【006】知らない父、或いは魔王

 扉を開くなり、まず真っ先に男の姿が目に入った。がらんと広がる謁見の間、その先の玉座に腰かけた男だった。


 赤黒い短髪の中から覗く、大きく真っ黒な角。イオリが着ている服を真っ黒にしたような、黒と金の服。そして襟の立った大きなマント。


 顔つきは若々しくもあり、それでいて威厳もあり。浅黒い肌に茶色い瞳。そして堂々と足を組むその姿からは、知性と共に太々ふてぶてしささえ感じさせる。


 玉座に腰掛けるその姿は、まさに異形たちの王。あれを魔王と呼ぶのであれば、まさにその通りの風体だった。


 同時に、イオリには一目で分かった。自身によく似た面影があるあの男こそ、自分の父親なのだと。


 ひと足先に謁見の間を進むナナリーゼとゼラフィーナ。イオリは二人の後を追いかける。そうしている間にも、幾人かの護衛に守られた魔王の視線は、まっすぐイオリに向けられていた。


「お兄様をお連れ致しました、陛下」


 まずはナナリーゼがそう言って片膝をつき、それにゼラフィーナが続いて頭を下げる。数段高い場所に腰かけている魔王は、その様を静かに見下ろしていた。


「ご苦労だった、ナナリーゼ」


 それは感情を感じさせない、冷たい言葉だった。少女に向けられた低く轟くような声音は、父と子と言うより、帰還を果たした部下にかける労いの言葉に近い。


 しかしイオリは、彼らのそんな格式ばった冗長なやりとりにしびれを切らして、不躾に口を開いた。


「あんたが、俺の父親か」


「お兄様――!」


 イオリの物言いに、ナナリーゼが悲鳴のような声を上げる。全く予想外だったのだろう、思わずと言った風に立ちあがろうとしていたが、それを魔王が「良い、構わん」と制して続けた。


「バフシライア、人払いを。お前も下がって良い。ここから先は身内のみで話がしたい」


「承知いたしました、陛下」


 返事をしたのは、魔王の傍に控えていた壮年の騎士だった。


 光沢のない薄黒い鎧で全身を包み込み、騎士然とした真っ赤なマントを羽織っているその男は、いかにも古強者ふるつわものと言った雰囲気をまとう。


 彼は辺りに控えていた兵士たちに視線だけで指示を出すと、魔王の指示通りに彼らの退出を促したようだった。


 指示に従い次々と退出する兵士たちを見届けた後、最後にバフシライア自身も頭を下げて部屋を後にする。どうやら魔王の言葉通り、ここから先は身内だけの話し合いになるらしい。


 彼らの退出後、辺りに静寂が戻った。まずはその沈黙を見計らったかのように、魔王が口を開く。


「戻ったか、イオリア」


 無感動な、淡々とした物言いだ。とてもじゃないが、十数年ぶりの親子の再会とは思えない。まるで業務か何かのようだった。それに、相変わらずの無表情もかんさわる。


 何も、感動の再会を期待していたわけではない。ただ、多少なりとも喜ばれるものだと思っていた。余りに淡白なその態度は、イオリにとっては期待外れで肩透かしなものだった。


 何を言えばいいのか迷い、言葉に詰まる。そうして逡巡しゅんじゅんしていると、魔王が言葉を続けた。


「マリアリーゼはどうした」


 それが母のことだと一瞬気付かなかったのは、その名前に慣れていないということもさることながら――魔王の口ぶりが、まるで忘れ物をどこにやったのか聞くような呆気なさだったからだ。


 少しむっとして、イオリは意趣いしゅ返しとばかりに雑に答えた。


「母さんは死んだ。二年前に」


「そうか」


 それは逡巡しゅんじゅんも悲しみも、後悔すらありはしない、ただ事実を事実として処理しただけの無感動な呟き。それ以上言葉は続かず、終わりとばかりに魔王は口を閉じた。


 イオリが心のどこかで望んでいた、母の死に悲しむ父の姿など、そこにはカケラほども存在しなかった。


 その余りに淡々とした態度に、イオリは言葉を失う。悲しみ。失望。後悔。そして何より、激しい怒り。体の芯から湧き上がるような、衝動的な感情。全身が逆立つような激情が、イオリの中を駆け巡った。


 まるで母のことなどどうでも良いと言わんばかりの態度に、イオリの腹の中には今まで感じたことのないほどの怒りが沸き上がる。しかし、そんなイオリの事など歯牙にもかけず、魔王は言葉を続けた。


「元老院はイオリアが本人かを疑っている。いや……疑っていることにしたい、と言ったところか。そうしておけば、イオリアが戻っても選定戦を続けられる。奴らは何としてもディルヴィアンに王座を継がせたいようだ」


 魔王の視線は既にイオリから離れて、跪いたままのナナリーゼへ向けられていた。


 魔王の言葉の意味を正しく理解したらしいナナリーゼは、少しばかり驚きの色を交えて答えた。


「先ほどペルケルズ公がいらっしゃったのもその件ですか。さすが早い……ですがそれが事実ならば、少々まずいかもしれません。お兄様は……魔法を使えないようです」


「魔法を使えない? 事実か」


 まるで母のことにはもう興味がないとばかりに、魔王はイオリにそう問いかける。そんな魔王の姿に、イオリの怒りはついに溢れた。


「おい、その前に言うことがあんだろうがよ……! テメェは母さんが、どんな思いで待ち続けたか考えたことあるのか? どれだけ苦しんだと思っていやがる! それを……それを!! テメェは!!」


「過ぎたことだ」


 頭を殴られるような衝撃。そして、湧き上がるような衝動。


 母の言葉。母の約束。父への期待。そして後悔。あらゆる感情と共に胸の奥底に沈めたはずの憎悪が、その一言で決壊する。


「お前、今――なんつったアアアアア!!」


 それは、今まで感じたことがないほどの激情だった。


 一つ一つが筆舌しがたい、混沌のような感情が渦巻き、ぐちゃぐちゃに混ざり合う。


 それが怒りなのか、憎しみなのか、悲しみなのかはもうわからない。しかし一つ確かなのは、その激情が全て目の前の男に向けられ、イオリを突き動かす衝動に豹変したと言うこと。


 未だイオリの視線の先で涼しい顔をしているあの男を、二度と立てないほどに痛めつけてやりたかった。


「これは――! お兄様、いけません! その力は!」


 次の瞬間、溢れ出た感情に怒声が引火するように。イオリの足元から炎が噴出する。


 それは決して幻想や幻覚の類などではない、熱を持った炎の奔流。イオリの怒りに呼応するように、辺りへ溢れ出る灼熱の波。


 その色は夕日を思わせる昏い赤――茜色。


 まるで水のように静かに、しかし嵐のような激しさで。茜色の炎はその腕を四方へ伸ばし、辺りを焼き尽くす。


「イオリ様……! おやめください、魔力に呑まれてはなりません!」


 ゼラフィーナの叫びは、もはやイオリには届かない。いや、恐らくはもう、誰の声かも理解できていないのだろう。


 直後、爆発にも似た衝撃がイオリを中心に辺りを吹き飛ばし、イオリの叫びと共に熱風が撒き散らされた。


 イオリの傍に居たナナリーゼとゼラフィーナは、その熱風に巻き込まれて短い悲鳴と共に壁際まで吹き飛ばされた。


「魔力が暴走している……! お兄様は魔力の制御方法を知りません! このままでは……!」


 熱風の中、ナナリーゼが叫ぶ。魔力の暴走。その意味を知る魔王は、憎悪に染まった視線を自身に向けるイオリを眺めて、呆れたように鼻を鳴らす。


 その顔を見て更に、イオリの生み出す炎は出力を上げた。


「テメェだけは絶対に許さねえ……! そのツラ、引きちぎってやる……!」


 その姿は、例えるなら炎の獣だった。


 衝動だけにその身を委ねた、本能に生きる獣。今にも魔王へ飛びかかろうとするその姿を見て、当の魔王はうんざりとした様子で、ゆっくりと玉座から立ち上がる。


「ナナリーゼ、ゼラフィーナ。お前たちは下がれ。アレは私が相手しよう」


「陛下……!? しかし……!」


「お前たちでは相手になるまい」


「……ッ!」


 ナナリーゼが言葉に詰まり、その後「……承知致しました」と引き下がる。その間も、ゼラフィーナは祈るように両手を握り、「イオリ様……」と小さく呟いていた。


 二人から再びイオリに視線を移し、魔王は言う。


「どれだけ成長したか、直接確かめてやろう」


 マントを脱ぎ捨て、まっすぐに。そして涼やかに。その冷徹な瞳でイオリを見下ろしながら。


「上等だ……後悔するなよクソ野郎!!」


 イオリの気炎を表すように、一際激しい炎が辺りを渦巻いた。


 やがてそれら炎はイオリの腕に、足に絡みついて、まるで鎧のように覆いつくす。


「二度と立てねぇようにしてやるよ……!!」


 立ち上る炎は、復讐の始まりを告げていた。

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