第一章 十九話 紅白戦⑤―一回表― 「想定外」

 0対0で一回表、1アウト、走者ランナー一塁。打者は巧打者の三番上原。


 一塁ベースに片足を掛け、ユニフォームに着いた土を払いながら状況を整理する。牽制の後でも守備シフトは動いていない。だけど、さっきのプレイの後だと、ある程度塁上から離れているとはいえ、私の後ろに居る一塁手の動きが気になってしまう。


 気を抜いたつもりはない。けれどこの特異な守備シフトを見て、次の塁への気持ちが逸ったことは確かだ。それを相手は見逃さなかった。甲子園出場チームから得られた貴重な出塁。大事にしよう。そう思って普段と同じくらいの歩幅でリードを取る。


 相手投手がセットポジションに入った。相手投手の軸足に注意を払う。牽制球を投じる際に、振り上げた右足が軸足となる左足に交差するとボーク違反投球になる。言い換えれば、交差した瞬間、牽制球を投じる可能性がなくなる。


「…………。」


 そんな警戒をする私の視線と相手投手の視線が絡み合う。投球直前の目線による牽制。左投手だからこそできる牽制の形だ。


「……くっ!!」


 第二リードが完全に遅れた。 盗塁が難しいならせめて『スタートダッシュを良くして、ダブルプレイを避けようとしている』私の魂胆を見抜いたかのような対応。


 そんな焦る私の内心などおかまいなしに試合ゲームは進む。


「タイミングが、悪いっ!」


 上原が外角の球を体勢を崩しながら打ちに行った。


 バットを柔らかい地面に叩きつけたような鈍い音がグラウンドに響いた。打球は緩く、けれど二塁手セカンドの頭上を越える勢いだ。


 ――確実に落ちる。


 そう思った私は一気に加速する。打球は予測通り、一二塁間の後方に落ちて右中間を転々としている。


 この守備シフトなら本塁ホームに帰れる……。


 この試合は両翼に選手が居ない。だからヒットコースも広ければ、守備側の打球処理も通常より遅いはず。そんなことを考えて疾走する私は二塁セカンド付近で打球の行方を再度確認する。


「……うそっ、打球処理が速い!?」


 私が二塁セカンドに到達した時点で相手中堅手センターはすでに打球に追いついていた。 三塁サードへの進塁すら際どい判定になるタイミング。


「っ三塁サード!!」


 相手捕手から遊撃手ショートへの中継プレイへの指示がグラウンドに響く。

 二塁セカンドベース後方で中堅手センターからの送球を受けた遊撃手ショートはそれを聞いて一塁ファースト付近でオーバーランした打者走者を一瞥し、すぐさま三塁サードへ転送した。


「「えり、スライ!!」」


 ベンチから切羽詰まった声で夏波みなみとれなが叫ぶ。


「……間っに合えぇ!!」


 ベースから約2m手前からのスライディング。そしてその直後に来る肩への軽い衝撃。


「う~ん。また際どいけどセーフだね。これは。」


「はぁ……はぁ……ふぅ……。……ですね。」


 肩にグラブを当てながら軽い口調でそう話しかけてきた三塁手サードに息切れを起こしながら何とか返事をする。


 たった2つのプレイでもうすでに私のユニフォームは泥にまみれてしまった。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 


「あっぶなぁ~。今のギリギリだったね。」


「う、うん。中堅手センター遊撃手ショートの中継が完璧だったね。」


「でもこれで1アウト、走者ランナー一、三塁。……もしかして初回から結構点入っちゃうんじゃない?」


「上原君も良く打ったよね!!」


 久遠さんと新山さんがそんなやり取りをする横で僕は天を仰いでいた。


 ……せめて今のプレイで1アウト、走者ランナー二塁、三塁の形にしたかった。欲を言えば漆原さんには生還得点して欲しかった。


 味方ベンチに落胆の気持ちが伝わらないように「ふぅ……」っと息をつく。


 でもこれは相手のプレイを賞賛かな。


 そう。確かに久遠さんたちの言う通り、今の中継プレイは完璧だったし、打った上原君も賞賛だ。でもそれだけじゃない。


 ……何故中堅手センターがあれだけ素早い打球処理が出来たのか。

それはプレイ前のポジショニングで中堅手センター右翼ライトに寄っていたから。


 ……何故そんなポジショニングが出来たのか。

 それは捕手キャッチャーが引っ張り打ち――つまり、左翼側への打球が飛びにくいコースへ要求して、それに投手が応えたから。


 ……何故今の打球コースで一塁走者ファーストランナー三塁サード進塁で際どい判定になったのか。

 それはトッキーの牽制によってスタートが遅れたから。


 ……何故長打コースの打球で打者走者が二塁セカンドまで進めなかったのか。

 それは上原君が中継プレイの際、相手遊撃手ショート――大日向のによって、進塁を躊躇させられたから。


 野球はすべて繋がっている。それを体現したようなワンプレイだった。まさに都立板東高校の総合力の高さが如実に表れたプレイだろう。それにしても……。


「皆、成長したなぁ……。」


 年甲斐もなく感動してしまった。特に今の一、二年生は入学したときからずっと一緒にやってきただけあって色々思うところがある。……感動している場合ではなかった。今の状況、走者ランナー一、三塁は守備側から「守りやすい形」と言われることが多い。


 野球で走者ランナーをアウトにする方法は二種類ある。

 フォースForceプレイとタッグTagプレイだ。

 簡単に言えば、前者は球を持った人がベースを踏んで(触れて)アウトにする方法。後者は球を持った人が走者にタッチ(タッグ)してアウトにする方法。アウトを取る方法としてはベースを踏むフォースプレイの方が簡単で、動いている(逃げる)走者に触れる必要があるタッグプレイの方が難しい。


 今の走者の配置とアウトカウントは一塁走者、打者走者、それぞれをフォースプレイでアウトにすることが出来る条件が揃っている。故に「守りやすい形」。打球方向、勢いによってはダブルプレイを狙える。

 勿論、攻撃側としては三塁サードに走者が居るので得点の機会チャンスではあるのだけれど、見た目以上に得点が入りにくい状況と言っても良いだろう。


「さぁ、寺原!!続けー!!」


 右打席に入る四番の寺原君に声援エール送る新山さんたちを横目に相手の守備シフトを確認する。


 ……守備シフトは…………お、中堅手センター左翼レフトにかなり寄り、若干センターラインに寄っていた遊撃手ショート二塁手セカンドが新山さんの打席の時と同じように極端に深い守備位置に戻った。


 ……この守備シフトの感じだと一樹かずきの狙いは多分……。


 寺原君に投じられた一球目は内角低めへの直球ストレートが枠を捉えストライク。寺原君は窮屈そうに見送る。


 捕手からの返球後、間髪入れずにセットポジションに入る。そしてテンポ良く二球目が投じられた。


 ゴスっと鈍い音と共に一塁線ファールゾーンを白球が不規則な回転を描きながら転がっていった。見るからに打ち損じ。先程の直球ストレートと比べ、格段に遅い外角のカーブを何とか当てることが出来た。そんな感じ。


 機械のような繰り返し動作で放られる三球目。

 これは直球ストレートが目に見える形で外れ、それを寺原君が悠然と見送る。


「オッケー!!よく見た!!」


「ナイスピッチ!!良い球来てる!!」


 両ベンチから飛ぶ声援がグラウンドに木霊する。そんな声援に乗っかるように四球目が投じられる。


 ……やはり勝負球は内角か!!


「……インッコース!!」


 右打者のインサイドを抉る直球ストレート

 それを不格好ながら左足を引き、軸足を起点に身体全体を回転させることで強引に打ちに行った。


 振るわれたバットの根本に当たる。

 打球の勢いはそれほど強くない。けれど、投手ピッチャーの足元を抜け、二遊間へ転がる打球は球形というよりもむしろ、楕円に変形していて、それが強烈な回転スピンが掛かっていることを物語っている。


 打球の勢い、方向を瞬時に判断し、三塁走者サードランナー本塁ホームに突っ込んだ。強い回転により不規則なバウンドで転がる打球を遊撃手ショートが全力で前進チャージして追う。深い守備位置を取っていたのが裏目に出た。


「……二塁セカンド!!」


 その様子を見て、プレイヤーの中で最も全体を俯瞰できる司令塔キャッチャーが瞬時に指示を下す。打球に追いついた遊撃手ショートが難なく捕球、反転し、ベースカバーに入った二塁セカンド目掛けリズミカルに転送する。


「……一塁ファーストは無理!!投げなくていい!!」


 捕手による冷静な判断で打者走者を諦め、一塁走者ファーストランナーだけを確実に二塁セカンドで殺す。


 ――――すなわち、それが意味するところは……。


「「…………や、やったぁぁぁぁぁぁぁ!!一点取ったぁぁぁ!!!」」


 三塁側から湧き上がる歓喜の声。……主に女子二名による。

 けれど男子たちも心が湧きたったかのように顔を紅潮させ、「これワンチャンある?」、「甲子園出場校から一点取れた……。」等喜びを隠せない様子だ。


 一方で「「……やっべぇ。……マジでペナルティあるかも……。」」そんな心の声が漏れ出ている一塁側の選手たちの表情が対照的に映る。……一番怖いのは沢井さんが満面の笑みを浮かべ、ニコニコしていることだろう。……マジで怖い……。


 打球は完全に打ち損じだった。普通の試合であればダブルプレイを取られ、無得点で終わってもおかしくなかった。けれど、この変則的な守備シフトを良い具合に掻い潜るように打球の勢いが殺されたことで、打者走者が生きた。


 ……上を見ればキリがない。まずはこの得点を喜ぼう。願わくば、これを切っ掛けに彼ら彼女らに自信が付いてくれれば良いのだけど。そう思ってユニフォームを泥だらけにしてベンチに戻って来た漆原さんに両拳を突き出し、声を掛ける。


「漆原さんも良く突っ込んで来たね。ナイスラン!!」


「はぁ……はぁ……さっき、一個だけ……走塁でミスっちゃったので、今度は間違えなくて良かったです。」


 息を切らせ、そう言って漆原さんは控え目に拳を合わせる。


「えり!!良く打った!!良く走った!!」


「全然当たり良くなかったじゃない……。でも夏波の援護が出来て良かった。」


「う、うん。ありがとう!!な、何とか抑えられるように頑張るよ。」


「な~に言ってんの。まだ攻撃終わってないんだから。……それに人数少ないから皆が塁に出ればまたあたしに回ってくるから、そしたらあたしも夏波のこと援護するし!!」


「あ、あはは……期待しとくね。…………あっ……。」


 点が入ったことで女子陣を筆頭に一段とベンチの雰囲気が明るくなった。その直後、これ以上相手を調子づかせまいとする相手バッテリーに、続く岩貞君が一球で一塁ファーストゴロに打ち取られる。


「ま、そんなに上手くは行かないよね。」


「良し!!じゃあ美波頼むね!!」


「が、頑張る!!」


 岩貞君が打ち取られたことで3アウト。守備陣が一塁ベンチに引き上げ、反対に攻撃陣がグローブを持って各々の守備位置に散っていく。


「あ、久遠さん。」


「は、はい。何でしょう?」


「試合前に言ったこと、忘れないでね。」


「……はい。」


 久遠さんはそう言ってマウンドに小走りで向かって行った。


「……一点か…………。」


 正直に言えば、予想以上に点が入らなかった。この試合形式と相手投手ピッチャーの立ち上がりの悪さから言えば、もう二点くらい取れてもおかしくない。


 都立板東は良くも悪くも総合力の高さが魅力のチーム。逆に言えば飛び抜けた個が居ない。だからエース投手ピッチャーでも全く手も足も出ないレベルではない。加えて当たればヒットになりやすいこの試合形式を考えればこそ得点の期待値が大きかったのだが……。


「あとは、未知数のエースに期待するしかない……か……。」

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