第29話 魂なき皇帝
―――その頃、帝都では月ごとに今後の方針や各方面軍からの報告などを行う定例会議が開かれようとしていた。
会議室にはすでに各方面軍を任されている将軍が勢揃いしていた。
しかし、皇帝が座るはずの玉座はまだ空席のままのようで、この日の為だけに帰還した将軍たちは落ち着かない様子。
いつも時間通りに行われる定例会議だったが、今日はどこかおかしかった。皇帝が時間を失念するはずがない。将軍たちは皇帝に何かあったのだろうかと疑問しお互いの顔を見合わせる。一人が我慢しきれず、口を開いた。
「皇帝陛下はいかがされたのでしょうか?」
それに別の将軍が答えた。
「最近、お体の調子が悪いと聞いております。もしかすると今日は、お越しになられないのでは?」
「そうなると、最終決定権はどうする? 我々だけでは判断ができぬぞ?」
そんなことをヒソヒソと話しているうちに会議室のドアが開らき、近衛兵がぞろぞろと入ってくると壁際に整列し始める。宰相ピルムが扉をくぐり、一同を見渡したあと部屋の外を一瞥してから視線を戻し、声を張った。
「皇帝陛下の御出座しである!」
その声と共に将軍たちは慌てて立ち上がり、帝国式の敬礼をする。
皇帝が会議室の扉をよたよたとしながら入ってきた。その隣には寄り添うようにして、手を引く女の姿があった。その女の顔を見た瞬間、将軍たちの表情が変わる。皇帝の隣にいることができるのは皇后のみのはず。しかし、明らかにその隣にいる女は皇后ではなかった。
白衣の軍服を身に纏う女だ。皇帝の身体を支えるのは、西方方面軍の将軍シルビアだった。そこに誰もが違和感を感じる。本来、そこに立つべき地位ではないことに将軍たちは自分の目を疑ってしまったのだ。それと同時に一か月前に行われた定例会議の時にはしっかりとした足取りだったはずなのに今は一歩前に踏み出すことすらままならないほど衰弱しているようだ。皇帝の年齢は60歳を超えてはいる。
しかし、ここまで一気に衰えるほど老いてはいなかったはずだ。
皇帝はシルビアに補助されながらゆっくりと席に着く。その横にはシルビアが控えた。皇帝は虚ろな目で周囲を見渡す。まるで、悪魔に魂を抜かれてしまったかのような変わり果てた姿だった。皇帝は何か言おうとしているのだが言葉にならない。視線を横に控えるシルビアへと向け、壊れたように彼女の名前を呼ぶ。
「シルビア……シルビア……」
シルビアはその呼びかけに優しく微笑むとそっと耳元へ口を近づけて囁く。
「陛下、私は御身の傍にいます」
そう言うとシルビアは皇帝の手を取り、自らの胸に押し当てた。皇帝は視線をゆっくりと向けて、また呼ぶ。
「シルビア……おぉシルビアよ……我が愛しのシルビアよ……」
「何かお話されたいのですか?」
その問いに皇帝は弱弱しくも頷く。すると、シルビアは彼の隣で腰を折り、皇帝の口元に耳を寄せた。皇帝は唇を動かし何かを話し終えたと思うとシルビアは口端を吊り上げる。将軍たちへと視線を向けた。
「皇帝陛下のお言葉を代弁する! 帝国軍の全指揮権をこの私シルビアに移譲する、と」
それに将軍たちは思わず、腰を浮かせた。
「な、なんとッ?!!」
「全指揮権を、ですか????」
「そのようにですね」
帝国軍のすべての指揮権の委譲など、前代未聞だった。帝国が建国されて以来、そのようなことは一度も成されなかったのだ。将軍たちは目を見開き、慌てふためく。
「ありえぬ!!!」
「我々は全員、解任ということか?」
ジャラジャラと胸に着けている勲章が音を立てる。
「へ、陛下、ご乱心なされたか?!」
「皇帝陛下、お考え直しください。全ての指揮権を委譲するなどありえません!!」
シルビアの言葉を聞いた将軍たちが一斉に騒ぎ出す。
「騒々しい! 皇帝陛下の御前であるぞ!」
宰相ピルムの一喝で一瞬にして静まり返った。そんな中でもシルビアは満足そうな笑みを浮かべている。皇帝はその様子をただじっと見つめていた。シルビアは控えていた近衛兵の一人に目で合図を出す。すると近衛兵の一人が皇帝に深々と頭をさげたあと、用意されていた書類を差し出す。その書類を皇帝は見下ろしたあと震えながらペンを持ち、書面に文字を走らせ始めた。
その様子に将軍たちは息を飲む。まさかと思いながらもそれが現実になろうとしていた。皇帝は署名を終えるとそれをシルビアが手に取り、将軍たちに見やすいように掲げた。そこには皇帝の名において、「シルビア」に全権限を移譲するという文章が書かれている。そして、シルビアの名前の横には走り書きされた皇帝のサインがあった。シルビアはそれを誇らしげに見つめると高々と宣言する。
「ここに、帝国全軍の指揮権を皇帝より賜りました」
「ふざけるな! なんという茶番か!!」
将軍たちの誰かが叫んだ。
だが、シルビアはそれを無視しさらに続けた。
「皇帝陛下から全権を委任された今こそ、帝国の未来を切り開く時。諸君らは用いる全ての力を結集させ、抵抗する勢力を殲滅せよ」
シルビアはそういうと手に持っていた書類を机の上に置く。その行動の意味を悟った将軍たちは一斉に立ち上がり、シルビアに向かって叫んだ。
「皇帝陛下、お気をお確かに!」
その叫ぶ声にも皇帝は反応を示さない。
ただ、虚空を見上げるだけだ。
それは明らかに何かをされたことを意味していた。
将軍たちはそれに気付き、怒りの声を上げる。
「貴様! 皇帝陛下に何をした!?」
シルビアは妖艶な笑みを浮かべる。その笑みは魔女のように醜悪なものに見えた。
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