善悪と窮地

「……いってぇ……」


 自然と口から漏れた言葉で、自分が目を覚ましたことを自覚した。

 背中から走る刺すような疼痛は起き上がるだけでも強さを増して、思わず顔を顰めてしまう。

 目を開ければ、飛び込んでくる光景はどこかの洞窟の中のようなごつごつとした石壁と青白く光りを放った地底湖。

 奈落に落ちている時にはただの暗闇だったはずが、地底湖の光で薄暗い程度にまで視界が確保されているのだ。

 見上げれば、僕たちが落ちてきたものであろう大穴が先の見えない口を開けていた。

 

「っ、起きましたか……」


「鬼灯さん……怪我は?」


「自分の心配をしてください。私はおかげで無傷です」


 上半身を起こした僕に駆け寄ってきた鬼灯さんは支えるように手を添えてくれる。

 彼女の手には鞘が失われた月喰が握られており、それを大事そうに僕の傍に置いた。


「鞘は砕けていましたが、刀身はあの衝撃でも刃毀れ一つしていません。なかなかの業物ですね」


「……そっか、ダメになってるのも覚悟してたけど」


 言いながら手を添えると、刀身に流れる黒い波紋が苛立ったように激しく振るえた。それは幻覚なのか、はたまた意思を持った反抗なのかは定かじゃない。


「時間は……」


「わかりませんが、落ちてから恐らく一時間は経っているかと」


 滲み出る安堵の息を吐きながら、鬼灯さんは悔しそうに唇を震わせた。


「立てますか……?」


「えっと……っ!」


 立ち上がろうと身体に力を入れると、僕を苛むのは背中からの激痛。

 これは……落ちた時に付近の骨がいったか……。痺れとかは特にないから、背骨へのダメージは最小限で済んでる……のかな。

 

「ごめん……手伝ってもらってもいいかな?」


「当然です。周囲の安全性についてはひとまずご安心ください。哨戒は済んでます。目に見える範囲はもちろん、耳が届く範囲にも魔物の反応はありませんので」


「そっか……ありがとう」


「お礼はいいです。結構です。今の私は返す側ですので」


 僕を支えて立ち上がった鬼灯さん。その所作が場違いなほどに洗練されたものだったので、僕は思わず声に出してしまう。


「鬼灯さんって……貴族だったりする?」


「……なんですか、急に」


「いや、なんとなく……」


 黙って歩くだけでは手持ち無沙汰だし、薄暗い場所、魔物がいるかもわからない緊張状態から来る恐怖を紛らわすための質問でもあった。

 っていうか……やばいな。背中は痛いし、意識ははっきりしているが倦怠感がひどい。一度目より丈夫になった身体でこれだから、鍛えてなかったら即死だったな。

 ぼんやりとしたまま視線を鬼灯さんに向ければ、彼女は強張った顔で僕の顔を覗きこんだ。


「……発熱、していますね」


「多分……だから、気を紛らわせたい。何か、話をしてくれないか?」


「わかりました。ですがまずは、進む方向を」


 彼女が視線で示したのは、この地底湖のある空間から三つに分岐している道だった。

 どうやらここは三叉路のような場所だったらしい。

 僕は振り返って一緒に落ちてきた大階段の瓦礫を矯めつ眇めつ観察する。


「僕たちは古城の足下で地下に落ちた。……だから、ここには古城に繋がる場所があるんじゃないか……と信じたい」


 朦朧とする意識を叱咤して、大階段の瓦礫の積載が多い方向をへと進路を切る。


「左の道は、多分古城の真下側だと思う。大階段の瓦礫がやけに多いから」


「他に目印のようなものもありませんしね」


 そうして左の道へと進むと、僕たちは点々と青白い光の灯る一本道に入った。

 地底湖が放つ光と同種の蒼白の灯り。不思議な何かに誘われるように、僕たちはゆっくりと道を進んでいく。


「この青白い光……なんだろう?」


「見当もつきませんが、これが無ければ真っ暗闇です。今は吞み下して進むしかありません」


「それはそうだ……」


 反響するのは歩き続ける僕たちの足音と、雫が落ちるような水音。

 暫しの無言の後、鬼灯さんは躊躇うように切り出した。


「……先ほど」


「ん?」


「訊きましたね、私が貴族かどうか……。その通り、私は貴族……いえ、皇族でした。極東の『魔領まりょう皇国』の……次期女帝、でした」


 次期……女帝?

 つまり、がっつりお姫様である。


「今でも、感情が昂ると言葉遣いが荒くなったり……昔の名残が顔を出します」


 あー、そう言えば初対面の時、『お前』とか吐き捨てるように言われたなぁ……。


「ま、まじ……?」


 僕の問いに頷こうとして、彼女は儚く、自嘲するように笑った。

 そして、僕もはたと気付いた。

 思い出したのだ。

 魔領皇国。その名が付く東の大国の末路を。


「そう、。五年前、故郷が亡国と呼ばれるまでは」


 今から五年前。

 僕からすれば、何十年も前に起きた大事件。

 

 厄災級の魔物の――同時発生。

 未曽有の災害は、後世でも悲劇として語り継がれた。


「我が魔領皇国。そして、流通の心臓と呼ばれる『西方貿易港』付近に現れた二体の厄災級の魔物。……しかし奇跡的に、世界の危機と謳われる二体の厄災級の魔物が遺した爪痕は、東の大国一個を滅ぼしたに留まりました」


「だけって……」


「それほどまでに、厄災級の魔物というのは強力無比なのです。その評価も致し方ありません」


 滔々と語る彼女の声音に感情はない。まるで歴史書を読むかのように、事実だけを淡々と語っていく。


「帝国を始め、諸外国が戦力を投入したのは貿易港の方でした。戦力を分散しながら戦えるわけも、ありませんから」


「魔領皇国を……切り捨てたってことか」


「我が国は長い鎖国をようやく終わらせ、繋がりを持ち始めた段階でしたので……切り捨てたとしても外国の痛手は少なかったように思います」


『帝』の名を持つ英傑。数々のSランク冒険者や、魔術師の上澄みたちによって甚大な被害をもたらした一体の厄災級の魔物は討伐された。

 それは知っている。

 そして、もう一体も……魔領皇国との相打ちで討伐されたのだと、歴史ではそうなっていた。


「魔領皇国は持てる戦力で尽力しました。しかし……討伐には到底」


 悔いるように唇を噛んだ彼女は、そして茫然とその名を口にした。


「戦う戦士たちは討伐するのを諦め、皇国の民が避難するための時間を稼ぐために粉骨砕身で立ち向かいました。私も……そうして逃がされた。——その時、『天使』が降りてきたのです」


 一気に血の気が引いた。

 これが、彼女と天使の因縁。

 彼女が『幻想侵犯ファンタズマ』に身を置く理由なのだと、直感的に理解した。


「一撃。たった一撃でした。——天使は、厄災級の魔物を殺したのです……


 一振りで街を消す光景が、フラッシュバックする。

 膝を付いて見上げるしかない一度目の僕と、彼女の姿が被って想起される。


「戦う戦士たち。涙を浮かべて避難する民たち。その姿は一瞬で、私の眼下から消失しました。これが……東の亡国の末路です。——ここで終われば、まだ良かったのですが」


 僕は口を挟むこともできずに彼女の話に耳を傾け続ける。


「厄災級の魔物は、出現すれば大陸を行進する。被害は一つの国では止まらない。しかし……それを食い止めた『天使』の姿は、近隣国からはどう見えたでしょうか?」


「……救世主以外の何物でもないな」


「ええ。魔領皇国の犠牲で済んだのです……天使は、大多数の人間にとっては厄災級の魔物を裁く……神に等しい存在なのです」


 彼女の怒りの矛先は、酷く不安定に揺れている様に感じた。


「私は……どうすればいいのでしょうか……?」


「……僕は」



 ――――カラッ。


『ッ!?』


 後方で鳴った骨の音。


 僕たちは同時に顔を見合わせて、重い身体を引き摺りながら走り出した。

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