停滞と失望
僕はスゥランラ・カシムが苦手だ。
劣等感と罪悪感で、彼女の顔を見るだけで気まずくなって目を伏せてしまう。
だから僕はずっと目を逸らし続けた。
どうしようもない僕という存在を克明に浮き彫りにしたスゥランラ・カシムが、どうしても好きになれなかった。
でも、違うんだ。今ならわかる。
僕は……バラムという人間は、彼女に謝らなければならない。
きっと、傷つけてしまっただろうから。
彼女からの『ゴミムシ』なんてあんまりな呼称は、甘んじて受け入れなければならない。
きっと、あの頃の僕には妥当すぎる評価だろうから。
魔術帝陣営に属する人間はアニム以外のほとんどが僕のことを嫌っていた。
それは、無能だったから。
——本当にそうか?
力がないから、全員が僕を嫌っていたのか?
違うよ。まったくもってそうじゃない。
最低の人間だったから。アニム以外のすべてを削り落とそうとして、ほとんどの物を蔑ろにしていたからだ。
アニムからも「もっとみんなに優しく」と忠告されるほどに、辛辣な態度を取り続けた故だ。
ちなみにユディアは僕が無能だったから僕のことが嫌いだった。直接言われたから間違いない。
スゥランラ・カシムとの初対面はいつだったろう。
たしか僕の年齢が二十に迫ろうか、という時期だったはずだ。
「初めましてです。本日から魔術帝陣営に所属するスゥランラ・カシム、です」
ファーストコンタクトは穏やかなものだった。
騎士嫌いを拗らせていたからユディアとはそりが合わなかったらしいが、同じ魔術師として僕にはリスペクトの念を懐いていた。枕詞に、最初の頃は……と付くが。
きっと、アニムが僕のことを嬉々として、意気揚々とスゥランラに話したからだろう。
「あなたがバラムさん、です? アニム様の幼馴染で参謀……羨ましいです」
柔和な笑みを浮かべ、ほんの少し悔しそうにしながら、それでも穏やかにそう言った。理知的な雰囲気は魔術帝陣営の人間には珍しい特徴だったこともあって面食らったのを覚えている。
僕より才能があって
魔術帝陣営に相応しい人物。
「……ああ、よろしく」
素っ気なくそう返したのは確かだ。本を読みながら、まるで興味が無いとでも言うように。
まさかそんなわけがない。また一人、僕なんかじゃ太刀打ちできない人間がアニムのために陣営に入ったのだ。気にしないわけがない。
アニムの贔屓で陣営の底辺を泳ぐ僕なんかとは違って、国に認められ、正式に加入したスゥランラ。
そんな彼女が発した“羨ましい”なんて言葉に眩暈がした。
スゥランラはそれからも、僕が根城にしていた図書館に通い詰めた。
魔術師として、アニムに認められた僕が何をしているのか気になったという好奇心や興味本位からだろう。
「アニム様から聞いたのです。『
みんなそう言うんだ。そして充分に扱えないと知った途端、手の平を返す。
対して彼女は
「研究の邪魔だ。話しかけないでくれ」
「ご、ごめんなさいです」
「その変な喋り方もやめろ」
「……す、みません」
思い出すだけで反吐が出る。いっそ殺してほしい。
スゥランラは何も悪い事はしていない。僕が勝手に比較して、劣等感に溺れて、敵対視して、いわれのない誹謗中傷を繰り返した。
ああそうだ。僕は魔術帝陣営に居てはいけない人間だった。今になってやっと、その事実を呑み込むことが出来る。
だが、こんな悪態を吐いても、スゥランラはアニムの言葉を頼りに僕を偉大な人間だと思い続けていた。
気難しくも、実力のある魔術師として、アニムの隣に立つ資格のある人間だと信じて疑わなかった。
そんなある日、僕を良く思わない人間がスゥランラに僕のことを話したらしい。
名ばかりの参謀であること。転換魔術すらうまく使えず、図書館に引きこもっていること。僕の素行もほとんどすべて。
「バラムさん。魔術研究、手伝わせてくださいで……ください」
スゥランラが僕に放った言葉に、耳を疑った。
そう。僕の現状や来歴など、彼女は気にも留めなかった。
「一緒にアニム様をお守りしましょう」
僕にとって、彼女はあまりに眩しすぎた。
そこから数年、スゥランラは僕の研究に強引に付き合い続けた。
ただ、彼女がどれだけ優秀な魔術師でも、この研究の成否は僕に掛かっていた。
結果、大した成果は出なかった。
岩盤を大きな剣に転換するだけで数分かかる魔術。その所要時間を数秒短縮できるようになった。数年かかってその程度の、進歩とも言えない牛歩だ。
ならば、と。スゥランラは僕に提案した。
「別の魔術を覚えましょう。まだ、バラムさんにはできる事があります」
別の道を探す。それは壁を破れないでいる僕にとっては最善の手だっただろう。
でも、僕にはできなかった。『
なにより、アニムがこの魔術を完成させることを期待している。魔術帝陣営への支援金も僕の研究にかなり回されている。
失敗しました、で終わることなど許されない。
「別の魔術なんてどうでもいい。僕はこの魔術を完成させるんだ」
「……現状、バラムさんがしているのは努力ではなく、固執や執着になってしまってるのです。そうではなく――」
「うるさい。勝手に手伝い始めて、次は説教か? 格下の人間には何言ってもいいって?」
「そ、そんなこと言ってないのです。そう聞こえてしまったら申し訳ありませんです」
数年の停滞の末、僕の精神はまるで大事な核を失ったかのように虚ろなものになっていた。
「努力すればした分だけ成果が出る。そんな天才と一緒にしないでくれ。僕は僕なりに努力してるんだ。その邪魔をするな」
スゥランラは邪魔なんてしていない。
でも、彼女の理論は僕にとってはあまりにも強すぎた。
「もう僕に構うな。君は死体でも弄っていればいいじゃないか、得意だろ? 『
きっとここで言葉を切ったのは、僕に残った一欠けの常識によるものだろう。
茫然と僕を見つめ……彼女は薄く、眼に涙を溜めた。
ただ、それも一瞬。
次の瞬間には、彼女の表情は失望に変わった。
「そう、ですか。……あなたの目的は、
「は? 今さら何言ってるんだ。君もそれを承知で手伝ってたんだろ? アニムもそれを望んでる」
「…………」
あの頃。僕の目的は『魔術の完成』に挿げ代わっていた。
それよりもっと前。忘れてはいけない誓いなど、記憶の彼方に飛んでいた。
「……失礼するのです。もう、いい――一生そこで、停滞しているがいいのです」
それから、彼女と話すことはなくなった。
きっと、スゥランラは僕を同志だと思っていたんだ。アニムを大切に思い、守護するためにこの陣営にいるのだと。だから、そのために努力する僕を手伝おうとしてくれたのだ。
でも僕は自分を満たすためだけに研究を続ける穀潰し。やっと、スゥランラはそれを理解したのだ。
スゥランラの中で、僕は『無能』になった。
魔術が十全に使えないことではなく、アニムの隣で甘い蜜を吸おうとするだけの存在という点で。
彼女は僕を、寄生虫と呼んだ。
ああ。僕もそう思う。
もし今、アニムを好きなだけで大した力も無いくせに、悪態を振りまいて周りに敵意を振りまく奴がいたら……きっと殺したくなるだろう。
それを何と呼ぶかと言ったら、ゴミムシだろう。
僕の彼女に対する苦手意識はすべて僕が原因で、元凶だ。
一方的に僕が悪い。そんな相手にどうやって接すればいいのか、わからない。
でも、何よりもまず謝らなければいけない。謝りたい。
そして、感謝も伝えなければ。
だと言うのに。
僕がスゥランラに放った最初の言葉は、
「初対面だよ。僕もあんま好きじゃないし」
終わっている。死んじまえ。
僕の根幹は一度目から何一つ変わっていない。幼いガキのままだ。
「おいバラム、スゥランラと何かあったのか?」
小さく訊いてくるカイン先生へ、僕はどんな顔を向けたのだろうか。
「……言えません。でも、僕が悪いです。何とかします」
「そうか。ユディアといいスゥランラといい……大変だな」
ユディアに関しては本当にそう思う。
王墓へと向かう道中、僕は前を行くスゥランラの背を黙して見続けた。
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