第32話 シルビアの過去 その2
「……あたしはどっちでもいいけど、このままじゃ、君は死ぬだけだと思うけれどねぇー」
彼女の言葉にシルビアはビクッと肩を動かした。その通りだった。もうすぐ、帝国兵達が襲ってくるだろう。それまでに、この場から逃げなければ、命はない。
しかし、逃げるといってもどこへ行けばいいのか。シルビアは視線を泳がせた。
遺跡の入り口付近で、複数の足音が大きくなってきたのがわかった。
恐る恐る視線と向ける。
暗闇の中から何かが自分の方へと向かってくるのがわかった。
どんどん近づいてくる足音にシルビアは迫りくる死を感じた。鼓動を激しくなり、息苦しく、肺は空気を吸い込まなかった。
過呼吸状態になっている小さなか弱い少女を悪魔はニヤリと笑みを浮かべる。いきなり消えたと思うと真横に再び現れて、耳元で囁いてきた。
「おやおやおや~誰かが来るよ~怖いよね~このままじゃあ殺されちゃうよ~」
『死』という言葉に反応してビクッと身体を大きく震わせてしまう。
「ふふっいいねぇその表情~怯えた顔も可愛いね~さぁどうしようか? 逃げないと殺されちゃうよ~」
殺される。
その言葉が頭の中を支配する。
「いや……死にたくない……」
シルビアは胸を握りしめ、後ずさりする。
「さぁどうするんだい?」
「……」
シルビアは黙り込んだままだ。
頭の中ではわかっているが、決断できなかった。
シルビアは悪魔が自分を誘惑していると思った。
どんな狙いがあるのかは知らないが、自分に何かをしようとしようとしているのは確かだ。
でなければ、こんなに付きまとわない。
迷っていることを悪魔は見抜いていた。目を細める。
「ふーん。迷ってるってわけかい。それなら、あたしと契約してみる?」
「……契約?」
「そう、あたしと契約してくれれば、君を助けてあげるよ」
悪魔が助けるというのだ。
嘘を吐く息のようにつく悪魔には気をつけろ、とよく言われていた。
自分の利益のためなら手段を選ばない。
自分さへよければ相手が不幸になろうが、どうだっていい。
「何を企んでいるの……?」
「何も企んでなんかいないさ。ただ、君が気に入っただけだよ」
「信じられない……」
「そうかい? でも、信じてもらうしかないね。信じてもらえないならここで死ぬだけさ。まぁ、あたしは君が死のうが、生きようが、別に構わないんだけどね~」
悪魔は冷たい口調で言う。
それは嘘をついているようには聞こえなかった。
シルビアは考えた。
このままでは殺される。
(―――だけど、悪魔との契約なんて……)
だが、他に方法がないのも事実だ。
シルビアは覚悟を決めた。
「わかったわ。あなたと契約する! だから私を助けて!!」
「いい判断だよぉ。なら、右手の甲を見せてごらん~」
シルビアは言われた通りに右手の甲を見せる。
すると、悪魔の手が伸びてきて、手の甲に触れる。
勇者の証と言われるアザが赤黒く光を放った。
じわじわと熱を帯び、痛みが走る。
「うっ」
シルビアは顔を歪めた。
悪魔は満足そうに笑みを浮かべる。
「これで君はあたしのものになった。さぁ、契約の代償として、君の願いを叶えよう」
その言葉と同時に身体中から力がみなぎってきたような気がした。
全身が凍るような寒さを感じていたのに不思議とその寒さが消えていく。
「どうだい、力を感じるかい?」
「ええ。感じる」
シルビアは自分の右手を見つめた。
今までとは違う感覚があった。
まるで、自分の中にもう一人の自分がいるかのような奇妙な感じだ。
これが悪魔と契約したことによる変化なのだろうか。
すると帝国兵らが現れ、出入り口を塞いだ。
帝国兵の中から隊長各の男が出てきて、ゲスの顔をしながら、ゆっくりとシルビアに近寄ってきた。
視線が悪魔へと向けられる。
色白の生気を全く感じさせない肌に漆黒の長髪。
そして、闇のように黒い瞳に紅い唇をした女の姿に眉をひそめた。
「貴様、何者だッ?!」
「何者……何者ねぇ~。あたしのことを知らないとは哀れというか、無知は罪だねぇ~」
悪魔は妖艶に微笑む。
「なに?!」
「まぁいいさ。教えてあげようじゃないか。あたしの名前は“ベディゲル”。悪魔の一人さ」
「……ベディゲル?!!」
一人の帝国兵が目を大きく見開く。
「知っているのか?」
他の兵士が尋ねると、帝国兵は震えながら答えた。
「神々の戦いに出てくる化け物の中の化け物じゃないか……」
その言葉に全員が息を飲む。
神々の戦い、それは大陸がまだ出来上がってから、それほど経っていない頃の話だ。
天界の神と悪魔の両者が覇権を争い、長きにわたる戦いを続けてきた。
その戦いは最終的に神の勝利で幕を閉じたのだが……。
負けた腹いせに数千万もの人間の命を奪った悪魔がいた。
その悪魔は殺戮を楽しみ、人間たちの魂や肉体を奪い続けて、世界を氷に閉ざそうとした。
その悪魔の名が『ベディゲル』である。
結局、女神の力によって封じ込められ、永遠の牢獄に叩き落されたといわれている。
ベディゲルは自分を知っている人間がいて、感嘆する声を出しゆっくりと拍手した。
その行動は人間らしい仕草であり、それが逆に不気味さを際立たせていた。
「あたしを知っている人間がいるなんてねぇ~。嬉しいねぇ~アハハハ」
不気味な笑い声を上げる。
すると崩れ落ちた遺跡が連動したように揺れ動く。
周りを取り囲むように青い炎が灯り始めた。
その光景に帝国兵達は怯える。
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