第40話 仮初の平穏

懐かしい夢を見た。

内容は覚えていないけど心が満たされたような気分で目が覚めたからだ。窓に目を向ければ、カーテン越しでもほのかに明るさが感じられて夜明けが近いのだと分かった。


薄いマントをはおって外に出れば、想像以上に空気は冷たい。それでも夢の残滓が消え去って背筋が伸びるような静謐さにエレナは人形兵士のことを思い出した。


藍色の空にうっすらと朝の気配が漂い始めたころ、その光景は一枚の絵画のようで思わず呼吸をすることすら忘れてしまった。る黒髪の少女は穏やかにまるで眠っているかのようで、その少女に寄り添って手を繋いでいる少年は口元に優しい笑みを浮かべていた。


(……なんて幸せそうなんだろう)


人形兵士と呼ばれている敵国の少年にまだ息があることが分かっていても、エレナはとどめを刺すことができなかった。この二人だけの奇跡のような空間を壊したくないと思ってしまったのだ。


エレナが自ら戦場に身を投じたのは師匠と同じ景色を見たかったから、そして自分の目で敵国の兵士を見ておきたかったからだ。ドールを通して自ら命を狙わせたのは、単純に少年の実力を知りたかったからに他ならない。


あの僅かな時間でラウルと呼ばれる少年が優秀な兵士であることが分かったし、精密機械と呼ばれている理由も分かった。だけど今目の前にいる少年はとても安らかな顔をしていて、エレナは彼も同じ人間なのだという当たり前のことが妙に腑に落ちてしまった。


(人々が殺し合い、命のやり取りが貴族の娯楽に使われることなく、ただ大切な人たちと一緒に過ごすことを当たり前にしたい)


そのために自分に出来ることは王族としての身分を限りなく有効に活用して戦争を終わらせることだった。



(彼らが羨ましいと言ったら、罰が当たるかもしれないな)


エレナの大切な人は生きて傍にいてくれる。だけどテオが死ぬときは自分も一緒に連れて行ってほしい。テオと共闘するようになって、その想いはますます強くなっている。

それはきっとカールがエレナに対して歪な執着を見せ始めたことも関係しているのだろう。


好きな人と一緒に死にたい、そう思う自分もまともではないとエレナは自覚している。だけど母と師匠に先立たれてしまったことで、もうこれ以上大切な人に置いていかれたくないのだ。


『ずっと一緒にいて』


幼い子供の口約束をテオは律義に守り続けてくれている。エレナの唯一の理解者であり、庇護者であり、最愛の人。


大切な人を守りたいなら逃げ出せば良かった。だけど戦争で師匠を失い、日々大切な人を失いつづける事実に目を背けることができなかった。

戦争を終わらせることができる、そう思うのは傲慢だと思ったが、エレナは最初の賭けに勝ってしまった。途中で降りることができない遊戯を続けていくしかない。

諦観を胸に迎えた静かな朝からは、これから起こる急激な変化を想像できなかった。


いつもの時間になってもドールが現れず不審に思ったエレナはテオとともにドールの部屋を訪れた。室内に荒らされた形跡はなく私物もそのまま残っている。

ドールは元暗殺者だけあって自分の身を守る術も身に付けている。夜中に襲撃を受けたとしたら、何の痕跡もなく攫われることは、ましてや殺されることはないはずだ。


(ならばドールは自ら姿を消したということ?)


アンバー国から来た人間が主に告げることなく、姿を消すという状況はあまり良いことではない。間者と疑われ、その責任がエレナに向くことは必至だ。

せめてドールが消えた理由が分かればよいのだが、エレナはもちろんテオにも心当たりがなかった。


「この度は私の不行き届きで大変申し訳ございません」

「別にいいよ。この機会に姫付きの侍女を用意させよう」


特に気にした様子もなく、あっさりとエレナの謝罪を受け流したカールを疑ってはいるものの、問い詰めることなどできない。

カールに忠実な侍女など受け入れたくはないが、流石に侍女なしで生活をすることは難しかった。


エレナ自身は自分のことは自分でできるが、姫という立場上それが許されるわけがなく、また騎士であるテオに食事や着替えなど身の回りのことを頼めないからだ。


二人の侍女、アビーとララは若い見た目にも関わらず経験があり、てきぱきと仕事をこなす様を見れば優秀な侍女だと分かった。毒を盛られるわけでもないし、絶えずエレナを気遣い微笑みかける二人を見て、侍女ってこういうものなのかと変なところで感心してしまった。


ドールは仕事をこなすが気遣われたことはないし、事あるごとに命令を受けてエレナに毒を盛るし、常に無表情で冷たい印象を与える。

それでもエレナはドールが仕えてくれることに安堵し、居心地の良さを感じていた。

エレナがドールを信頼している理由、それは彼女が決して嘘を吐かないからだ。


「陛下がこんなに心を配る女性は姫様が初めてですわ。謙虚なところが姫様の素晴らしいところですが、姫様が願えば陛下はきっと何でも叶えてくださるでしょう」


ララの言葉にエレナは意識して笑みを浮かべる。彼女はエレナを立てながらも何かにつけて主の素晴らしさをエレナに伝えようとする。それは心からのもので好意や善意といった感情から派生しているのだから、少々居心地が悪い。


それよりもエレナが気になるのはアビーの動向だ。

彼女はどちらかというとテオと話すことが多いように思う。護衛である騎士と世話をする侍女が情報をこまめにやり取りすることは確かに必要だが、そのことがエレナを少し落ち着かなくさせる。子供のような焼きもちだと言い聞かせるが、日に日に不安な気持ちが増してくるようだ。


見せかけの平穏は一週間後、あっさりと崩れ去ることになる。ドールがチャーコル国王の暗殺未遂で捕らえられたとの知らせが入ってきたのだ。

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