第36話 残酷な遊戯
まだ薄暗い明け方、庭に出て基礎動作を繰り返す。身体に異常がないことの確認を終えると、見計らったかのように声がかかった。
「まだ無理をするな」
少し咎めるような響きにエレナは顔を綻ばせる。心配してくれていることへの申し訳なさより気に掛けてくれて嬉しいと思ってしまうのだ。
「もう大丈夫だよ。心配かけて悪かった」
カールの姿が見えなくなると、すぐさまエレナも茶会を辞去した。わずかな量の毒なら問題ないと軽んじていたが、カップの中身を全て飲み干すことは想定外で部屋に戻るなり倒れた。すぐに毒消しの薬を服用したものの昨日の昼頃まで高熱が続き、昨晩ようやく落ち着いたところだ。
毒の影響よりも身体がなまってしまうことが恐ろしい。今日はカールから伝えられたお披露目という名の処刑執行の日だ。
円形の闘技場は三階建ての構造になっており、五千人以上収容可能となっているらしい。指定された衣装を身にまとったエレナは、近衛隊長から闘技場でルールの説明を受けていた。ルールと言っても基本的なものは二点のみだ。
銃器以外の武器の使用を許可すること。そして処刑人または罪人が死亡により終了すること。
「罪人が姫に勝利した場合、恩赦として解放されます。くれぐれも油断されませぬよう」
死か無罪放免か、彼らは死に物狂いでエレナを殺そうとするだろう。それを聞いてエレナは逆に気が少し楽になった。無抵抗の者を手に掛けるより、ずっといい。
「ええ。ところでこの衣装は処刑用のものでしょうか?」
籠手、胸当て、臑当以外は純白の衣装である。一応肌を晒している部分はないし、動きにくいわけでもないのだが、戦闘向きではない。
「ええ」
短く答えたものの近衛隊長はわずかに目を逸らした。
(あの変態の指示か)
それ以上追求する気にもなれない。マントがある分暗器を隠しやすくて良かったということにしておこう。
エレナが闘技場に足を踏み入れると歓声が起こった。その声と人々の表情に不快感を覚える。
貴族だけでなく服装から察すると平民たちも多い。安息日とはいえ歓声が大きくなるほど、日ごろの抑圧された人の鬱屈に晒されているような気分になる。
愛用の刀に触れて心を落ち着かせていると、対面から兵士に連れられた三人の男性が姿を表わした。たちまち怒声や暴言が響き渡るが、鐘の音を合図に立ち消えていった。
兵士が罪状を読み上げていく。
男たちが元騎士段に所属していたこと、女性や平民に暴行を加えて死なせたことが述べられた。そうしてエレナに対して説明したルールを聴衆に向けて声高に述べる。
エレナと対照的に男たちは粗末だが黒い服を身にまとっている。どちらが正義でどちらが悪か一目で分かるようにという趣向なのだろう。
兵士が下がり、男たちの前には恐らく元々使っていただろう刀が放り投げられる。戸惑いを見せたのは一瞬だけですぐに刀を手にすると固い表情でエレナと向き合った。
鐘が再び鳴り響き、残酷な遊戯が始まった。
三対一、相手は女性でしかもアンバー国の姫君だという。自国の王の酔狂ともいえる処遇を聞いて神に感謝したほどだ。
(平民を乱暴に扱ったからと言って貴族である俺が処刑などされるわけがない)
これは出来試合なのだろうと軽く考えていたことを、男はすぐに後悔する羽目になった。姫が動いた一瞬で、対面にいたはずの悪友がたたらを踏んで後ろに倒れていた。
後ろに下がったのは本能的な勘によるもので、胸に鋭い痛みと熱を感じたのだ。思わず手を当てるとぬるりとした液体と鮮やかな紅色が手にこびりついて、絶叫した。
残った一人は我に返ると慌てて刀を振るが、刃を交えることもなくエレナは胴を薙ぎ払った。始まって三分と経たないうちに男たちは地に伏している。
しんと静まり返った闘技場にどよめきの声が上がる。何が起こったのか理解できない、そんな雰囲気に観客席がざわついていた。
エレナはそれに構うことなく、とどめを刺すべく最初に短刀で倒した男の元へ向かい思い切り胸に剣を突き立てた。
僅かに苦悶の表情を浮かべたが、短刀に塗った毒が効いていたのかほぼ即死状態だったようだ。
引き抜く前に感じた気配で横に飛びのくと、先ほどまで絶叫していた男が血走った眼でエレナがいた場所に剣を振り下ろしていた。この男が一番軽傷だったことは切った時の感触で分かっていた。
「死んでたまるか!」
大きく剣を振りかぶった男と距離を一気に縮めると、思い切り拳を突き出した。腹を殴られた衝撃で男が後ろに倒れるとエレナは躊躇なく首を掻ききる。
距離を取るが大動脈から勢いよく血が飛び散り、エレナの白い衣装が赤く染まっていく。
最後の一人は内臓を傷付けたようで、痛みに呻き声を上げながらうずくまったままだ。
一思いに心臓を貫くため剣を向けると、男は懇願を始めた。
「エレナ姫、どうかご慈悲を!私はアンバー国のためにこの国に潜入し情報収集を」
「では祖国のために死んでくれ」
顔色一つ変えずにエレナは男の心臓めがけて剣を振り下ろした。
処刑を終えたエレナは顔を上げて、高みの見物をしている相手に視線を送った。
カールはにっこりとした表情を浮かべて拍手をすると、それはたちまち伝播して闘技場内は拍手と歓声に包まれた。
「あれ、本物の姫君です? 身代わりの偽者とかじゃないんですか?」
「本物みたいだよ。偽者だったとしてもどうでもいいけどね」
機嫌のよい主にフェイは給仕をしながら話しかけた。自分の特殊性を気に入られ長年側に仕えているフェイは気安い口調を許されている。
「毒への耐性もそうですけど、揺さぶりも全然効かなかったですよね」
それを聞いたカールは楽しそうに忍び笑いを漏らした。
「彼女は僕たちと違うよ」
お茶会で毒を入れさせたのはエカテリーナ妃だが、そうするよう誘導したのはカールだった。エレナ自身は毒に慣れているようだったが、世間知らずの姫君はそう簡単に毒を入手できない。
毒入りの紅茶を自分が欲したことでどういう反応をするか、興味本位で試してみたが結果は予想以上だった。
カールに毒入り紅茶を飲ませれば毒を盛ったとして処刑される可能性がある。それくらいは予測するだろうから、手が滑った振りをしてカップを落とすことが無難だと考えていた。
エレナが紅茶を飲み干したことで、エカテリーナに脅しをかけた。証拠こそないが、あの場にいた全員には行動の意図は十分に伝わっただろう。
一度のお茶会でエレナはエカテリーナの牽制に成功した。
「もっと色んな表情を見てみたいな。遊戯の難易度上げてみようか」
罪人の一人にアンバー国の人間だと告げるよう命じていた。とどめを刺す前に伝えられたようだが、顔色を変えず処刑していたが彼女は内心どう思っただろうか。
紅い血に染まった姫君に強い意志のこもった瞳を向けられた時、言い知れないほどの高揚感があった。
人に執着することは少ない自分を飽きさせないエレナ姫。これからの彼女との遊戯を考えるだけで楽しみでたまらなかった。
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