第3話『秘密があるのはお互い様』
「事と次第によっては、このままお帰りいただくことにはなるが」
「そんな物騒なことを仰らないでください。私は、本当に先ほどまで命の危機にありました。それを、アルクスが救ってくれたのです」
「ほう……」
ただの子供なら、その鋭い眼光に晒されば間違いなく泣き崩れるだろう。だが、マーリエットは胸を張り、態度を崩さない。
「それに、命の恩人に自分の精一杯でできる手料理の一つでも振舞わなければ、恥知らずというものです」
「一理あるが、否定はしないんだな」
「ええ、私を見てそう仰られているのであれば隠しようがありません。お父上と同じこの黄金の髪は、どうやっても隠しきれませんから」
「随分と潔く認めるんだな」
「ですが、知らない人にまで自分から語るほど意地を張ってるつもりはありません。――アルクスは、私を知ってか知らずか誰とも変わらず接してくださいました」
「……そうか。立ち話もなんだ、ここに座れ」
ミシッダは依然、張り詰めた空気を解くことはない。
そして、それを察知できないほどマーリエットも能天気ではない。
椅子に腰を掛けたマーリエットにミシッダは眉間に皺を寄せ続ける。
「純粋無垢で優しいアルクスに惚れたか?」
「――いいえ、残念ながら」
マーリエットは静かに首を横に振る。
「だが、だとしたら。それは卑怯ではないか」
「たしかに。アルクスを命の恩人と呼称しながらも、自らの身分を明かすことなく、その親切に甘える。――恩に対して仇で返すも同然の行為」
「だったらどうする。料理を作ってこのまま消えるか?」
「……本来であれば、そうするべきなのでしょうね」
少しの間、二人の間には沈黙が流れる。
「脳内お花畑なお姫様じゃないことはわかった」
「ご理解いただきありがとうございます」
「だが。だが、何故。何故、あいつについてきた。その頭を有しているのであれば、味方となる勢力が必ず捜索隊を組み、数日足らずで合流できるとわかるだろう」
「それはそうですね。ですが……ですが、この巡り会わせは必然だったと私は確信しました」
ミシッダの目には、更なる殺気が帯びる。
「私は彼に協力を要請しようと考えています」
「それはどういうことだ。あまりふざけたことを言うと、こちらも冷静ではいられなくなるぞ」
だが、マーリエットは物怖じせず、胸を張り、目線を真っ直ぐに合わせ言葉を返す。
「――――私は、彼に……アルクスに可能性を感じました」
「……まさか、観たのか」
「……どういうことでしょうか」
「いや、隠さなくてもいい。私にはわかる。その、覗き見るスキルのことを」
「なぜ帝国でも極一部の関係者しかしらない情報を知っているのか、とても気になるところではありますが、知っているのであれば仕方がありません。その通りです」
「それで、あいつを巻き込むっていうのか」
マーリエットは机の上に置かれるミシッダの手に力が込められるのに気がつく。
それでも尚、
「一瞬です。決断に至ったのはたった一瞬でした」
「だからなんだ」
「私は、今の帝国に疑問を抱いています。そして、改革の案を然る時を迎え、御父上――皇帝アインノエルへ進言する手はずでした。ですが、気づけばこの有様です」
「……」
「私は、他の貴族や兄妹とは違うと思っていました。怠惰に日々の時間を持て余す。そんなぬるま湯に浸った人達とは違う。そう思っていました。……ですが、それもまた、思い上がりにすぎませんでした」
マーリエットは、ミシッダの目から語られる「何をいまさら」という言葉が酷く胸に刺さった。
「私は甘かった。だから決めたのです。――革命を」
「……ほう」
「私には覚悟があります。父を、兄妹をも手に賭けることも辞さないほどに」
「随分とご立派なことで。口だけでは何とでも言えるがな」
「……なら、どうすれば私の覚悟を受け取ってもらえますか」
「そんなものは知らん。自分の正義を勝手にこちらへ押し付けるな。……だがまあ、そのご立派な身分で下げる頭を持っているならば、少しは誠意が伝わるんじゃないか。まあ、アルクス相手なら兎も角、見ず知らずの相手にそれができるとは思わんがな」
ミシッダはマーリエットを鼻で軽く笑った。
一帝国の第一皇女ともあろう存在が、一階の市民相手に理由なく頭を下げられるはずはない。
そう踏み、高みの見物を決め込む。
「……わかりました」
ミシッダは机に片手で頬杖をし、マーリエットへ軽蔑の目線を向ける。
だが、予想だにしない行動へ関心を寄せた。
「――――ほう。そこまでできるとはな。正直驚いた」
なんと、アールス帝国でも父と母の次に高位の皇族が、床に額を突いて土下座したのだ。
普通であれば、想像を絶するほどの屈辱。
敗国に成り下がり、勝国に対し非礼を詫びる時以外、本来であればそのようなことはするはずがない。
その覚悟を受け取ったミシッダは、話題を戻す。
「もう頭を上げてもいいぞ。覚悟は伝わった。だが、他人のスキルを相手の許諾なく覗き見る行為は感心できないな」
「そのことも、本当に申し訳ないと思っております」
「一つ訊いてもいいか。もしも、もしもアルにあのスキルがなかったら、どうだった」
「……それでもきっと、私は彼を頼っていました」
「ははっ、気に入った」
ここで初めてミシッダは心の底から笑みを浮かべた。
「随分とおもしれえお姫様じゃあないか。あーっはっは。あー、おもしれえおもしれえ。なんだ、ほら、座っていいぞ」
「……? はい。――そ、そこまで笑われる筋合いはないと思うのですが」
「まあなんだ。こっちとしては、アルをあんたに預けてもいい。後は本人次第だ。そして、姫も自分の正体を明かし、本心を打ち明けるのも自分次第だ。別に隠したままでも文句は言わない。だが、薄々気づいていると思うが、アルはお人好しだ。助けてと懇願されたら断ることはないだろう」
「……」
「ここから出てった後、勝手に罪悪感に押しつぶされるのも良し。だがなんだ。もしも、アルの良心に付け込んで最悪な方向へ利用しようものなら……私は、一つの国を勢いに任せて滅ぼしてしまうかもしれない。これだけは忘れるな」
「紅い瞳、紅い髪……もしかして、あなたは先代皇帝の剣――」
「おっと、それ以上は間違っても口に出すな。お互い、知られたら困ることぐらいあるだろ?」
マーリエットは、今までの毅然とした態度が崩れる他なかった。
冷たい汗が背中を伝い、血の気が一瞬にして引いていく。
アルクスとの運命的出会いに喜びを覚えると同時に、この最悪な出会いに胃がグッと締め付けられた。
――ああ、私の首が繋がっているのは冗談抜きで奇跡に近いという事ね……。
「さて、交渉はこのぐらいにしておくか。最後に、アルの取り扱い方法だけ確認していく」
「はい――?」
マーリエットは目を見開き、唾を飲む。
「正直、あのスキルに関しては未知数だ。私にもわからん。それに、トリガーもいまいちわかっていない……が、あれはあまりにも強大にもなりうる。それは、この私をも超えるほどに」
「……そ、そこまでなのですか」
「ああ。ただ一つ言えるのは、私はその対象になりえなかった」
「と言いますと?」
「アルがまだ小さかった頃、ここで犬を飼っていてな。それはもう随分と仲良しだった。そんなある日、二人で森へ遊びに向かった矢先、熊と遭遇したんだ。その際、アルはあの黒い短剣一本で自分より数倍はデカい熊とたった一人で戦った。そして、熊の咆哮が聞こえ、私が駆け付けた頃には熊は死んでいた」
「っ!? そ、そんなことがありえるんですか!?」
「ああ、
マーリエットは息を呑む。
――この人もさることながら、アルクスも想像以上。あんな純粋無垢な笑顔をみせる裏は、そこまでとは……。
「アルはあんな感じだ。自分の強さなんて、これっぽっちもわかっちゃいない。まあ、自分の
「はい」
マーリエットは身に覚えのあることに、つい頬が緩みそうになる。
「これだけは覚えておけ。アルの力はどこまでいくかわからない。村を、都市を、国を、世界をも変えてしまうかもしれない。――だから、力の使い方を見誤るな。間違えれば、お前自身も腐り果てるぞ」
スケールの大きすぎる話に、マーリエットは手汗が止まらない。
「と、話はこんなところか。そろそろアルが帰ってくる。せいぜい、アルを篭絡させてみせろ
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