4-23 空間なう
◇
「ゼロの魔法……」
朱音が吐いた言葉を、頭の中で今一度理解するために自分自身でも呟いてみる。
「ああ」と朱音は頷きながら、そうして言葉を続ける。
「天音には対極を見極める力がある。だからこそ、対極を見極めたうえで、その対極を限りなくゼロに近づけた魔法だって放つことができる。私たちはそれにあやかる形で転移の魔法を使わせてもらうのさ。……まあ、魔法を使わせてもらうのは癪でしかないけどな」
言葉尻のほうには、確かに癪であることを示すような、少し苛立ちを含めた声音。魔法を使うことに対して、朱音がどのような価値観を持っているのかは知らないし、きっとこれこそが悪魔祓いの持つべき思想なのかもしれない。けれど、いまいち理解できない俺には、その様子を視界にとどめることしかできない。
そんなことをしながらでも頭の中で情報の整理。朱音と天音は足を止めることはなく、延々と空間を歩き続けるので、その後方に続きながら、別に考えなくてもいい事柄を頭に刻み込んでいく。
ぶっちゃけ、なんとなくわかったような、わからないような。そんな感覚ではあるけれど、言わば悪魔祓いの体質を考えるのであれば、魔法という対極が存在するものに身体は反発するのであって、その対極が存在しなければ反発はしない。朱音はそう言っていたし、きっとそれ以上のことはないのだろう。
……なんか、まだまとめきれてはいないような気がするけれど、これ以上一人で考え込んでも解決なんてしないし、埒なんてあかない。結局は原理を知らずとも転移はできるのだから、別にそれでいいような気もする。
──だが、それで本当に悪魔祓いの頂点に立つことができるのだろうか。
未知の部分を未だに理解できない自分自身と、これから歩く道先について、どうしても俺は不安を隠すことはできなかった。
「……ちなみに、あとどれくらい歩くの?」
「ん? ああ、あとだいたい四時間かな」
「マジで?!」
■
なんでなの、と、私はお父さんにそう言った。
遠い昔の記憶だ。きっと、私が一番最初に、私として目覚めた、物心が始まったときの思い出だろう。
視界はぼやけている。モノクロのセピア色がかかっている。彩なんてどこにもなくて、やはり私はどこか灰色なのだろう。
そんな私でも、夢を見る。昔の、思い出のような夢を。
父はいつも注射器を持っていた。
頭の中で、私は父が医者であることと、そして魔法使いであるということを、幼心の中でも理解はしていた。
そんな父が、私によく注射器を指していた。注射器の中には何かしらの液体が含まれていた。ちくり、と刺す痛みに悲鳴を上げそうになれば、これくらい我慢しなさい、と怒られたことがある。
その液体が私に注入された後、すぐに再び私に注射器が挿入されていく。今度は注射器の中は空っぽで、中の空洞が黒いもので満たされるのを、痛みに堪えながらずっと見ていた。
血については日常的なものだった。日常茶飯事として表現してもいいのかもしれない。日常茶飯事でしかないから、次第に注射器を怖がることはなくなった。それでも針が私の肌を貫通するときの痛みに慣れることはなかったけれど、それが私の役目なんだと思って、黙って父の言うことを聞いていた。
でも、どうして父が私の血を使うのか。そんなことが聞きたくなった。
父はよく魔法についてを話してくれた。私がおとぎ話だと思っていたことも、現実に存在していたことを照明するために、一度目の前で魔法を使ってくれたことがある。それっきり父の魔法なんて見たことはないけれど、だからこそ最初の魔法は目に焼き付いて消えない。だから、私の血を使って、なにか魔法でも使うのではないか、と幼いころの私は思っていた。
どのような言葉を使ったのかは覚えていない。けれど、幼い言葉ではあっても、的確に聞きたいことを頭の中でまとめて、そうして父に話を聞いたはずだ。確か、聞いたはずだ。
「────」
何かを言っていた。私にとっての答えとなる言葉を、父は確かに紡いでいた。けれど、その詳細は思い出すことができそうにない。
遠い昔のことだから。それを思い出すことはできないのだ。モザイクがかけられたみたいに、すべての景色が惚けていく。音はノイズ混じりになって、何もかもが不鮮明に消えていく。
ただ、私が抱いた感情は覚えている。父の言葉に対して、仕方ない、という気持ちを抱いたことだけはよく覚えている。誰かを助けるためなら仕方がない。父が誰かを助けるためにそうしているのだから、これから何か疑問を抱いても、父に話を聞くことはやめよう。そして、いつか私の目の前で誰かが困っていれば、父と同様に助けるために血をささげよう。
確かに、私はそんなことを考えていたはずだった。
■
靄がかかった景色を瞼で消して、自分が夢を見ていたことを理解する。先ほどまで見ていた夢の内容を思い出すことはできないけれど、ただ眠気のせいだろうか、瞳から流れる涙の感触が、どこか気持ち悪くて仕方がなかった。
外を見れば、まだ世界は夕焼けの中にある。
学校から帰って、そのまま寝ていたことを思い出す。そろそろ魔法教室に行かなければ、立花先生が強硬手段をとるかもしれないし、もしかしたら誰かに心配をかけているかもしれない。私に対して関心を寄せてくれているのなんて、どうせ明楽くんしかいないだろうけれど、それはそれとして申し訳なさが勝ってしまう。
体を起こして、なんとなく強張っている身体に深呼吸。体を起こした拍子に、布団の上で転がった硬い感触の何かを認識しながら、寝ぼけた意識で私は転がした何かを探す。
その堅い感触は熱を帯びている。熱を帯びている、というよりも、私が寝ている間に抱えていたせいで体温がうつってしまっているようだった。
「……ああ」
そういえば、私は在原さんに携帯を買ってもらったんだっけ。
非日常的なことには慣れているつもりだ。それが魔法使いとしての生き方なのだから、慣れなければ私は非現実に向き合うことはできない。
けれど、あの一連の流れについては現実感がなさすぎる。夢のように突発的で、唐突で、今からでもそれが夢だった、と言われてしまえば納得してしまう自分がいる。
だが、確かに目の前にあるものは携帯。
在原さんが迷いに迷いながらも、一緒に買った携帯。無駄にお揃いの機種というものにして、カラーリングだけ別にした、そんな携帯。スマートフォン、とも言うらしい。
私は慣れない手つきのまま、あまり触れてはいないスマートフォンを触ってみる。気道の仕方はどうだったっけ、とか、そんなことをぼんやり想いながら、他のボタンとはサイズの異なる大きなボタンを押してみる──。
「──ほぇ」
そして、画面に表示された文字列に、一瞬理解が追い付かなくなる。よくわからない声を出した自分に笑いそうになるし、目の前に表示された文面に、やはり意味の分からないことを理解して、二重に笑ってしまいそうになる。
『SMS 在原 環:空間なう』
そんな文面に、やはり私は笑ってしまった。
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