日常と出稼
朝。
まだ微睡む頭を持ち上げる。
固まった背を伸ばすと同時に両手を上げると、
「……にゃぅ」
右手に絡まったアルセントの尻尾が名残惜しそうに離れていく。
寝息を立てるアルセントを起こさないようにベッドから抜け出し、僕に用意された個室を出る。
個室と言っても置いてあるのはベッドだけ。質素な部屋に、団長も苦笑いしてた。
僕が聖都を出てから二カ月が経った。
つまり、
月喰を腰に佩き、黒羊の無念を左腕に装着してアジトを出る。
広がるのは森の中の静謐な光景。
村の残骸の間を流れる水路に沿って歩くと、朱色の花が数輪咲いている場所に座る大きな背中が見えた。
「おはようございます。ラウルグラムさん」
「……坊か」
振り返らずに言ったラウルグラムさんへ、花を踏まないように慎重に近づく。
「どうだ、左腕の調子は」
「いつも通りです。うんともすんとも」
静かに頷いた彼の隣に座り、同じように水路を眺める。
僕がここに来た最大の目的。それは魔物の部位へと転じた左腕を制御できるようになるため。それが僕のため、ひいてはアニムを救う一助になることは間違いないからだ。
聖都で天使と戦った時、僕は確かにその力を……
捨て身の策ではあったが、あの瞬間、この左腕は僕の管理下にあった。魔物の部位を意図的に足にまで波及させる『憑纏』。そして、特別な『権能』。
だが今、その力の感覚はどこか遠くへ行ってしまったように掴めなくなっていた。
「聖都では確かに使えたはずの力……無茶したのが悪かったんですかね」
「話を聞く限りでは、確かに尋常な用い方ではないだろう。意図的に
「……
「馬鹿なことは考えるな。次は戻ってこれぬやもしれん」
「は、はい」
僕も少しの焦りが見えたのか、ラウルグラムさんは落ち着いた声音で僕を諭す。
「案ずるな。だからこうして魔力感知の鍛錬をしている。
「……ありがとうございます」
「気にするな。人を害するこの力が、為になるのならば本望だ」
身体の中にある魔力の、自分のものではない部分。それを感じるために、この二カ月のほとんどの時間をラウルグラムさんとの鍛錬に費やした。
ラウルグラムさんの
ラウルグラムさんの周囲の魔力の循環を緩慢にしたり、停滞させたり……そんな風に自在の力場を発生させるのだ。
すると、魔術の構築速度や治癒能力、
問題は、この力場が制限するのは人間の魔力のみ、というところだ。
魔物には効かず、対人間特攻とでも言うのだろうか。
だがそれは裏を返せば、魔物由来の
そのおかげで、僕の課題である魔物の魔力を感知することの鍛錬においてもかなり効率的に進めることが出来ている。
「……どうだ」
「……全力で制限を掛けてもらってるときは、左腕の魔力の感覚がなんとなくわかります。でも、制限を弱めれば弱めるほど……それが僕の魔力に埋もれていって……」
「……制限下であっても、わずかに感知できるようになっただけで進歩だろう」
そう言って、ラウルグラムさんは力場を解いた。
人間の魔力の制限を長く続けると侵蝕が始まる恐れがあるため、ある種荒療治のこの方法は長時間は続けられないからだ。
「……ふぅ……付き合ってくれてありがとうございます、ラウルグラムさん」
「よい、せめてもの礼だ」
「礼……ですか?」
身に覚えのない感謝に首を傾げると、彼は口を覆う大きな布を引き上げながら確かに頷いた。
「……ギンについて」
「ギンさん……?」
「あの子は最近……よく早起きをするようになった」
「早起き……ええ、確かに早起きですよね。ラウルグラムさんと僕の次に起きてます……ね」
僕とラウルグラムさんがこの朱色の花々に囲まれているここに、ギンさんはよく通りかかる。彼女曰く、『ルーティンの朝の散歩』らしいけど。
「……あの子に散歩などというルーティンはない。それどころか、前までは起きる時間も寝る時間も不定期で、一日中起きていることも、一日中寝ていることもあった。不摂生を絵に描いたような子だ……った」
「へ、へー……なんかイメージと違いますね」
「儂からすれば今の方が……」
そう言いかけたラウルグラムさんの目線が僕の後方に滑った。
「あっ……あれー! 今日も二人で鍛錬かい? 毎朝ご苦労だね~」
そう言って僕たちの前に回り込んできたのは、寝癖でアホ毛のできたギンさんだ。
「爺はいつも通りだけど、バラムは毎日頑張ってるね」
しっかりした話し方で、余裕を感じるギンさん。多分こちらが平常時なんだろうけど……書庫で話す時と感じが結構違う。初対面の初めての会話もこんな感じだったっけ。
「と、時にバラムくん? 今日はその……あ、し、しょ、書庫には?」
「えっと、朝は森を走って……昼はエンダークと剣を訓練して……夜、ギンさんが良ければまたお邪魔しようかと」
「あ、あー、そ? うん、あ、いやギンはまぁ……いいんだけどね? うん、え、じゃ……くる?」
「はい、ぜひ」
「ん……じゃ、あの……まってる」
しゅばっと髪を翻して走り去るギンさんに、僕は口を開けたまま背中を見送った。
散歩……結構走るんだな。
「……はぁ。それで、坊よ。ギンはああだが、嬢はどうだ?」
「鬼灯さん……ですか。いえ、進展は特に。完全に興味を失くしちゃったみたいで……はは」
鍛錬相手としてこれ以上ない人材であり、どうにか協力をしてもらえないかと手を尽くしたのだが、依然として彼女の興味は僕に向かない。
この二カ月で話した回数は両手で数えるほどだ。
そしてその半分が、食事時に調味料を取ってくれというもの。
その様子はエンダークや団長、エトゥラさんからは仲の悪い兄妹のようだと揶揄されるほどにギクシャクしている。
でも確かに、僕と彼女の間の実力差は初対面の撃ち合いでも如実にあった。僕からすれば彼女は目指すべき相手だけど、彼女にとってはそうじゃない。
つまり、彼女が僕の相手をする理由……その価値を僕が提示できていないのだ。
「ふむ……いや、案外簡単かもしれんな」
小さく呟くラウルグラムさんを見上げれば、彼は何度も頷き、僕の頭を強めに撫でた。
「坊、やはりお前はいろいろ考えるより実戦の方が性に合っている」
「え、っと……?」
昼。
日課の身体づくりとミガル湖周辺を走った後、エンダークとの剣の訓練のためにアジトへと戻った僕を待っていたのは、
「エンダーク……と、あれ?」
「……なぜあなたが……。エンダーク、これは一体?」
訓練をするにしては気合の入った様子のエンダークと、怪訝に僕を見つめる鬼灯さん。
各々の反応を見せる僕たちを気にした様子もなく、エンダークはいつも通り飄々と話を進める。
「バラムには前言ったよな、俺が外交やら金策担当だって。それだ」
「それっていうと、金策?」
「街に行って依頼を受けた。当然正面からじゃねえけどな」
そう言って彼が僕に見せたのは、冒険者ギルドなどに張られている羊皮紙。依頼書だ。
「……エンダーク、話が違います。今回はあなたと私で」
「お前も連れてくって言っただけだろ? 二人とは言ってねえよ」
「……図りましたね」
「なんとでも言え。んじゃバラム、準備しろ。それとも、留守番してるか?」
渡された羊皮紙の内容に、僕は言葉を失ってエンダークを見上げた。
「俺はお前たちのお守りをするために連れてく訳じゃねえ。当然、とちれば死ぬ。っつーかその可能性の方が高い。……それはバラムだけじゃねえぞ、鬼灯。逆にバラムがいた方が、背中を守ってくれる頭数が増えるってことだ。……付いてくんなら、足手纏いにはなんなよ?」
「当然です」
断言した鬼灯さんは僕に感情の薄い目を向け、吐き捨てる。
「あなたの命を優先するつもりはありません。私が危険だと判断したら、私はあなたを見捨てます。自分の命が大事なら来ないことをお勧めします」
「付いてくんなってよ、どうするバラム」
依頼書を持つ手に自ずと力が入る。
命が大事……やばいな――そんな感覚忘れてた。
だめだ……すべては命あっての物種だ。
それに……自惚れかもしれないけど、僕が死んだらアニムが悲しむ。
だから、
「行くに決まってる」
「だろうな。期待してるぜ、イカレ野郎」
「…………勝手にしなさい」
「うん、勝手にする」
死なないように、全力で喰らいつく。
討伐依頼。
場所——魔棲帯レートA・ラゴム古城跡。
討伐対象——
対象魔物ランク、A。
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