第30話『戦いの指南はあまりにも厳しく』

「それでは行ってきまーす!」


 日課を終えたアルクスは、ミシッダの作戦通りにマーリエット専用の武器を買いにパイス村へと向かって行った。


「ほら、出てきていいぞ」

「は、はい」


 訓練場にて。

 毎度の事ながら、他人の会話を盗み聞ぎしているような感じがして申し訳ない気持ちを抱いているマーリエットは、しかしそれ以上の苦しそうな表情を浮かべている。


「それぐらいは顔色変えずに持てないと、絶対に今後の人生で大変な思いをするぞ」

「急にそんな事を言われましても……」


 木の陰から姿を現したマーリエットの足つきは覚束ない。


「回復薬が入っている小瓶十本だけが入っている木箱を持っている、ただそれだけだろ? どうすんだよこれから先、自分に赤ちゃんができたとして、どうやってその貧弱な体で抱っこするんだ?」

「あ、赤ちゃん!? そそそそそそんな予定は直近でありませんから!!!!」

「もしかしたらアルクスと間違いがあるかもしれないっていうのに?」

「ありませんってば!!!!!!!!」


 マーリエットは重さに耐えて顔を赤く染めていたのだが、それ以上に熱々に熱せられた金属ぐらい真っ赤に染まってしまった。


 回復が入っている小瓶十本が入っている木箱を、プルプルと震える手で抱えているマーリエット。

 ミシッダの意見に「横暴だ」、と言い返している状況ではあるが、残念ながら日頃からアルクスが買い物から帰ってくる袋よりも圧倒的に軽い。

 アルクスは休みながらではあっても、それを両腕に抱えていつも歩いている。


 ミシッダは、『これだから温室育ちのお姫様は』と追い打ちの言葉をかけようと思ったが、『さすがに少しだけ、ほんの少しだけかわいそうだからやめておくか』と言葉を飲み込んだ。


「じゃあ、そこのベンチに置いて始めるか」

「わ、わかりました」


 マーリエットは今、物凄く緊張している。

 なんせ、愚痴を零しながら持って来ている、まさにこの木箱は自分が使うためにあるのだから。

 それが意味するのはもちろん、これから始まる指導がかなり厳しいのだと物語っている他ない。


 前回の訓練で一本渡されたという事は、少なくとも呼吸ができなくなるほどの痛みを伴うという事。そのトラウマ級になる攻撃を今回は何度も受ける事を考えると、嫌な汗をかいてしまうのはもはや仕方がない事だろう。


「それでは、本日もよろしくお願いします」


 ベンチに木箱を置き、自分用にしてもらっている木剣とミシッダ用の木剣を手に持ち、ミシッダへその一本を恐る恐る手渡した。


「手加減だけはするから、安心しておいていいぞ」

「は、はい……」


 マーリエットは弱々しい声で返事をして、振り返って距離をとる。

 その歩く最中、ベンチに置かれていたアルクスがつい先ほどまで使用していた四本の木剣を思い出す。


 ――あの木剣、握るところに染みができていた……あれはきっと、手汗だけじゃなく、手が擦り切りて滲み出た血も含まれているはず。アルクスはたとえ一人だったとしても、日課と称して常に自分を高めるために訓練をしている。


 そしてミシッダが自分にした、とある昔話を思い出す。


 ――ミシッダさんは言葉を濁してしたけど、あれは間違いなくアルクスの事よね。……幼少期に飼い犬を護るため、たった一人でたった一本の短剣だけで大熊を倒してみせた。普通だったら考えられないただの逸話だろうけど、アルクスが幼少期からスキルが発現していたのなら納得のいく話ではある。


 ともなれば、自分の姿と重ねずにはいられない。


 ――私は第一皇女というだけで、ほとんど何もしていないだけではなく、恵まれた環境で何不自由のない生活を送っていた。対するアルクスは幼少期に大変な思いをして、でも常に自分を磨いていた証が伝えられなくても勝手に伝わってくる。


 だから。


 ――だから私も。


 ほど良く距離を空けられたため、マーリエットは振り返り、木剣を正面に構える。


「お願いします」

「じゃあ――手始めに」

「きゃっあ!」


 それはもう、起きた出来事はほぼ一瞬。

 油断していたわけではなく、マーリエットはちゃんとミシッダの姿をしっかりと視界に捉えていた。

 しかし、握っていた木剣は既に手の中から消え、宙を舞っている。


「まあ、ビビッて目をつぶらなかったというのは成長できた証拠ってわけか」


 すぐ近くの地面に、叩き飛ばされた木剣が突き刺さる。


「ほ、褒めていただきありがとうございます」

「その気概を示すのも良し」


 しかし、喉へ突きつけられている木剣の先端が、嫌な汗が背中を伝うにはあまりにも十分すぎる要因だった。


「スキルを使用せず、専用の剣まで持たないというのに。どうしてそこまで強すぎるんですか。ミシッダさんって、本当に私達と同じ人間なんですか?」

「そりゃあ、私はちゃんとした人間のつもりだ。しかし、普通の人間からしたら私とお前は同類だとしても、私達と普通の人間は一緒ではないだろう? 互いにスキルを所有する者として」

「……全くその通りですね」

「それに、『自分の能力が最大限に発揮できる武器がないと戦えない』。なーんて甘い考えは捨てる事だな。当然、武器がなければ敵に立ち向かえないって考えもな」

「で、ですけど……」

「まあ言おうとしている事はわかる。自分より強い敵が武器を持っているに、素手で立ち向かえって言われてもそれが無茶すぎる事ぐらい理解しているし、私もそこまで鬼じゃないさ」


 ここでやっとミシッダはマーリエットの首に触れていた剣を下ろす。


「でもな、肝心な事はそこじゃない」

「じゃあどういう……?」

「一番強くなければならないのは"心"だ」

「心……」

「今までのアルクスを思い浮かべてみろ、そして、なぜアルクスに惹かれているかを考えてみるんだ」


 マーリエットはその言葉に、素直に従う。


 アルクスと初めて出会った時の事。

 彼は、見ず知らずの囚われていたマーリエットを助けてくれた。

 これは、普通の人間だったらまずやらないだろう。

 なぜなら、力を持っていたとしてもその後を考えれば厄介事に巻き込まれる可能性が非常に高いからだ。それだけではなく、もしかしたら自分が命を落としてしまう可能性だってある。

 そんな事、ただのお人好し程度の人間では到底成し遂げられないどころか、行動を起こそうと思っていながらも実際には動けない。


 しかしアルクスは違った。

 スキルを所有し、剣の実力もある。だけど一切の迷いを見せずにマーリエットを助けた。これが、もしかしたらどれだけ無謀な事かも考えずに。


 だからマーリエットはアルクスを欲する。私だけを守ってくれる騎士になってほしい、というだけではなく、その純粋な強さと心に惹かれたから。


「お前を助けた際、アルクスの目に迷いや不安はあったか?」

「いいえ。アルクスは私を助けるためだけに動き、自分の事よりも私だけの心配をしてくれていました。と、断言します」

「だろ? それが、普通だと思うか?」

「言い方は悪いかもしれませんが……いいえ、普通ではありません」

「だろ? その時は武器を持っていたが、なかったとしたらどうしていたと思う?」

「間違いなく、今回と同じように私を助けてくれたと思います」


 マーリエットは自分の発言に嘘偽りはなく、同じくして疑う事すらもない。


「まあ、そこまでする人間ってのは世界中探してもなかなか見つけられないだろうがな」

「ふふっそうですね」


 そんな常人離れしたアルクスではあるが、日常で見せる優しさと純粋な笑顔を一緒に思い浮かべてしまい、マーリエットはクスリと笑みを浮かべる。


「本当に面白い人間だよな。一緒に暮らしていた全く飽きがこない。そう思わねえか?」

「ええ、全くその通りです」

「とりあえず、いろんな意味で化物が近くに居るんだからいろいろと参考にしてみるといい」

「そうさせていただきます」

「さあ、まだまだ続くぞ。そろそろ攻撃する練習も始めないとな」

「え……?」

「なんだ、私の攻撃を受け続けたいっていうんだったら話は別だがな」

「い、いえ! そんな事はありませんよ!?」


 マーリエットは急いで訂正する。

 やられたい願望があるわけじゃないし、いつでもあの苦痛が蘇ってくるから。


「だが、心構えから意識しろ。剣で攻撃をするって事はそう簡単な事じゃない。相手を殺す覚悟が必要なんだ」

「……」

「一国のお姫様にはさぞ現実離れした話かもしれないが、これが現実であり、敵と認識している人間と戦うという事だ」


 ――間違いなく、今は覚悟を問われているんだ。口先だけの人間に、アルクスの隣に立つ資格はない、と。


「そんな覚悟を決めた、みたいな顔をしても意味はないぞ。口と態度ではどうとでも言えるし表せる。でもな、一番大事なのは行動できるかどうかなんだ」

「……なら、どうすればいいのですか」

「私に、攻撃を打ち込むんだ」

「――わかりました」


 ミシッダは距離をとらず、目の前で武器も構えずにマーリエットへ視線を向け続ける。


「はぁあああああっ!」

「――」

「――かはっ」


 言われた通りに、覚悟を示すために剣を上段から振り下ろしてみせた。

 しかし、その剣はミシッダへ届くことはなく。代わりにミシッダの剣がマーリエットの腹をえぐっている。


 当然、そんな不意の一撃を食らえば呼吸困難を引き起こし、地面でうずくまってしまう。


「――はっ――はっ――かっ――はっ」

「動けないだろうからそのまま聞け。今、迷いなく攻撃をしたのは褒めてやろう。あのまま抵抗をしなかったら、額から血が出ていたかもな。――だけど忘れるな。戦っている相手は生きている。それはたとえ人間だろうと猛獣だろうと、だ。そして、行きとし生けるものは程度はあれど思考する。生きるためにも死なないためにも、だ」

「――――はっ――――はっ」

「なら、生きるためにも死なないためにも攻撃を回避したり反撃してくるのも当たり前。そうだろ? そして、一度戦いが始まったのなら、それはもう生死をかけた戦いになるんだ。戦いが終わる頃には、どちらか一方が、もしくは両者が死んでいる」

「で、でも……――」

「幻想を抱くな。お花畑で暮らしているんじゃないんだ。相手を無力化して戦いの場を治めるなんて事ができるのは、本当の化物以外にはできやしない。言葉で説得しようなんて、そんな甘い考えは捨てる事だな。理想と現実は違うように、幻想はただの幻想にすぎない」


 マーリエットは、自身の覚悟が甘かった事を悟る。


「この世の中で、言葉が通用しない人間なんて腐るほどいる。アルクスからその身に何が起きたかの話を聴いたんだろ? それでも尚、敵意を向けてきている人間に言葉が通用すると思っているのか? そんな馬鹿な事があっていいと思うか? いいや、あっちゃいけない」

「……悔しいです」

「何がだ? この期に及んで、まだ相手を説得する道が残されている、とでも言いたいのか?」

「いいえ……無力な自分が情けなく、何もできない事が悔しいです」


 正常に呼吸できるようになってきたマーリエットは、涙を流しながら顔を上げる。


「私は本当に今まで口だけの人間だったんだって、痛いほどにわかります。こんな体たらくでは、他の弟妹ていまい達に嗤われていた理由もやっとわかりました」

「皇女皇子の事情は知らないが、まあそうだったんだろうな」

「そして、私達の無用な争いに巻き込まれてしまったアルクスの家族達に対して、本当に申し訳ないと思っています。それは本心です。だけど、それすらも口先だけだったんですね」

「別にそこまでは言ってないが、罪の意識を抱くなら、その想いだけは一生背負っていく必要はあるだろうな。いや、皇族全員が背をわなければならない業だ。アルクスの亡くなった親族だけではなく、今まで亡くなっていった人間全員に対して」

「その事すらもわからず、のうのうとお城で暮らしていただけではなく、自分が正しいと勘違いしてつけあがった結果、今の状態になっている。でも、それで良かったのかもしれませんね。あまりにも自覚が足りないとハッキリとわかったんですから」

「皇族に生まれてしまった人間は、もはや生まれたその日から憎しみの連鎖に囚われてしまう。さすがに同情はするよ」


 ミシッダはマーリエットへ手を差し伸べ、立ち上がる補助をする。


「やっと、ミシッダさんが私を嗤ったのか理由がわかりました」

「ん? いつの事だ? 思い当たる節がありすぎてわからないな」

「でしょうね! ――一番最初ですよ。私が『革命をするためには――父を、兄妹をも手に賭けることも辞さない』と言った時です」

「ああ、そんな事を言ってたな」

「ミシッダさんの言う通りです。私は、温かいお花畑で優しく守られて育ってきただけの人間なんですね」

「それが自覚できただけでも、一歩外に出られたと思うがな」

「私は不器用で要領が悪く、頭を柔軟に使えず回転も遅いです」

「どうしたどうした急に。そこまで自分を卑下する必要はないだろ。自ら命を絶つとかやめてくれよ」

「そんな事は絶対にしません。責任から逃げるような真似はしたくありませんから。ミシッダさんの言う通りで覚悟を決める事すら今はできないようです」


 マーリエットは木剣を握る手にグググッと力が入る。


「今の私は何もできず、何も示すことができません。ですが、いつか覚悟を示さなければいけないその時に動けるよう、私を強くしてもらえませんか」

「――ったく。調子がおかしくなるなぁ、このお姫様は」


 ミシッダは少し気怠そうに首の後ろへ手を回す。


「私の訓練は、辛く厳しいぞ」

「やります。やらせてください」

「正直、アルクス以外は絶対に耐えられないぞ」

「がめつくて申し訳ございません。回復を大量にお願いします」

「回復できたとしても、骨は粉砕して立ち上がれなくなるどころか、死にたくなるほどの苦痛が伴うぞ」

「な、なんとか頑張ってみせます」

「はははっ、覚悟を問われているというのに答えを躊躇ためらってどうするんだよ」


 ミシッダは、若干だけ目線を逸らしたマーリエットを見て、真剣な雰囲気が漂う中で笑うしかなかった。


「だ、だって……さすがにミシッダさんの攻撃はもうトラウマになってますから……」

「まあいい。じゃあさっそく、続けるぞ」

「はい! よろしくお願いします!」

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