交渉と『——』

 僕の差し出した手。

 寒々しい空間に晒され、指先には温度が感じられない。


 緊張で喉が渇く。

 痛みで頭と背が熱い。

 頼りない沈黙に、思わず蹲ってしまいたくなるほどの恐怖が僕を襲う。

 

 馬鹿げてる。僕がここで発した言葉はすべておかしい。

 自覚しながらも、こうしなければならないのだ。


 厄災級の魔物との契約。

 僕が崩人クズレビトになった時のように、この行為にも先人がいるのだろうか?


『契約……だと?』


 怪訝な声音。

 骸骨の無表情からは考えられない多感な感情が声音からひしひしと伝わってくる。

 王は僕を測りかねてる。それはそうだ。指先一つで殺せる虫が、理解不能の文言を提示したのだから。


 だが、こいつの混乱は僕の思考時間を大いに用意してくれる。

 砕けてしまいそうな背の痛みに脂汗を浮かべながら、僕がしようとしている行為の整合性を確かめ、返答を準備する。

 

 ——大丈夫。


 メリットを提示する。

 僕の存在の有用性。こいつが求める結果に近づけつつ、リスクヘッジも完璧……なはず。

 リスクに関してはこの際、呑み込んでしまってもいい。


 僕が狙うのは状況の『打破』ではなく『好転』。

 ヒリヒリと脳を焼く感覚に、なぜか僕は心臓を高鳴らせ、口角が上がりそうになる。


 王は玉座に腰かけながら、指骨で顎関節をカンカンと鳴らした。


『契約、とは? 人間の営みや仕組みには疎い』


 説明を、ということだろう。

 ここまでは強引に言葉を吐いた、が。次はそうではなく、できるだけ従順に。

 ここで機嫌を損ねるのだけはあり得ない。 


 喋る許可を得るために眉を上げると、骨人の王は鷹揚に顎をしゃくった。


「本来、高次元の魔力生命体……主に精霊が行う人間との繋がりを作る行為だ。互いの目的のために魔力のパイプを作る、相互扶助と言ってもいい」


『相、互……? ククッ……くはは……それを我が呑むとでも? 貴様のような矮小脆弱な生物と、我が?』


「だから、条件を付けたんだ。——人間の身体をやる、と」


『…………』


 一蹴しない。できない。

 「虫の身体をやる」と言われて声を荒げたり、一笑に付すのではなく、思考する。僕を懐疑する。

 その行為自体が、王にとっての人間の身体の価値をありありと示している。


 人間と意思疎通をするために声を手に入れた。僕の戯言に耳を傾ける。

 わかりやすくて助かる。やっぱりこいつは、地上に出るためなら虫の皮を被ることも厭わないんだ。

 

 問題は――ここから。


『自分が何を言っているのかわかっているのか?』


「当然だ。僕は君よりも言葉を知っているからな」


『その代わり、我以上に正気を失っているようだ。……自分の身体を、我に寄越すと? 本末転倒も甚だしい』


 大仰に首を振って見せる王は、真意を覗きこむように空の眼窩を僕に向ける。

 

 ……始めよう。


 第一工程、『探る』。


「まず、訂正する。僕は『』と言ったが、僕の身体をやるとは言ってない」


『……続けよ』


「王、君には視覚があるか? 物を見る……その機能は?」


『ふむ……』


 答えるか否か、その逡巡はすぐに終わった。

 

『良い。我に目はない。感じるだけじゃ。触覚も……我の周囲に広げた魔力網に引っ掛かるものを我が汲み取っているだけじゃ』


 そう言って、王は僕が差し出した手に触れた。

 冷たく、とても細い指骨。


『貴様の指に触れた指の周囲の魔力が歪み、そこにあるとわかる。魔力が歪むことで貴様の輪郭がわかる。それが視界がわりじゃ』


 魔力を感覚器……虫でいう触角のように扱っているのだ。

 うん、想定通り。

 僕が知りたかったのは、骨の身体に『触覚』があるかどうか。


 無いなら……博打ができる。


 僕の頭の片隅に残り続け、今の今まで考え続けた事象。

 それは、こいつが人間から奪ったという声帯についてだ。


 第二工程、『明かす』。


「王。これはとても重要な問いだ。……前提が違えば、僕は身体をあげられない。だから――正直に答えてくれ。仮説が間違ってたら、僕を喰え」


『く、ふふ……良かろう。魅せてみろ、道化』


 大丈夫だ。

 冷静に、順を追って……。

 

 次の返答で――すべてが決まる。


「君はさっき、君の声帯は人間から奪ったものだと言った」


『そうじゃ』


「それ――嘘だろ」


『——………く、ククッ』


「いや、正確には嘘じゃない。でも、君が奪ったのはじゃないはずだ」


 普通に考えればおかしい。

 声帯を奪ったから、声が出る。これはわかる。

 だが――声が出るからといって、だろうか?


 厄災級の魔物は知能が高い。それは魔物学的見地から理解できる。

 しかし、どれだけ知能が高くても、別の生物が発する音の記号、信号を、地下に棲息するこいつが理解できるだろうか?

 

 ここには書物もない。対話できる人間……つまり言葉を操る生物がほとんどいない。

 知ることが出来なければ、いくら知能が高くてもこの言語能力には無理がある。


 つまり、


「王、君が奪ったのは声帯ではなく、言語能力……あるいは言語パフォーマンスと言い換えられる、言葉を操る力、能力……つまり機能だ。君の力は『部位』を奪うことではなく、『機能』を奪うこと……僕はそう結論する」


 こう帰結した。


 コツコツと骨が嗤う。

 声音だけでわかるこいつの感情は昂り、それしか存在しない声帯が震える。


「言語機能を奪った。すると君に訪れた変化は恐らく……相応の知識の獲得と、声帯の形成……そして恐らくだけど、多少の音を聞き取れる鼓膜も」


 前方からは耳介が見えないが、こいつは僕の声が聞こえている。

 話す、聞く、理解するための機能を、こいつは持っているはずだ。


 『声帯を得たから声が出せる』のではなく、『言葉を話すために声帯が形成された』のだ。

 人間から得た機能を扱うために、必要な部位が形成された。


「どうだ、王」


 問う僕に、王は揺らぐことなく首の骨を鳴らした。


『……まこと、厄介じゃ。まるで見てきたかのようじゃな』


 参った、と言わんばかりに頭を振った王は、続きを促すように僕を指差した。


「君には、奪った機能を扱うための器官が生まれる。これは声帯が生まれたことで明らかだ。つまり……人間に近づく能力、なのかな。言語を奪った時、骨のまま言葉を話すのではなく、声帯が生まれた……うん、多分そうだ、面白い」


『……で、何が言いたい?』


「お、っとごめん……性分でさ」


 魔物に脱線を指摘されるとは思ってなかった……。

 咳ばらいをして、僕はもう一つの違和感を突いた。


「だけど、この能力ってのが多分そこまで自由じゃない。必要なのは……『互いが利益を差し出すこと』かな?」


『……もう良いから、そのまま話せ。許す』


「究極、君はその人間のすべてを奪うことが出来たはずだ。でもそうしなかった、できなかった。君の能力は相互の利益が生まれないと発動すらできなかったからだ。これは僕の推測だけど、その人間の『生きたい。見逃してほしい』、そんな願いと、君の『人間に近づきたい』という願いが天秤に釣り合った」


 これは、交渉成立に当たる。


「その人間の願いの『生きたい』。つまり、『この奈落から脱出したい』という願いを害さない機能。それが君が奪える機能の幅だったわけだ。だから、その中で最も有用な言語能力を奪った……ということかな」


 視覚、聴覚、触覚、嗅覚。

 味覚以外の五感は、脱出には必要不可欠だろうから。

 味覚を奪う必要も、ほとんどないはずだし。


 あとは、人間にどんな機能があるかを把握してないと奪えない……とかの縛りがありそうだけど。


「ここまで話して……どう? 所々微妙な違いはあるだろうけど……大筋はあってる。と思いたい」


 じくりと湧く不安感はあるが、的外れとは思えない。

 静謐なこの空間で、王の言葉だけを待つ。

 そして、次に空間が言葉に裂かれた時、


『我は満足だ、得難い道化よ。交渉に乗ろう』


 王は再び僕の手を取った。


『聞かせてみせよ。ぬしの戯言』


 少し浮ついた声音は、王の興味を引けた結果だと好意的に受け取る。

 そして、僕にとってはここからが本番だ。


「君が求める人間の身体……つまり、『人間の外観』。当然、僕のを渡すつもりは毛頭ないわけなんだけど……でも、僕が何かを渡さないといけない」


 王に必要で、僕に必要が無い。

 両方を満たすもの……それは。


「王、僕は君に――『』を差し出す」


『痛、覚……? 痛み、か?』


 これが、この交渉で最も不安材料が多い局面だ。


「人間にある『痛覚』という感覚。これを君に渡した時、面白いことが起きるんじゃないかと僕は思う。痛覚っていうのはそれだけで完結する感覚じゃないんだ。外界からの『刺激』を、……もっと言うと、人間の身体中に存在する肌のという場所が感知するんだ。つまり、『言葉を話すために声帯が生まれた』と同じ現象として、『痛みを感じるために肌が生まれる』可能性が大いに存在する。それだけじゃなく、痛覚受容器のほぼすべてが生まれる。視界がなくても、見せかけの目とかも生まれるはずだ。目も痛みを感じるからね」


 ようは、痛みを感じる部位がすべて生まれる可能性があるってことだ。

 そして幸か不幸か……生き辛いことに人間はほぼすべての部位で痛みを感じてしまうのだ。


「——さあ、王。僕の交渉に乗ったんだ、一緒にイカレてみよう。大丈夫、痛覚を渡しても身体に変化が無かったら、僕を殺せばいいんだから。簡単だろ? でも、僕が思うにその可能性は少ないはずだ。だって、骨のまま声が出るようなことにならずに声帯が生まれたんだ。骨のまま痛みを感じることにもならないと思う」


『……人間のふりは……疲れんか?』


「何言ってるんだよ。僕は人間だ。——これが人間だよ、骨人の王」






■     ■     ■     ■





 手を差し出す灰色の少年。

 その手を取った王は、祝詞にも似た呪言を吐き出す。


『救いを求める稀人よ――次に何を求める?』


「約束の履行だ。身体を得られたら……次はだ」


『わかっている。ぬしの願いも叶えてやろう。——代償に差し出すは』


「——僕の『痛みにまつわる機能』」


『成立だ』



 ふっ、と。



 ガンガンと痛んでいた頭と、背中の激痛がバラムから嘘のように消失した。

 傷は治っていない。バラムの身体は信じられないほどにボロボロだ。

 でも、痛みを感じない……感じられない。


『————く、ふふっ』


 しゅる。

 それはまるで、布ずれのような音だった。


 ——

 骨を包むように、外観が形成されていく。


 所要時間は、一分もなかった。


「……あぁ、残念だ。視界があれば自分の身体の変化を見ることが出来たろうに」


 奈落の骨人王、無躯ムク

 その魔物は、『太古の亡国の王妃の遺骨』が魔力に侵食されて生まれたものだ。


 アニムのそれより黒く、深いぬばたまの長い黒髪。これは飾りではなく、『痛みにまつわる』機能として、頭部を痛みから守るために生まれただけの防具に過ぎない。

 世界を映す機能を持たない痛覚受容器でしかない瞳は、それでも輝く黄金。

 

 骨格を覆う肌。目鼻、顔立ち。それらは『竜妃』と謳われた絶世の紅玉をこの世に蘇らせた。

 一糸纏わぬ――姿をとった王は、自分の臣下である骨人たちが驚愕に骨を鳴らす様子で、成功を悟った。


「……ほう、どうじゃ?」


「ああ、綺麗だ。生前はさぞ」


「その美辞麗句は刺さらんのじゃ。我に性別は無い。しかし女の身体か……ぬしから見て生きやすいと思うか?」


「そんなことはどうでもいい。成功したんだ、わかってるよな?」


 ばっさりと切り捨てるバラムの言葉に、無躯ムクは口を尖らせる。

 しかしバラムは、無言で手を差し出した。


 約束の履行。それがバラムが出した願い。

 次は僕の番だという、約束の履行。


 無躯ムクは「良い」と頷き、まだ子供であるバラムに視線を合わせるように膝を付いてその手を取った。


 契約。

 その言葉に対する興味と共に、無躯ムクは微笑んだ。


「悪いが契約とやらのやり方は知らん。ぬしに任せようぞ」


「ああ。まず、自分の心臓……君で言えば魔玉を意識しろ」


 バラムの言葉に従って、無躯ムクは人間の心臓部に確かに存在する自分の魔玉に意識を集中させた。


「僕が君の身体に魔力を通す。僕の魔力を、君の魔玉に連れていく感覚だ」


「ふむ」


 バラムは魔力を糸のようにこより、触れている無躯ムクの手から流し込むように、そして無躯ムクもそれを受け入れて魔玉に連れていく。

 魔術にすべてを賭けたバラムと、厄災級の魔物である無躯ムク

 二人にとって、この程度の魔力操作は造作もなかった。


 そうして……魔力が結合する。


 カチり。


「必要なのは、宣誓だ。僕たちの目的は」


「——天使を殺すこと、じゃ」


「期間は?」


「無論、最高位の天使を殺すまでじゃ」


「——ああ、よろしく頼む」




ーーーーー



     ーーーーーーー




『——』完了。




 無躯ムクの身体に……腹に――が浮かんだ。


 契約印——では、なかった。

 無躯ムクは初めて感じるそれに、首を傾げてバラムに問う。


「この感覚……これが契約か?」


 なんとなしに訊いたその言葉に、





「それは――――『』だ」






「隷……」




「王、お前にとって僕は、人間は虫かもな。その中でも僕は蟻だ。でも——蟻は一噛みで上位生物を殺すこともあるんだよ」


 バラムの右手に浮かんだ骸骨の紋様が光り、無躯ムクは無意識に――跪いた。


「契約の仕方も知らない魔物に……しかも君みたいな厄災級の魔物と単純な契約なんて結ぶわけないだろ?」


「……ぬ、し……」


「対等な相互契約じゃない――これは一方的な主従契約だ。天使を殺すまで、


 顔を伏せた無躯ムク

 バラムの言葉だけが場に満ち……そして。


「……くっ、はは……ふふ」


 笑みを浮かべ、王は顔を上げた。


「——我を化かしたか、道化」


「道化ってそういうもんだろ?」


「よい……よいぞ……我を下したその刃、やはり天使に届くやもしれんな……くはは」


 一種の敗北。初めて見上げた少年に、骨人の王は哄笑する。




「天使を殺した後は――ぬしを殺すとしよう、愉しみじゃなぁ、殿




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