのか、人間の理解がよくわからないから、再現するまで手間どったんだけど』

 ムニミィは変幻自在の獣だ。ある概念、言葉に対して多くの生命が抱くイメージを抽出し、再現することが出来る魔獣。

 幼い頃に魔獣づてに聞いた話を思い起こしながら、アルメリアはひとり納得していた。

(なるほど、それで本の虫なのね)

 彼が第二書架の書物を吸収していたのは、この庭を充実させたかったからなのだろう。

魔獣らしい自分勝手すぎる理由に価値観の違いを感じながら、アルメリアは口を開いた。

「あの、ロール。ひとつ気になることがあるのだけど」

 それは、この庭園に招かれてからずっと気になっていたこと。

生命の終わりの直前で時を止めたような、寂しくも美しい庭園を彩るもの。

『なぁに、なんでも聞いて。久しぶりのおしゃべり相手は嬉しいよ』

「ありがとう。……じゃあ、これが何か、聞いてもいい?」

 アルメリアが手のひらで指し示したのは、人間を象った彫像だった。

偉大な功績を残した人物を讃える石造は、確かにいたるところに存在する。その素材は、鉄、銅、大理石、石など様々で、石職人の手によって彫刻されて完成する。

 しかしそれは、どうみてもただの彫像では無い。肌は血の気が失せた肌色で、口は無防備に少し開いていて、灰の目は驚いたように見開かれている。単一色であるのが彫像の特徴であるにも関わらず、それは今にも動き出しそうなほどに本物の人間に忠実だ。

 そして、アルメリアと同じ司書の制服に身を包んでいた。

『これは彫像だよ。もちろん』

 きょとり、とロールは不思議そうに言った。

何かおかしかったかな、なんて聞こえてしまいそうな表情で。

『なかなか見事でしょ? 何せこれ、生き人形だからね』

「……なるほど」

——生き人形。

 その言葉の定義をはっきりと知らなくとも、ロールの言いたいことははっきりと分かってしまって、アルメリアは思わず顔を両手で覆った。


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