7.神社マーケット

 3月25日。3月下旬にしては寒いけれど天候に恵まれ、神社の境内に何本かある桜の木も、花を満開に咲かせていた。遥、渚、聖の三人で軽トラックから荷物を下ろし、まず台を設置してから、コーヒーを入れる器具やカップなどを整える。渚が周りをみると、お菓子を売っているところ、軽食を売っているところ、雑貨を売っているところ、などいろんなお店があった。これがマーケットというものか。出店は10時から16時までだ。

 渚は前日に武蔵野亭で、必要な道具を軽トラに詰める手伝いをして、当日の作業の説明を受けた。そのときお店でちょっと気になることがあった。漱石と命名された子猫が二階に向かって威嚇するように鳴いていた。はじめて聞く激しい鳴き方だった。直後、それに呼応するようにカラスとアヒルを足して二で割ったような妙な鳴き声も聞こえる。

「漱石〜、どうしたの?」

 遥さんが声をかけると、漱石が寄ってくる。自分がこの子の名付け親かと思うと誇らしかった。人懐っこいこの子猫は、渚を見つけるとトコトコ近づいてきた。自分に懐いてくれているのがたまらなく嬉しい。

 聖との関係は可もなく不可もなく、といったところである。話すのに緊張はしないけれど、会話は必要最小限だけ。そしてお互いが自分の役割を淡々とこなす。バイト仲間ってこういうものなのだろうか。「もう少し愛想よくしてくれてもいいのに」


 設置作業は順調に進み、マーケットの開始時間である10時には余裕を持って終わらせることができた。準備が終わると渚は後ろ髪を結んでキャップをかぶりエプロンをつけた。今日の渚の役割はそんなに難しいものじゃない。オーダーを取り、それを遥に伝える。遥が淹れたドリンクをお客さんに渡し、お金を受け取る。ドリンクはコーヒーがメインだ。メニュー表は上から「天狗ブレンド」「カフェインレス」「世界各地のコーヒー」「バラの香りの紅茶」「発酵茶はっこうちゃ」「発酵茶のチャイ」だ。「世界各地のコーヒー」を注文された場合だけは、さらに3種類の中から豆を指定してもらわなくてはならない。3種類の豆はブラジルとエチオピアとコスタリカという名前だった。今日はドリンクの他に少ないがお菓子も用意している。

「コーヒー以外も用意したんですね。しかも全部珍しい。普段お店で出してないものもありますよね」

「父がよくもらってくるの。うちは甘いものはあまり食べないからマーケットに出店するんだったらメニューに加えてくれって」

 渚は基本的に注文を取って、遥や聖がいれたドリンクを渡しお代を受け取る係だ。聖が豆を挽いたりフィルターを取り替えたりするのを横目でみる。しばらくバイトしていたただけあって慣れた手つきだ。

 神社への参拝客は思ったよりも多かったが、もしかしたら今日はマーケットが開かれていたからかも知れない。渚は自分から神社に行こうと思ったことはない。たとえこういうマーケットが開催されていると知っていても、今回みたいにお呼びがかからなければ足は向かなかっただろう。遥たちの屋台も列ができることがたびたびあった。気のせいか忙しい時ほど、次から次へお客が並んでいるような気がする。

「誰かが買っていると、自分も買いたくなる心理なのよ、たぶん」

 そういうものか。

 簡単だと思っていた注文を取る作業でも、やってみると意外と困ることもあった。「『世界各地のコーヒー』の3つの豆はいったい何が違うのか?」など、コーヒーに関する質問には渚では答えられなかった。ひと組のお客さんの対応に時間がかかると後が使えてしまう。慣れていない渚はそれだけで軽くパニックになってしまう。

 あっという間に時間が過ぎて昼の12時を回った。ようやく客の入りがひと段落したので、渚は聖と交代で昼食を取ってきた。遥は席を離れるわけにはいかないので、ゼリー飲料で済ませたようだ。彼女に比べたら自分はずいぶん気楽な立場だなと思う。休憩後は、多少コーヒー豆の種類の違いが分かる聖が注文をとり、渚は裏側でサポートに回る。午後1時くらいからまた客足が増え、3時過ぎまで断続的に列ができた。

 3時半を回る頃、客足が途絶えてきたので、三人で撤収の段取りを確認していると、

「あの、まだやってますか?」

 スタイルの良い2人組の男の子がやってきた。同い年くらいかなと思って2人をみていると、渚は同じ高校の生徒だと気がついた。一人は同じクラスの男の子でレオって呼ばれている。本名は仙川怜央せんがわれお。もう一人は学年もクラスも分からないけれど、校内で見たことはある。明るく染めた肩にかかるくらい長い髪が特徴的だった。二人とも渚が同じ学校の生徒だと気が付かないようだ。キャップとエプロンのせいかもしれない。

「やってますよー」

 遥が笑顔で応じる。

「世界のコーヒー、ブラジルをお願いします」

「僕はエチオピアをお願いします」

 二人はメニューをみてスラスラっとコーヒー豆の種類まで決めた。その様子がなんだか大人びてみえる。同い年なのに。

「このブラジルは比較的苦味が強いですけど、大丈夫ですか」

 念のために遥が確認すると、

「はい、飲んだことあるので、味なんとなく想像できます」

 と元気よく応じる。その受け答えに遥も感心したようだ。

 五分くらい待ってもらうように伝え、遥が豆を挽いてコーヒーをいれる。渚は2人と聖を見比べる。レオとその友人らしき男子は、聖より頭一つくらいは大きい。体格も一見細身だが聖と比較するとがっしりしている。それに聖には大変失礼だが、受け答えがハキハキしていて活気、というか精気がみなぎっている。古い価値観の大人からは「若者はこうでなくちゃ!」と好印象を持たれそう。

「あ、美味しい」

 大事に味わって飲むレオに、遥はますます興味を持つ。

「コーヒーお好きなんですか? なんだか飲み慣れているみたいですね」

「はい、僕14歳までブラジルに住んでいて、父があっちでコーヒー豆に関する仕事をしていたんです」

 渚はレオがブラジルに住んでいたことは知っていた。確か生まれもそっちではなかったか。けれどコーヒーに馴染みがあることまでは知らなかった。コーヒーを味わう横顔が本当に大人にみえる。たかがコーヒー、されどコーヒー。

「お友達も?」

 遥はレオと一緒にきたもう一人の男の子の方に顔を向ける。

「いえ、僕は別に彼みたいなことは何も。ただ父も母も家で出すコーヒーにはこだわっているので、豆の産地や精製方法によって味が異なることくらいは知っています」

 これは果たして一般教養なのか? 渚が飲まないだけで、彼女の家でも親はコーヒーを飲んでいる。たぶんインスタンドではなく挽いた豆から抽出しているはずだ。もう少し興味を持つべきだろうか。

「どうぞごゆっくり」

 遥の声が弾んでいる。

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