第24話 想起する過去

「遅い」


間合いの長さも計算に入れずに、突っ込んでくるのはただの馬鹿だ。そのまま蹴り飛ばそうとしたが、ラウルは隠し持っていた何かを顔に向かって飛ばしてきた。


それもまた想定内だったため、軽く顔をそらして避ける。若干重心がずれたため、蹴りの威力は削がれたものの、脇腹に蹴りが決まった。

転がりつつもその勢いで飛び起きて、先ほどよりも近く拳が届く位置に迫る。


(――悪くない)


そう思って同じように袖に隠していたボタンを放つと額に見事に当たる。傷みは少ないが、思わぬ衝撃に身体が自然と後ろに下がったところを思い切りぶん殴った。


「ちょうどいい位置にいてくれたおかげで、綺麗に決まって爽快な気分だな」


腹を押さえてえずくラウルの耳には届いていないようだ。


「今日は以上だ」


そう言って訓練所から去ろうとするギルバートの背中に声が微かな声が届いた。


「…っ、ありがとう、ございました」


一歩外に出ると同僚が扉のそばに立っていた。嫌いなわけではないが、あんまり積極的に関わりたくない相手だった。


「彼の調子はどうだい?」


そんなギルバートの気持ちとは裏腹にトマス・クラッセンは気安い口調で話しかけてくる。


「悪くない」


ぶっきらぼうな態度のギルバートを気にすることなく、トマスは会話を続ける。


「君がそう言うなら安心した。うちの子が迷惑をかけたね」


うちの子がエルザのことを示しているのだとすぐに分かった。


「迷惑をかけるような人材ならさっさと除隊させればよかったんだ」

「そうだね。だけどあの子だけのせいではないし、偏らなければ優秀な兵士になれる素質を持った子だったから、諦めきれなかったんだ。悪いことをしたと思っている」


トマスは一般的に見て優しい人間に分類されるだろう。

彼が上官職を続けられているのは部下の長所を伸ばしながら育成ができるという点もあるが、何より割り切ることができる性格であることが大きい。


部下のことを大事に思っているが、失った途端に興味をなくすかのように切り離す。そうでなければやっていられない職種でもある。部下を戦場に送り出せば無事に帰ってこない人数は一定数いるし、長く生き残る兵士などほとんどいないのが現実だ。


「……結果的には悪くないと思っている」


ラウルは冷静な判断で選択ができるが、確率が低いことに対しては積極的に動かない部分があった。それも間違ってはいないものの、実践で綺麗な戦い方だけではやっていけない。

先ほどのような奇襲ができるようになったのは、成長だと思うしそれはエルザの影響だと感じていた。


「悪いと思ったのは彼ではなくてギルバート、君に対してだ。あの子は彼女と少し似ていただろ……」


反射的に胸倉をつかんだが、ほぼ同時に両手を上げて降参の姿勢を見せるトマスを殴る気にはならなかった。


「……似ていない。二度と口にするな」


ギルバートは返答を待たずに足早にその場を後にした。数少ない生き残りであり同期であるトマスをギルバートが避けるのは厭わしい過去を知っている相手だからだ。


彼女はエルザのように盲目的に仲間を守ったりしなかった。自分より弱い存在に対してその傾向があったものの、勝利にこだわりそのための技術や知識に貪欲だった。自己犠牲や献身という言葉より、深謀遠慮や貢献といった言葉が似あう女だった。


『仲間を守るのも任務のうちよ』


そう言った彼女の声を聞こえたような気がして、ギルバートは目を閉じた。



キィというさび付いた扉の蝶番が耳障りな音を立てる。

時が止まったかのように変わらない店内を見渡すと、目当ての人物は既に来ていた。カウンターの奥にひっそりと身じろぎもしない女はまるで人形のようだ。


隣に腰を下ろすと間を置かず、スコッチのロックが目の前に差し出される。そのまま店主は無言で奥に下がった。


「……あなたの人形にあの方は興味をお持ちでした」


過去形で言われたことで、暗に失敗を責められているのだと思った。


「いえ、興味を失ったわけではないのですが。予想外のことが起こってむしろ喜んでいたようです」


回りくどい言い方は相変わらず癇に障るが、直接的に話せる内容ではないのだから仕方がない。


「あんたの主人の興味関心はどうでもいいが、失敗は失敗だ。あんたがどうかは知らないがご主人様はそれを望んでいたんじゃないのか?」

「どちらに転んでも良かったのですよ。ただお陰で決断をしたようですが」


アンバー国の王女が戦場に出る情報を知らせてきたのは、自らをドール――人形と称するこの女だ。


町をうろついている時に、隣国の情報を提供したいと言って接触してきたドールを胡散臭いと思ったし、一年経った今でも思っている。

金を要求するわけでもなく、こちらの情報を積極的に探ろうとしている様子もない。時折アンバー国の状況を告げてくるだけだが、信憑性の高い内容も多かった。


だからこそ今回の王女の情報も事実だろうと判断した。実際に目にしたわけでもなく、ラウルから聞いた外見の情報もほとんど無いに等しいものだったから、本物だったかは分からない。


アンバー国を恨んでいて破滅を望んでいるのかと考えたこともあるが、ドールはその名前のように常に淡々とした口調と感情のない表情しか見せない。胸に秘めたものがあったとしても、ここまで無の状態でいられるのは並大抵の事ではない。

結局のところギルバートは判断がつかぬまま、ドールとの接触を続けていた。


「そっちの内政には興味がない」


ドールの主が王族に連なる者ではないかとギルバートは予測を立てていた。わざわざ決断したことをこちらに知らせるぐらいなのだから、国全体に影響を及ぼすものだと思ったのだ。


「戦況にも影響するかもしれません」


アンバー国が撤退する可能性を思い浮かべたが、デメリットしか考え付かない。多額の賠償金が発生するし、領土や領海の所有権拡大を主張される可能性が高い。疲弊しているものの、戦争する余力がある状態で降伏することはないだろう。


(――それ以外の可能性があるとすれば、チャーコル国か)


相手の企みが分からない中、迂闊な質問は命とりだ。


「それで?さっさと本題に入らないなら帰るぞ」

「もう終わりました」


その言葉に咄嗟に身構えたが、ドールは身じろぎもしなかった。


「あの方が決断したため、これ以上ここに来る必要はなくなりました」


わざわざそのためだけに来ることに、何の意味があるのか分からなかった。ドールはその疑問を察して言葉を続けた。


「直接的な関わりはなかったものの、あの方は貴方のに憧憬に似た感情を抱いていました。それが貴方と接点を持った理由の一つです」


唯一が誰を示しているのか分かった途端、警告音が頭の中に鳴り響いた。間合いを詰めると同時にドールの首を掴み壁に叩きつけた。


「……何を知っている?」


行動とは裏腹に冷えた声が出た。


「私は何も。あの方からの最後の伝言です。『救える命を救うために為すべきことをしなさい』と」


頸動脈にじわりと力を込めた。苦しいはずなのに、無表情だったドールが口元に薄い笑みを浮かべている。嘲りの笑みではなく困ったような、どこか諦めたような笑みにギルバートは力を緩めた。

ドールがそれ以上何の情報を持ち合わせていないこと、そして死に場所を求めて彷徨っていたことも、見覚えのある笑みで分かった。


苦い思いを振り払って、ギルバートは代金をカウンターに置き外に出た。己の愚かさのせいで、遠く離れてしまった大切な唯一無二の存在。


彼女を思い出して空を見上げても、雲に覆われた暗闇に星の煌めきは見えなかった。

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