第34話 命懸けの提案

高台にそびえる城は堅牢で荘厳さを感じさせる外観だったが、中に入れば優美な意匠と光が降り注ぐ華やかな世界が広がっている。

送り届けてくれた護衛騎士たちとは既に別れ、謁見の間まで誘導されるのはエレナのみでテオとドールは別室で待機となった。


僅かな移動の合間に密やかな囁きが伝わってくる。大半は好奇心から、時折投げつけられる鋭い視線は妙齢の女性からだ。

この程度なら可愛いものだとエレナは神妙な面持ちを崩さずに思った。大抵の嫌味や侮蔑の言動は笑って受け流せるぐらいの耐性は付いている。


そんな些末事よりもエレナにはもっと重要なこと、カール・ウェリントンとの謁見について思いを巡らせる。恐らく一度きりになるだろう貴重な機会を何とか成功させなければならない。


(彼が興味を失えば二度と会うことは叶わない)


ほとんど属国扱いの王女の処遇などどうにでも出来る。気に入らなければすぐに臣下に下げ渡されることも十分にあり得る話だ。


先導していた兵士が立ち止まり、扉が開いていく。

エレナは覚悟を決めて足を踏み出した。


玉座から掛けられた涼やかな声に顔を上げると、中性的な美貌と洗練された所作の青年の姿があった。

今年で二十八歳歳になる若き国王カール・ウェリントンは艶然とした笑みを浮かべている。男女問わず魅了してしまいそうな表情の中に、見覚えのある感情が浮かんでいるのを察してエレナは少し安堵した。


強者が弱者に見せる傲慢さ、そのおかげで目の前の男が敵であることがはっきりと認識できたからだ。


「U国第四王女、エレナでございます。お目通り叶いましたこと、恐悦至極に存じます」


あくまでも慇懃に挨拶を交わす。


「楽にしていいよ。お転婆な姫だと聞いていたけれど、噂は当てにならないようだね」


その言葉に追従するように密やかな含み笑いが広がる。普通の姫なら侮辱されたことに憤りを覚えてもおかしくないが、エレナは全く気にならなかった。

どうせエレナの日常も戦場に出たことも知られているはずだ。


「お恥ずかしい限りでございますが、陛下の無聊をお慰めできるよう尽力する所存でございます」


どよめきの声が上がる。エレナの言葉はまるで寝所での出来事を匂わせるものだったからだ。


「へえ、姫君に私を満足させることができるとは思わないけど」

「私は戦場でしか咲けない徒花、陛下のために剣を捧げたく存じます」


その言葉の真意をいち早く察したのは、やはりカールであった。


「ふふっ、君の願いを叶えてあげてもいい。言ってごらん?」


初めてカールの視線がエレナに向けられる。圧力を含んだその瞳はエレナを試しているかのようだ。それはエレナの闘争心に火をつけた。


「陛下の治世を脅かす愚か者の処分を私にお任せいただきたく存じますわ。こちらには闘技場があると伺いました」


闘技場は元々人と猛獣が戦う見世物として行われていた場所だ。今でもまれに公開処刑場として使われることがある。


「君は私に嫁ぐためでなく、臣下となるために来たのかな?姫君たっての願いなら無下にはできないけれど」


そう嘯くカールに、エレナは慎重に切り出した。


「嫁いだ以上私は陛下の物ですから、陛下のお好きになさって結構ですわ。ただ望んできたとはいえ、まだ私の後任が決まっておりませんの。少しの間だけでもが収まれば嬉しく存じます。そうでないと公平さに欠けますわ」


面白そうな玩具を見つけたようなカールの瞳と感情を殺したエレナの瞳、互いの視線が交差する。

アンバー国とアイリス国の戦争はチャーコル国の貴族にとっては娯楽の一種だった。命を懸けた戦いを遊戯として扱い、勝敗を予測して金品を賭ける。


それを知った時には怒りで吐きそうになった。戦争のきっかけを作っただけでなく命を弄ぶ男、それがカール・ウェリントンだ。


戦争を止めさせるにはチャーコル国の介入を防ぎ、両国で話をさせなければならない。だが戦争の最中に実現することは難しく、一時的に停戦させるためにエレナは別の遊戯を用意した。

それがエレナと罪人の殺し合いだ。場所と対象が変わるだけで、賭けを続けることもできるし、何より近くで見た方が刺激的なはずだ。


カールがエレナの考えている人間性の持ち主なら、この誘いに乗ってくるはずだと確信している。

毅然とした表情を浮かべるエレナを見て、カールは蕩けそうな笑みを浮かべた。


「じゃあ、お手並み拝見といこうか」


無邪気な声にカールの傍にいた騎士が動いた。引き締まった体躯の壮年の男性は近衛隊長と名乗り、エレナは帯剣を許可されている別の近衛から剣を借り受ける。

国王陛下の御前で抜刀を許されることなど通常はあり得ないが、他ならぬカールが許可をしたのだ。緊迫した雰囲気に周囲の人間は固唾を飲んで注目している。


大人と子供といっていい体格差のエレナと近衛隊長では勝負にならないのではないか、そんな気配が伝わってくる。

エレナはおもむろにスカートに手を掛けると、ふわりとしたオーバースカートを外した。下にはスカートに見えるズボンを穿いているが、足首がすっかり露わになっている。

貴族子女としては外聞が悪いが、ドレス姿で戦えるほどの余裕はない。


屋内で使うことを想定された細身の剣は少し重いが、不自由なほどではなかった。感触を確かめ向きなおると、にこりとカールが微笑む。


それを合図に互いに動いた。小柄なエレナがまともに剣を受けるのは悪手、狭い空間で躱しながら相手の懐に潜り込むしかない。


(そうは言ってもなかなか難しいんだよね!)


なかなか近寄ることすらできず、どうしても防戦一方になる。近衛隊長は余裕の表情を浮かべ、ほとんど動かずに待ち構えている状態だ。


剣の扱いは得意ではあるが、エレナはどちらかと言えば実戦向きだ。正々堂々と行う模擬訓練ではどうしても体格差がものをいう。実戦であれば周囲にあるあらゆるものを使って生き延びることができる。

だがここでカールにエレナの実力を認めさせなければ先ほどまでの交渉も全て台無しになる。


息を吐き、間合いを詰めるとカールに一瞬視線を送る。それに気が付いた騎士が反応して――同時に動きを止めた。二人の剣は互いの首元に突き付けられている。

しんとした室内にぱちぱちと軽い拍手が起こった。


「うん、いいね。僕の戦姫、君の願いを叶えてあげる」


(まずは第一関門突破か)


場違いなほど明るいカールの声が、耳障りだった。





「楽しそうですが、本当によろしいのですか?」


侍従のフェイがお茶を淹れながら尋ねてくる。

その言葉が何を指しているか分かったので、カールは楽し気な笑い声を上げた。


「うん、しばらく退屈しなさそうだ」


にこりと微笑みかければフェイは呆れたような眼差しをカールに向ける。


「すぐに自滅しそうですけどね」


自分に殺意を向けてきた姫の眼差しを思い出す。隙を誘うためにわざとこちらに向かう振りをして騎士団長を誘った。彼女の目に込められた殺意は本物で、だけど勝てない勝負はしない冷静さを併せ持ったエレナ姫に興味が湧いた。


(そもそも誰も犠牲にしないで収めようとしないところが良いね)


命の対価を命で支払う、その考え方がなければ却下していた。自国の民を守るためにこちらの民――といっても罪人だが――の命を奪う。そしてそれを娯楽として提供しようとするあたり、エレナ姫はカールの性格をよく把握している。


「血塗れの彼女はきっと美しいだろう」


挑戦的な目は誇り高く、しなやかな体躯は生命力に満ちていた。彼女はどれくらい耐えられるだろうか。


「ふふ、楽しみだ」


紅茶を口に運びながら、カールはこれからのことを考えて笑みを深めた。

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