第16話 骨の青年

 ◆


 ルードヴィヒの視線は地の底から睨め上げるようにラカニシュへ向けられていた。

 そこには仇敵に向ける陰湿な怒気が多分に込められている。


 姿形こそ生前のそれであったが、放散する陰の気はまさしく死者のものだ。

 それはまさしく怨霊と呼ぶに相応しい妖気であった。


 雪煙を上げて吹き飛んだラカニシュは、骨体の至る所を欠けさせながらも自身の放った圧縮空気弾に耐え抜く。


 術師は剣士ほどではないにしても魔力によって自身の肉体…ラカニシュの場合は骨体を強化できる。


 これは例えるならば、筋肉に力を込めるようなものだ。


 腹部を打たれるとして、腹筋に力を込めた状態で打たれるのと脱力状態で打たれるのとでは身体的なダメージに大きな差がでる…魔力による身体強化にも同じ事が言える。


 単純な反射ではない所がいやらしい、とポーは思う。あくまでも等量の威力を持つ“罰”なのだ。連盟術師ルードヴィヒの術式圏内では彼が定めた法に反する行動を取った時、“被告人”の行動を触媒として罰が与えられる。


 ただしこれは人種、 信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

 所謂法の下の平等という奴だ。


 術者が敷いた法に反した行動を取れば、術者自身にも罰が与えられる。


「エルファルリさんという前衛剣士がいる状態での“これ”は辛いでしょうね」


 ポーは他人事のようにいいながら、両眼から滴る血涙を拭取った。


 これは代償だ。

 彼は今、死痛とも言うべき苦痛を全身に感じている。


 連盟術師ルードヴィヒにしても連盟術師キャスリアンにしても、その内面には狂気的な精神世界が広がっている。


 そういう者が従う者がいるとすれば、それは他ならぬ自分自身だ。そんな彼等が他者の走狗となるというのは、彼等自身にとってどれ程の理不尽で、どれ程の苦痛を伴うのか。


 ポーが今行使している術…応報の権能。

 これはその者に降りかかった不幸、理不尽をそれを与えたものへ返すという力であり、一時的に仮初の命、肉体を与え、自身の手でその者へ応報させるという事も出来る。


 理不尽とそれに伴う苦痛、苦悩が術の起動条件だが、当然起動をするならば支払うべきものを支払わねばならない。

 代償だ。


 その代償とは苦痛、苦悩への完全共感である。

 あなたの気持ちはわかりますよ、などという薄っぺらい言葉で“共感してもらえている”と感じる間抜けがどこにいるのだろうか。


 苦しみへの共感とは、同じ苦しみを味わったものにしか出来ないものだ。


 故に、ポーは術の起動対象が死した時と等量の苦痛や苦悩を味わう。術を起動している間はずっと味わい続ける。

 苦痛を肩代わりしてやるのだ。


 それにより彼の掌中の死者達は狂するほどの苦痛から一時的に解放され、澄んだ思考で適切な復讐ができる。


 勿論、その肩代わりする苦痛は幻想のものではなく、度を超した苦痛というのはあるいはポー自身を殺めてしまうこともあるだろう。


 だが命を、魂を使うなら、それに支払う代金というものが自身の命や魂であるというのは至極当然のことだ。


 ◆


「見事だ、連盟の術師!」


 エルファルリが叫ぶなり、大剣を突き出し、身を低くしたままラカニシュに向かって駆け出した。


 齢60を超える身でありながら、全身を覆う筋肉は躍動し、そこから生まれる膨大な運動エネルギーは彼女の両の脚に爆発的推進力を与える。


 雪に覆われた大地を踏み砕く音はまるで爆発音の様で、その疾駆の勢いはエルファルリとラカニシュの彼我の距離、約15メトルを0.6秒で縮めた。これは時速90キロメトルに相当するが、初速からその速度を出せる生物というのは中々居ない。


 東域の北西部の草原地帯に“風喰い”と呼ばれる黄色の体に黒い斑を散らせる四足の肉食獣が生息しており、これは最初の3秒で最高速度の120キロルに達するほどの走力を持つが、走り比べをしたならば短距離はエルファルリに軍配があがるだろう。


 ◆


 一瞬にして詰められた距離…その勢いがそのまま貫通力として乗算された渾身の突き。


 それがラカニシュの白い胸部へと吸い込まれ、剣先が少し埋まり、そして弾かれた。

 大剣の剣身にラカニシュの手があてがわれ、その白い骨の指が剣に食い込む。


 自身を不甲斐ない神から人々を安寧に導く救世主だと感得しているラカニシュには今、天地から流れ込む膨大な魔力があり、それがラカニシュの五体をこれ以上ないというほど強靭なものにしていた。


 確かにルードヴィヒとキャスリアンの魂こそ剥離させられてしまったが、人一人が抗える存在ではない事は確かだ。


 エルファルリは少し目を見開き、そして歯を食いしばり、亡き夫の遺品でもある邪祓いの大剣に入った罅が広がっていくのも構わず、柄を握る腕に力を込めた。


 ◆


 憎い、憎い、憎い。

 愛する夫を奪った外道が憎い。

 エルファルリの両眼と思考が憎悪に染まる。


 彼女が見た夫の、オルド騎士コーエンの姿は無残なものだった。

 四肢が断裂し、達磨のような姿となったコーエンは股間部から頭頂部までもを骨の槍で貫かれ、それでもまた死ぬ事を許されずに幸せそうに笑っていたのだ。


 無数のオルド騎士、そして当時共闘した無数の帝国軍兵士、彼等が命を懸けてラカニシュの術の無駄打ちを誘った。

 キャスリアンから奪った術は骨体のラカニシュに魔力が許す限りの再生力を与えるが、再生には当然魔力が必要となる。

 ラカニシュの術は強力だが、魔力は有限でもある。ゆえの人海戦術であった。


 命を的に魔力を削り、どれほどの犠牲が出たかは分からないものの、ついにはラカニシュが息切れした時、オルド騎士ラドゥの烈怒に震える雷刀がラカニシュを真っ二つにした。


 そして帝国の精鋭術師達が自身らの命を触媒とし、果ての大陸の縛鎖と同質の強大な封印を施し、当時は勝利を収める事が出来たのだ。


 ラカニシュの封印と共に術が解け、コーエンは正しく死を迎える事が出来たものの、エルファルリは愛する夫の尊厳を陵辱された事を決して忘れはしない。


 憎悪していてもエルファルリの頭は冷たく冷えていた。脳裏にポーから掛けられた言葉が蘇る。


 ――必要な事なのですよ


 ◆


 自身の全身の力を総動員して繰り出した突きが、せいぜい胸部の骨を削るだけであった事にエルファルリが動揺する事はなかった。


 だがその場から一旦離れて態勢を整える事もしなかった。そこは絶対致死圏内とも言うべき危険地帯だ。超常的な膂力のラカニシュに、たとえ腕の薙ぎ払いでも受けたなら上半身が引き千切れてしまったとしても不思議ではない。


 そして、不思議ではない事は当たり前のように起こる。


 ラカニシュが握る大剣がぐいっと引き寄せられ、エルファルリの体が揺らぐ。


 そしてラカニシュが無造作に腕を薙ぐと、幾重にも骨が絡み合った不気味な骨腕はエルファルリの上腕部から胸の半ばまで深々と食い込んだ。


 ラカニシュの手指がエルファルリの、正しく体内でぐちゃぐちゃ音を立てて蠢く。

 そして指の先端が彼女の心臓に触れ、それを握りしめようとした時。


 ぽんっとラカニシュの肩に手が置かれた。

 まるで旧友に声を掛けるときの気安さで。


 ――よォ、久しぶりだな。家族面して俺を殺った時の気分を教えてくれよ。ところで話は変わるが何が人の本質だと思う?俺は骨だと思っている。本質ってのは最期まで残るもンなんだ。なんたって一番硬いからな。何より硬いのさ。そう、ラカニシュ、お前よりも…



『糾う骨』キャスリアンが皮肉気な笑みを浮かべて立っていた。


 ・

 ・

 ・


 バキバキと。


 エルファルリの上腕骨、肋骨、胸骨が、体内に潜り込んでいたラカニシュの腕へと絡み付いていく。エルファルリの意識は深刻な肉体の破壊、激痛、出血によるショックで既に失われていた。


 しかし彼女の骨はまるで生きているように蠢き、ラカニシュの腕に絡みつき、まるで取り込もうとするようにラカニシュの骨の表面の無数の欠損痕から内部へもぐりこもうとしていた。

 その欠損の大部分がルードヴィヒの法に反した事でつけられた欠損痕だ。


 ラカニシュは自身に異物が入り込んでくるのを感得していた。それは例えば、肉の身に刃物が潜り込んでくる様なそれではない。

 例えるならば、己の肉体が段々と他人のものになっていくような…そんな悍ましい感覚であった。


 劇毒とて薄めに薄めれば、やがては無毒に近くなるだろう。キャスリアンは、エルファルリはそれを骨でやっている。


 エルファルリの骨…彼女の中で一番硬い部分。彼女の本質。彼女の何もかもが詰まっている部分をラカニシュのそれと同化させ、精神世界の内部よりラカニシュを損ねてしまおうという狂気的な作戦だった。


 ◆


 ポーは既にキャスリアンをエルファルリに憑けていた。キャスリアン自身がラカニシュの骨体へ干渉する事は出来ない。なぜなら本質を、骨を愛するキャスリアンだからこそその愛情に骨は応えるのだ。

 キャスリアンはラカニシュを忌み嫌い、嫌悪している。それでは骨は応えない。


 これが彼の術の起動条件であった。

 彼が純戦闘向きではないとされているのはこれが理由だ。忌み嫌うからこそ相争うことになるというのに、キャスリアンはその相手へ最低でも好感を抱いていなければ術を及ぼすことが出来ないのだから。


 ただラカニシュとの相性は非常に良いといえる。彼は生きとし生ける者を皆愛している故に。


 ◆


 ポーは自身がこれまで以上に急速に消耗していっているのを感じていた。身の内を焼くのは怒り、絶望、憎悪…様々な負の感情がポーを蝕む。


 五体には全身をバラバラに引き裂かれているような痛みが走っていた。

 これはルードヴィヒが、キャスリアンが味わってきた苦痛だ。


 これはいつもの事だった。

 誰かの理不尽な死の鎖を解きほぐす時、彼はいつも理不尽な苦しみに苛まされる。


 しかし彼の精神世界に暗雲が広がり、苦くて黒い雨が降りしきる中、もう辛いと膝が折れそうになった時。


 ポーは決まって雲の切れ目に蜂蜜色の髪の毛と蒼の瞳をもった少女の姿を視るのだ。


 ――ファシルナミエ…

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