【004】知らない妹

「ご気分は如何ですか? お医者様が仰っていましたが、魔力が活性化した影響で身体に大きな変化が起きて、酷い頭痛や吐き気を伴うこともあるそうです」


 淡々と喋りながら部屋に足を踏み入れたその少女。歳は大体十一から十二歳ほどだろうか。非常に小柄で、幼さが未だあちこちに残っている。


 特徴的なのはやはり、その髪の色だった。薄い紫色の、ウェーブがかった長い髪が静かに揺れている。


 真珠のような僅かに桃色を帯びた白い肌と、その身にまとう藍色のワンピースドレス。軍服のようにも見えるきちっとしたシルエットながらも、丈の短いフレアスカートと胸元の黒いリボンが愛らしさを演出していた。


 そんな少女は服同様に美しい藍色をしたブーツを踏み鳴らして、イオリの元へと歩み寄って来た。


「ご気分が優れませんか? でしたらこちらを。多少気が紛れますよ」


 その手には飴玉のような、橙色の何かが詰まった瓶が一つ。食べろ、ということなのだろう。ゼラフィーナとイオリの間の小さなテーブルに、その瓶を静かに置いた。


 その姿を無視するように、ゼラフィーナは先ほど倒した椅子を起こし始め、一方の少女もそんな彼女の姿を一瞥する。


 僅かに漂う緊張感。しかしイオリはそれどころではない。先ほど少女が口にした言葉が引っかかったままだったからだ。


「ええと……おにい、さまってのは……?」


 イオリの反応を見て何かに気がついたのか、少女は「あぁ、そういえば」と呟いて続けた。


「お二人が行方不明になられたのは、私が生まれる前の話でした。ご存知ないのも無理はありません」


 言うなり居住まいを正し、服の裾をついと持ち上げて。少女は静かに、自身の長い長い名前を口にした。


「私はナナリーゼ・マリード・ネフェル・アズラス・ラトゥア・クロスフォードと申します。長いので普段は、ナナリーゼ・クロスフォードと。お兄様とは腹違いの妹――つまり異母妹の関係となります。どうぞ、お見知りおきを」


 聞き捨てならない単語と共に。


「……妹?」


「はい」


「誰の?」


「ですから、お兄様のです」


「お兄様って言うと……」


「……もしかして、ふざけておいでですか?」


「妹ォ!?」


 イオリは思わず声を上げたが、その拍子に思い出したように頭が痛み、「ゔぐァ……!」と声にならない声が漏れる。


 その様子を見ながら「そこまで驚くことですか?」とナナリーゼは返したが、婚約者に続きまたこのパターンか、とイオリは思わず天を仰いだのだった。


「何なんだよさっきから……どいつもこいつも婚約者だとか妹だとか次々と……! ただでさえ訳が分からねえってのに……!」


「十三年前、マリアリーゼ様がお兄様と共に行方不明になった折、元老院は世継ぎが居ないことを理由に陛下……つまりお父様へ後妻を娶るよう強要しました。その一年後、マリアリーゼ様の捜索が打ち切られると共に、母を後妻に迎えて私が生まれました」


「そういうことを言ってる訳じゃねえよ……!」


 ナナリーゼの淡々とした口調の説明に思わず頭をかこうとしたが、またしても角が手の甲にぶつかった。


「痛ッ! くそ、鬱陶しい……!」


 そんなイオリの様子に眉をひそめながらも、ナナリーゼは「それで」と言葉を紡ぐ。


「どこまで説明したんですか? 経緯と、お兄様の置かれた現状と。それから、これからの事と」


 視線はイオリでは無くゼラフィーナに。しかし、再び椅子に腰かけていたゼラフィーナは、ナナリーゼをチラリとも見ずに二人の間に妙な沈黙が生まれていた。


 聞かれてるぞ、と視線でゼラフィーナを促すも、彼女はまるでどうかしましたか? とでも言いたげに小首を傾げるばかり。


 愛らしいことこの上ないがそうではない。どうやら彼女はナナリーゼと言葉を交わすつもりはないらしい。


 そうして沈黙が少しばかり続き、続いた時間に比例してナナリーゼの視線も少しずつ鋭くなり、とうとう我慢の限界だとばかりにナナリーゼがまた口を開こうとしたその時。


「ええと……昔事故で俺と母さんが行方不明になって、ショーカンマホーとか言うので俺を呼び出したことと、それから……俺の親父が、魔王だって話までは聞いた」


 イオリの方が先に居た堪れなくなって、思わず口を開いた。


 出鼻を挫かれたのか、開き掛けの口を一度締め直すナナリーゼ。


 一方、イオリがそう発言したことが意外だったのか、ゼラフィーナは申し訳なさそうに視線を落とす。どうやらあわよくば無視を続けるつもりだったらしい。


 対照的な二人の反応が印象的だった。


 ナナリーゼは小柄で愛らしい見た目でありながらその雰囲気には多少なりとも威厳があり、彼女の言葉には思わず従いたくなるような力強さを感じる。


 だと言うのに、そのナナリーゼを真っ向から無視したゼラフィーナは、先ほど泣いてばかりいた彼女の印象からは随分とかけ離れた行動に思えた。


 二人の間で何があったのかは知る由もないが、少なくとも良好な関係ではなさそうだ。


「そうですか、わかりました。では先に確認しますが、お兄様の魔法適性と魔法階梯を教えてください」


 言いながら彼女は三つ目の椅子を引いて、イオリの隣に腰かけた。しかしイオリの頭にはまたしても謎が増えて、思わず眉間に皺がよる。


「……マホーテキセー? マホーカイテー?」


「得意な魔法の色と、使える魔法の難易度……階級の話です。名前は違うかもしれませんが、魔法を使えるのであればある程度の傾向はわかるかと」


 思わず表情が固まる。


「使ったことねぇよ魔法なんて……」


 今度はナナリーゼの表情が固まった。


「魔法を……使ったことがない? では理術は? お兄様は理力の方が強いということですか?」


「いやだから……その、リジュツだとか何だとかってのがわからねえんだって……魔法ってのはアレか? 木の枝みたいな杖振って、呪文唱えたら壊れた物が直ったり、変身したり空飛んだりするアレのことか?」


「どこで学んだんですか、その何でもありのめちゃくちゃな魔法学は……」


 そんなことを言われても……と思いながら、先ほどナナリーゼに差し出された橙色の飴玉のようなものを一つ口に含む。


 見た目に反して食感は柔らかく、マシュマロのようだ。味わいは――何とも言えない地味な味付けだった。イオリが知っている中で一番近い味は……


「……昆布?」


「良いですか、お兄様。魔法とは、魔人の体内を巡る力である魔力と、空気中を漂う魔素とを結合させ、炎や風、水、岩といった現象・物質を発生させる行為を指します。決して、お兄様の仰るような何でもありの力ではありません」


 もぐもぐと昆布味がする謎の食べ物を咀嚼しながら、全く理解できない彼女の話を聞き流す。それに構わずナナリーゼは「このように」と人差し指を真上に立てた。


 するとその指先に、みるみるうちに氷塊が生まれる。


 何の脈絡もなく、何の道具も、何の呪文も、何の魔法陣も無く。さも当然のようにそこに生み出された拳大の氷の塊は、イオリが驚愕で言葉を失っている間にひび割れ、砕けて霧散した。


「これが魔法です。ご理解いただけましたか?」


 彼女は大した事ではないとでも言いたげだったが、イオリからすればとんでもないことが目の前で起きていた。


 ナナリーゼはイオリが言った想像上の魔法を何でもありだと称したが、こちらの方がよほどなんでもありだ。


 驚愕に染まるイオリの顔を見て、ナナリーゼは「本当にご存知ないのですね……」と呟いていた。


「ですが、お兄様も学びさえすれば使えるようになると思いますよ。もちろん得手不得手はありますし、生まれ持った素養も影響することになりますが」


 小難しい言い方だが、つまるところイオリにもアレが使えるらしい。それは結構な限りだが……


「結局、お前らの目的は何なんだ? なんで俺を呼んだ? マホーだの何だのまで使って、一体何がしたいんだよ」


 結局のところ、知りたいのはそこだった。


 ゼラフィーナ曰く、ようやく召喚魔法の準備が整って召喚を行ったとのことだったが、その目的がわからない。イオリや母を呼び戻して、一体どうしようとしていたのか。


 この魔法とやらに関係があるのだろうか。


 しかしナナリーゼはイオリの言葉を聞いて、首を僅かにひねったのだった。


「なぜって……行方不明の家族を連れ戻すのに、なぜ理由が必要なので?」


「……家族?」


 衝撃だった。母を亡くしてから天涯孤独だったイオリにとって、それは懐かしく面はゆい言葉。


 家族。言われてみれば確かにそうだ。ゼラフィーナが婚約者なら身内のようなものだろうし、ナナリーゼは半分とは言え血も繋がっている。その家族を連れ戻す。至極全うな理由だ。


「それに、陛下――お父様もきっと、お兄様とお会いするのを楽しみにされていると思いますよ」


 ナナリーゼが口にしたお父様、と言う言葉でハッとなる。言われてみれば確かにそうだとも思った。


「じゃあ、こっちには……親父も居るのか?」


「えぇ、もちろん。もうじき謁見のためにお呼びがかかると思いますが……お会いになりますか?」


 ――イオリにとって父親とは、これまで憎しみを向ける相手でしかなかった。


 母を裏切り、その最期にも現れず、自分たちを見捨てた冷酷な男。どんな顔かもわからないが、それでも憎まずにはいられない、そう言う相手だった。


 しかし、それが実は、ずっと自分たちを探していたのだとしたら……迎えに来たくても来られなかっただけなのだとしたら。その事実に困惑する一方で、どこか気恥ずかしさも感じてしまう。


 ただ見捨てられたわけではなかったということが、思いの外嬉しかったのだ。


 この世界に帰ることを最も望んでいた母が、すでにこの世に亡いと言う点だけが悔やまれるが、そのことや不安を差し引いても心が浮き足立ってしまう。


 父に会える。母を亡くし、肉親の顔も知らず一人で生きてきたイオリにとって、それは嬉しい誤算だった。


「……ああ、会うよ。親父に」

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