第5話 学校

その日は、昼過ぎまで光は寝ていた。

母親に起こされて、言われたことに鼓動が早くなった。

「学校から、先生が来てくれてる。挨拶だけでもしなさい」

学校。

不思議なことに、いじめられた記憶がないのに光の鼓動は早くなり、息苦しささえ感じた。

・ひかり、さっさと済ましちゃえば大丈夫だよ・

【声】が言う。

・会いたくないよ。先生なんかに・

光はグズグズしている。しかも、パジャマだ。

「光、早く」

母親が急かす。

仕方なく、光はボサボサであろう髪を手ぐしでといて、玄関まで鼓動を早めたまま進んだ。


玄関にいたのは、中年の男性でひょろりと背が高く、黒のジャージ姿で分厚いクリアファイルを抱えており、目が細く目尻にいくつもの細かな皺があった。

「伊崎さん」

光のことを苗字で呼ぶ男性。やっぱり覚えてない。

「久しぶりだね。その……体は大丈夫かい?元気にしてる?退院できてよかった。」

光は、喉に異物が詰まったように声が出ない。

大人の男性が怖い。

背が高いのも父親みたいで、怖い。話し方は、こんなに優しいのに。

私は、記憶のない間も大人の男性を怖がっていたのだろうか?

なんとか、絞り出すように遅れた返事をする。

「はい、大丈夫です。すみません。」

何を謝っているのか。

その時、【声】が言った。

・こいつ、光のいじめ知らなかったのかな?知ってて知らんぷりしてた可能性もあるよね・

わからない。そうかもしれないし、違うかもしれない。

ただ、部屋に帰りたい。

「学校でも……問題になってね、森口さんたちは反省してるから……学校側も気をつけていくよ。申し訳なかったね」

先生という名の中年男性が頭も下げずに謝る。

森口というのが、いじめっこか。

我慢ならなくなった光は口早に言った。

「わかりました。でも、まだ学校には行けません。すみません。私、まだちょっと。すみません」

ぺこりと頭を下げると早足で玄関を後にした。

「光!」

背後で母親が呼びかけてきたが、無視をした。

それどころではない、苦しい。

・許さなくていい・

息が上がる光の頭の中で【声が】呟いた。

かすかに、母親と先生の話し声が聞こえ、数分した後、玄関が閉まる音がした。

記憶がないのに。

こんなふうになるなんて。

いじめのせいなのか。

父親のせいなのか。

退院してから、平和に暮らしていた光にとって、初めての辛い日となった。

「もういやだ……」

光が枕に顔を埋めていても、それからしばらく【声】は、黙ったままだった。

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