閑話 田中美智留

「日高、今日この後時間ある? 話があるんだけど」

 帰りのショートホームルームが終わり、ざわざわしている教室の中で私は真っ先に日高のところへ向かって言った。

 私がそんな風に誘ってくるとは思わなかったんだろう。

 少し驚いて間をあけてから「ああ、良いけど」と戸惑い気味に答える日高。

 昨日、灯里から色々話を聞いて思うことがあった。

 それで日高には一言言ってやらねばならないと決意していた。

 それに、他にもどうしても気になっていることもあるし。


「美智留ちゃん?」

 灯里が不思議そうに私が日高を誘うところを見ていた。

 昨日の今日だから、きっとちゃんと向き合うためにも日高と一緒に帰ろうかとか思っていたのかも知れない。

 でもごめんね。その前に日高には聞きたいことがあるんだ。

「ごめん灯里、今日だけ日高借りるわ」

「え? いや、別に私に許可とる必要はないかと……?」

 と言いつつ、ちょっと残念そうに見える。

 やっぱり日高と一緒に帰るつもりだったんだろうな。

 ごめんね、ともう一度心の中で謝ってから「行こうか」と日高を連れて教室を出た。


 校内から出たら「ちょっと私の行くとこ付き合ってね」と伝える。

「まあ、いいんだけど……。どうしたんだ? 俺に話って珍しいな?」

「……あんた、灯里のことが好きなんでしょう?」

 少し考えたけれど、ここは直球で話すことにした。

 言いたいことはその後の事だから。

「……やっぱりあいつ、お前らに相談してたのか」

「それは日高も同じでしょ? 昨日の昼、あんたも工藤達に話したでしょ?」

 昼休み、戻ってきたら男子チームの様子もおかしかった。

 工藤は何だか面白そうな顔してたし、花田は困り笑顔で灯里を見ていた。

 日高はちょっと落ち込んでるように見えたし。

 どういう話をしたのかは分からないけれど、灯里の事でたしなめられたって感じかな、と想像出来た。

 一昨日灯里の様子がおかしかったのは花田も気付いていたみたいだったし。

「何で知ってるんだよ」

「様子を見て何となく、ね。やっぱり話してたんだ」

 誘導尋問に引っかかったとでも思ったんだろうか?

 日高は苦虫を噛み潰した様な顔をした。


 そんなやり取りをしていたらすぐに目的地に着く。

 学校からは数分でつく場所だったから。

「……おい、ここに行くのか?」

「そうよ、私の家」

 正確には、私の家の前部分にある理容室。

 いつもなら裏に回って家の玄関から入るんだけど、今日はサインポールが脇で回っている正面から入る。

 でも日高はついてこない。

 私は振り返って言った。


「来なさいよ、あんたの髪切ったげるから」

「いや、俺は別のところで切るから……」

 渋る日高にため息を吐きつつ、重ねて言う。

「ここは場所貸してもらうだけで切るのは私だからタダだよ。それにバッサリ切ったりしないから安心して。……あんたの顔が実は良いってことも気付いてるから、来なよ」

 踏ん切りをつけてもらうために、最後の言葉を付け加える。

 すると今度は本気でビックリした様で驚きの表情のまま固まってしまった。

 いくら隠していたって、顔の形が変わる訳じゃないんだから深く関わっている人間がいつまでも気付かない訳ないじゃない。

 まあ、相当鈍感なら気付かないかも知れないけれど。


「ほら、入って。それ以上伸びると校則に引っかかって指導されちゃうでしょ?」

 そう言うと、渋々といった様子だけど中に入ってくれた。

「あ、お帰り」

 入ると同時にお父さんから声が掛かった。

「お? 美智留ちゃんか。高校生になったんだなぁ。家から近くて良いだろう」

 そう聞いてきたのは常連のおじさん。

 おじさんの髪は整えられているから、切った後なんだろう。

 他のお客さんがいないときはそのまま居座って話をしている常連さんだ。

 二つあるスタイリングチェアは誰も座っていないので、今も何かの話で盛り上がっていたところなんだろう。


 おじさんは日高を見て「彼氏か?」なんて聞くけれど、本気で言ってるわけじゃない事は明白だ。

「そんなわけないでしょ」

「だろうなぁ、その子の髪見りゃあ分かるよ。また見ていられなくて連れてきたんだろ?」

「そういう事」

 中学の頃から男女問わず髪がボサボサな子はここに連れてきてカットしていた私。

 だから入学当初から日高の髪は切りたいとずっと思っていた。

 でも流石に同じクラスになっただけ、という状態で切らせてとは言えない。

 だからそこそこ付き合いの出来た今、丁度良いから話をするついでに切らせてもらおうと思ったわけだ。

 これが今日日高を誘ったもう一つの理由。


「お父さん、奥のチェア借りるね」

「おう。いつも言うが、慎重にやるんだぞ」

「うん、分かってる」

 場所を貸すからには相手に傷を負わせることは厳禁だと、いつも言われること。

 当たり前のことだけれど、とても大事なこと。

 ただでさえ理容師のはさみはよく切れるから、緊張感を忘れちゃいけない。

 人の髪を切るようになってから、口うるさいくらいお父さんから言われた言葉だ。


「日高、座って」

 うながして座らせると、カットクロスを掛ける。

「メガネも外してね」

 と言うと、一瞬ためらいつつも私が彼の素顔に気付いていることを思い出したのか外してくれた。

 内側の髪から切るために髪を上げると、日高の整った顔がハッキリ見えて来る。

「おお……」

 思わず感嘆の声を上げてしまった。

 整った顔をしているとは思っていたけれど、ちゃんと見ると予想以上だった。


「この顔で灯里に迫ってるの? わー心臓に悪いだろうね」

「……どういう感想だよそれ」

「だって、あんた顔だけで女寄ってきそうだもん。普通の女子高生じゃあ心臓爆発しそう」

 ちょっと大げさに言うと、日高は「確かに寄ってくるけど……」と目を逸らした。

「でも灯里には全く通用しねぇんだよ」

 ボソッと口にした言葉だったけれど、近くにいた私にはしっかりと聞こえる。

「え? 通用しない?」

 聞き返すと、チラリと鏡越しに私を見た日高はもう一度目を逸らして答えた。


「メガネ外して、素顔さらして迫っても誘惑されてくれねぇんだよ……」

 だから攻めあぐねてるんだとうなる。

「へぇ……」

 ちょっと、意外だった。

 灯里は地味な格好をしてはいても、普通の女子高生だと思っていたから。

 でも確かに顔で相手を判断するような子ではないと思う。

 たまに人の顔をジッと見たりしているのは気付いていたけれど、顔の良い人ばかり見ていたわけじゃないし、何か別の基準で見ている感じだった。

 そう、例えば私が日高の髪を切らずにはいられなかったような。


 私は櫛とはさみを両の手に持ちながら、それにしてもと思う。

「って言うか日高、そっちの口調が素なの?」

 メガネを取った辺りから口調が崩れている気がする。

 しかも灯里の事を名前で呼んでいるし。

「あーまあな。素顔バレてるし何かもういっかなーと思って」

「いい加減だね……。灯里にもそんな感じなの?」

 呆れつつも、そこはしっかり聞いた。

「ああ。あいつにも結構前にバレてたから」

「へぇ」

 灯里は結構鈍感っぽいのに、いつ気付いたんだろう?

 それか何かハプニングでもあったのかな?

 何にせよ、好きな女の子の前で素を出してるってのは好感が持てる。

 少し感心しながら私は日高の傷んだ髪を切り始めた。


 内側は少し長めに切り、すきばさみを使う。

 外側を被せる様な感じにするため、内側の髪は結構思い切って切っていく。

 ようは顔が隠せる長さがあれば良いんだろうから、前髪や横の髪を出来るだけ残す様にしていった。

 切りながら会話も出来れば良いんだけれど、緊張感をもってはさみを使おうと思うとまだ上手く会話を弾ませられない。

 理容師か美容師、どちらになりたいのか私はまだ悩んでいる。

 どっちかにはなるとは決めているものの、カット技術が優れているという理容師も憧れるし、髪結いなども出来る美容師も素敵で。

 最近は顔そりが出来るか出来ないか、女性にパーマを掛けれるか掛けれないかの違いしかほとんどないけれど、別々の国家資格が必要だから迷ってしまう。


 そんなことを思いながらカットを進めていくと、日高の方から話しかけてきた。

「……それで、話ってのは何なんだ? 髪切ることなのか?」

 暗にそんなわけないよな、って感じに聞かれる。

 事実その通りだ。

 髪を切るのはやりたいことであって話したい事じゃない。

 そして一番言いたいことはまだ口に出していなかった。


 チラリとお父さんたちの方を見る。

 話が盛り上がっているようで、こちらのことは気にしていなさそうだ。

 大声を出さなければ聞こえないだろう。


「……日高さ、いきなりキスはまずかったんじゃないの?」

 少し考えてから、私は話し始めた。

「灯里は思ってた以上に鈍感みたいだったからさ、告白する前にそういうことしたらからかってるとか遊ばれてるとしか思わないんじゃない?」

 というか、ほぼそんな感じだった。

 昨日ちゃんと告白してもらったのと、私達との夜のメッセージのやり取りで自分の気持ちともちゃんと向き合うって言ってくれたけれど……。

 それでも日高がキスしまくったりとかしたらまた変な方向に考えてしまいかねない。


「……灯里が、そう言ってたのか……?」

「まあ、昨日の昼の時点ではからかわれてるとしか思ってなかったわね」

 恐る恐ると言った感じに聞いて来たので、正確に答えてあげる。

「帰りにあんたがちゃんと告白したみたいだから、あんたが灯里の事好きだってことはちゃんと伝わってたけれど……」

 そこで少し安堵したような表情を見せた日高に、私はわった目を向けた。

「言っておくけど、伝わっただけで灯里はあんたの事好きかどうか分からないって言ってたからね?」

 念を押すように言ったけれど、日高は口端を上げ不敵な笑みを浮かべる。

「“分からない”なら何とかするさ。逃がすつもりはねぇ」

 その言葉に少し驚く。

 顔が良いのは知っていても、性格までこんなだとは思っていなかったから。


 本当に、灯里の言っていた通りの性格なんだね……。


 そう驚きながらも釘は刺しておく。

「だからって、ボディタッチ激しすぎると勘違いしかねないからね? 部屋に連れ込むとかも止めといた方が良いよ」

 具体的に言うと、日高の頭がピクリと動く。

 まさか……。

「もう連れ込んだとか言わないわよね?」

 頬が引きつる。

 でもそう言われた日高の目は気まずいというより遠い目をしていて……。

「昨日な、来るかって言ってはみたんだ……」

 そして自嘲の笑みを浮かべる。

「そしたらOKされてな……。警戒心なさ過ぎて逆に俺の方からやっぱり駄目だって言う羽目になった……」

「……うわぁ……」

 灯里、あんたそこまで鈍感だったとは……。

 私は初めて本気で日高に哀れみの目を向けた。


 その後は何となく話も出来ず、すぐにブローをして髪を切るのを終える。

 地味男なままで、少しはサッパリしたように見えるだろう。

 日高は出来に満足してくれたのか、感心しつつ「サンキュ」とお礼を言ってくれた。

 そして私は「まあ、色々頑張って」と励ましの言葉を添えて見送る。

 見送りながら、日高と灯里のカップルは日高の駆け引き次第なのかなぁなんて思ったのだった。

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