王子と妖精の、多分平和な物語

響 蒼華

現在『乙女』量産中

 童話の王国、と称される国があった。

 童話から抜け出てきたような街並みが拡がり、そこかしこに花が咲き乱れる美しい国。

 優しい王の治世の元、民は平和な暮らしに微笑みながら暮らしている。


 国の娘達の間では、憧れを以て語られる話がある。『真実の乙女』の言い伝えだ。

 王国において世継ぎの王子には、フェアリー・ゴッドマザーと呼ばれる王家を守る妖精による加護がある。

 王子の名づけ親となるゴッドマザーは、王子の花嫁に相応しい娘を探し出す事を己の役目とする。

 美しく、賢く優しく。辛い境遇にあってもけして挫けること無き気高き乙女。

 どのような身分立場の娘であろうと、王子に相応しい姫君としての資質を見出せば祝福を与え、ゴッドマザーは彼女を王子の元へ導く。

 年頃の乙女たちは、何れ自分が妖精のお眼鏡に適い『真実の乙女』に選ばれる日を夢見て暮らしている。


 しかし。

 何故かここ暫く王国において、その『真実の乙女』が量産されていた。

 


 白亜の宮殿の一室にて、簡素な長衣に身を包んだ不思議な杖を手にした少女が、静かに青年の前にて礼をとった。

 透き通るような白い肌に白銀の真っ直ぐな長い髪、紫水晶のような瞳を持つ小柄な少女に気付いた青年は、嬉しそうな笑みを浮かべた。

 少女の耳は、少しばかり細くて先が尖っている。

 彼女は人間ではない。妖精と呼ばれる種族の一人である。

 妖精が目の前に姿を現わした事に露程も驚かず、青年は少女に声をかける。


「やあ、リゼル。何か用かい?」

「エスター王子。お伺いしたい事が御座いまして参りました」


 リゼルと呼ばれた少女は、感情をなるべく伺わせないように全神経を集中しつつ、王子と呼んだ青年を見つめた。

 実に美しい青年であると思う。客観的に見たならば。

 陽光を紡いだかの如く輝く金色の髪を後ろで軽くまとめ、蒼い瞳が涼やかな目元には穏やかな笑みを絶やさない。

 均整の取れた長身には、質が良いもののけして華美ではない装束をまとい。優雅に佇み、来訪者であるリゼルを見つめている。

 彼こそが、この国の全てに愛され、全てを愛し。恵まれ、祝福された王子と称されるエスターであった。

 国王夫妻にとっては年を取ってからようやく授かった唯一人の息子だった。

 両親や周りの愛情を一身に受けて、優れた容姿を持ち文武に秀でた青年は、美しき国に相応しい貴公子に成長した。

 喜ぶ両親は、名づけ親である守護妖精に、王子の花嫁として素晴らしき乙女をと望んだ。

 妖精は承諾し、力を尽くして『真実の乙女』を探しだし、王子の元へ連れてきた。

 めでたし、めでたし。

 ……で終わっていれば、リゼルがこうして王子の前に参上する事はなかったのである。

 杖を握る手に力が籠りそうになるのを抑えつつ、リゼルは努めて落ち着いた声音で問いを口にした。


「先日この城にお連れした乙女が、城を出られたと聞きましたが」

「ああ。お別れする事になったから」


 何気ない口調で、何でもない事のように言われた言葉に、明確にリゼルの表情が凍り付いた。

 どうしたの? と邪気のない笑顔で首を傾げられて、ふるふると彼女の肩が震え始める。

 沈黙したまま俯いてしまったリゼルを、エスターが覗き込んだ瞬間だった。


「いい加減にしろ! このろくでなし王子!」


 リゼルの手にした優美な杖が、凶悪な軌跡を描いて王子に繰り出される。

 それを難なくかわしながら、王子は肩を竦めて溜息交じりに呟く。


「リゼル、暴力は良くないよ?」

「黙れ外見詐欺! これで何人目だと思ってる! 今度こそは大丈夫だと思ったのに!」


 リゼルは、この優男然とした王子が、実は煮ても焼いても食えない腹黒であると知っている。

 それで幼い頃から何度面倒に巻き込まれたことだろう。

 こいつには油断するまい。それが幼いリゼルがあれこれ修羅場を潜り抜けてきて誓った事だった。

 いや、今はそれは置いておくとして、問題は先日城に連れてきた『真実の乙女』についてである。

 言い伝えられているように、王室を守護する妖精は、王子の花嫁たるに相応しい『真実の乙女』を見出す役目を持つ。

 それに倣い、リゼルは先日、彼が望んだとおりの乙女を見出し花嫁とする為に連れてきたはずだった。

 しかし、本日登城して驚いた。

 乙女は、もう城から出ていってしまったという。

 慌てて乙女が滞在していた部屋に走ったものの、もう既に影も形もなかった。

 王子殿下の意向です、と何度聞いたかわからない答えを背に、こうして王子を問い詰めにやってきた次第である。

 乙女を城から送り出した理由を問われたエスターは、少し考えた後に重々しく告げた。


「胸回りが少し平過ぎたかなあって」

「おう。全世界の慎ましい胸のお嬢さんたちに平伏して詫びてこい」


 少しばかり自分の控えめな胸元を気にしながら、リゼルはエスターの胸倉を掴みかねない勢いで言った。

 真っ黒なオーラを纏いながら詰め寄ってくるリゼルを見て、困ったように笑いながら続けた。


「ちゃんと嫁ぎ先を世話したし、お互い納得して別れたよ?」

「運命的な出会いがいいとかぬかすから、わざわざ舞踏会の演出までしたのに! 返せ、私の労力!」


 この王子は意外にロマンチストというか何というか。

 運命の相手と舞踏会で踊りたいと言うので国王に頼んで舞踏会を開催させ、そこに乙女を紛れ込ませた。

 リゼルは踊らないの? と問われたが、裏方で演出に勤しんでいたのでそんな余裕はあるはずがない。

 国王まで巻き込んで、舞踏会などという大舞台まで整えたというのに、この王子は。

 そして、リゼルがここまで激怒するのには理由がある。

 何故なら、この騒動は今回が始めてではない。ここ暫く、頻回にこのやり取りをしているのだ。


 運命の相手は銀の髪がいいというから、月光を紡いだような美しい髪をした少女を探してきた。

 三日でやっぱりウェーブヘアはちょっと、と言って新たな商売を始めたいという相手の願いを叶える元手を援助して送り出してしまった。


 運命の相手は紫の瞳がいいというから、菫の花のような瞳の乙女を探してきた。

 五日で、やっぱりぱっちりと円らな瞳より切れ長がいいな、と彼女が望んだという異国への留学へ送り出してしまった。


 運命の相手は小柄で華奢なひとがいいというから、触れれば壊れてしまいそうな儚さを持つ乙女を探してきた。

 一週間で、やっぱり壊れそうでちょっと怖いのでもう少し丈夫な子がいい、と静養先を世話してやり送り出してしまった。


 以下省略。

 リゼルがどれほど条件に適い妃として相応しき乙女を見出して彼に引き合わせても、彼は皆丁寧に城から送り返してしまう。

 ただ、弄んで捨てた、という話ではない。ポイ捨てしていないのはまだいい。していたら問答無用でしばき倒している。

 むしろ環境は改善した、夢が叶ったという娘ばかりの為、年頃の少女達は「次は私のところにこないかな」とウキウキしながら待っているらしい。

 しかし、繰り返し奔走させられるリゼルとしてはたまったものではない。

 リゼルが、乙女に相応しい娘達を探しだしたのも、彼女達に祝福を与えたのも。城に導くために尽力したのも。


「お・ま・え・の! 嫁にする為にあれこれ支度整えて連れてきたんだよ!」

「リゼル、顔が怖いよ」

「誰のせいだ!」


 努力の悉くを無に帰してくる相手に、リゼルの声はドスの聞いた低いものとなってしまう。

 笑顔を浮かべたままの相手を睨みつけながら、リゼルは更に眉間に縦皺を刻みつつ叫んだ。


「そもそも、お前のゴッドマザーだったのは母様であって、私じゃない!」


 リゼルは確かに妖精であり、王家を守護する役割を引き継いだもの。

 だが、エスターの名づけ親たるゴッドマザーはリゼルではない。亡くなったリゼルの母だ。

 正確に二人の間柄を表すならば、幼馴染というのが一番適切であるだろう。

 その彼女が、何故ゴッドマザーが負うべき役目である王子の花嫁たる『乙女』探しに必死になっているのか。

 それは、ひとえに母親の遺言である。

 母は死の床でリゼルに遺したのだ。私の亡き後は、王子の事をくれぐれもよろしくね、と……。

 故に、リゼルは毎回憤慨しながらも役目を放り出さずに居るのだ。


「いいか、次は絶対に帰すなよ!? もう、即日結婚式の準備してから連れてくるからな!?」

「あまり焦るのは良くないとおもうよ?」

「黙れ元凶」


 杖で王子の頬をぐりぐりしながら、低い低い声で妖精は告げる。

 目が完全に座ってしまっている。口元だけ笑っているが目が笑っていないのがとてもシュールな光景だ。

 痛いよ、と降参したように手を上げる相手を見てようやく留飲を下げたらしいリゼルは杖を離した。

 赤くなった頬を押さえながら、リゼルの怒りんぼと呟くエスター。

 少しばかり情けない様子を見つめつつ、リゼルは盛大に溜息を吐いた。


「何時になったら私は旅に出られるんだか……」

「……旅?」


 鸚鵡返しに問い返した声が、少しばかり低くなった気がしたのは気のせいだろうか。

 リゼルが、言っていなかったかと言いながら見つめた先で、エスターは変わらず微笑んでいる。

 変わらない、はずだが……。

 

「この国もある程度安定しているし、母様のように偉大な守護妖精となる為にも、修行を積みたい」


 これは前々から考えていた事だった。

 リゼルは、この国以外を知らない。

 王国の守護を司っていた母親に育てられてきた。この国から出た事は一度もない。

 国を守護する責務を考えればそれでいいのか、という問いが自分の中にある。

 偉大は母のようになる為には見聞を広める事も大切ではないかと思うのだ。

 何かを考え込んで沈黙するエスターに眼差しを向けた後に、くるりと身を翻して歩き出しながら振り向く事なく言い放つ。


「お前の子供が生まれる頃には帰ってきてやるから、つべこべ言わずに見送れ」


 乙女を妃に迎えたならば、何れ子が生まれるだろう。

 世継ぎのエスターの子が誕生したら、今度こそ自分は正しくゴッドマザーと呼ばれる存在になる。

 いい名前を考えてやる、と残してリゼルはエスターの部屋を後にした。

 

 扉を閉めて、リゼルは思う。これでいいのだ、と。

 胸に蟠りのような、暗い雲のようなものがあるのは事実だ。

 だって、あちらは人間で、自分は妖精で。

 加護を受ける王子で、加護を与える側で。

 エスターは乙女を妻に迎え、何れ子を為し。リゼルはその子のゴッドマザーとなる。

 だけど、それまでの間、彼が嫁と仲睦まじく暮らすのを間近で眺め続けている事もない。

 いずれ来る時まで、諸外国にて学び、心を整えたっていいはずだ。

 そうしたらきっと、笑顔を以て彼の息子をゴッドマザーとして慈しめる気がする。


 物思いに沈みながら、断ち切るようにしてリゼルは歩き出した。

 だから、気付きようがなかったのである。


「へえ……そんな事を考えていたんだ……」


 王国の女子という女子が憧れる理想の王子が発した、低くて、暗くて、重くて。

 それでいて熱い何かが籠った呟きに……。

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