第3話
燭台一つ灯して、深夜の密会の日々が始まった。
夜に、あてがわれた部屋を抜け出し、制作用の部屋で待っていると、アンが書架の後ろから姿を現す。
あまり多くの言葉を交わさずに、乏しい明かりの中で、レオルニはアンをモデルに絵を描く。
何枚も。
何枚も。
その絵、どうしているの? とあるときアンが尋ねた。
下地にしている、とレオルニは答えた。
――どういうこと?
――この上から依頼の絵を描いている。もし百年の後、絵の下に隠された絵を透過する技術が現れたら、見つけられるかもしれない。隠された令嬢の絵を。
(それは、ジョルジュと二人で、年代を偽る絵を作り続けているこの秘密の仕事に対する、明確な裏切り)
知られたら、決して許されることはないだろう。
わかってはいたが、アンの絵を描くことはやめられなかった。その絵を破き捨てることもできなかった。隠すしかなかった。
偽りの絵の中へ、奥深くへと。
――隠しきれるのであれば、お願い。私の絵を描いて。
――いつも描いているよ。それとも、いつもとは違うの?
昼間は昼の仕事をしながらも、毎晩夜に絵を描き続けている。
レオルニはみるみる間に消耗していった。楽天家のジョルジュでさえ、「お前さん、何か隠してるな」と疑いを強めている。
(こんなことは、もうやめなければ)
頭ではわかっているのに、絵筆を持つ手を止められない。
取り憑かれ、呪われたように描き続けてしまう。
アンの笑顔を。すまし顔を。少し悲しげな顔を。
――最近のお嬢さん、ずっと悲しそうな顔をしている。どうして。
――もう時間が無いの。私、明日この家を発ちます。相手とは何度か顔を合わせていましたが、明日は向こうのご自宅に宿泊の予定です。おそらく私はそのときに……。
言葉尻を濁したアンが伝えようとしたのは、一体何であるのか。
レオルニは歯を食いしばり、きつく絵筆を握りしめる。
そのレオルニの前で、アンは羽織っていたガウンを脱いで椅子の背にかけた。
流れるように、その下にまとっていた夜着も脱ぎ捨て、一糸まとわぬ姿となる。
――いまこの状態の私を、私のすべてを、描いてください。あなたの手で。
願いのままにレオルニは描く。
やがて、不意にふっと蝋燭が消えて、辺りが暗闇となった。
どちらからともなく手を伸ばし、互いの存在を確かめあうように、その場で抱き合った。
――あなたは依頼の絵を全部少しずつ私に似せたと言っていましたけど、どうでしょう。何枚かは、あなた自身に似ていると感じるものもありました。やっぱり、架空の人間を描き続けていると、そういうことになってしまうものかしら。よく見慣れたものを描くような。
レオルニの腕の中で、アンはくすくすと笑いながら昼間の絵の感想を告げた。
少しだけ沈黙してから、レオルニは「べつに、何人だって想像上の人物を描けるけど」と前置きをしてから言った。
――僕は昔、王宮に暮らしていたことがあります。そのときに、いまの王族に連なるひとたちの顔を見ている。たくさんの肖像画も見ている。記憶力は良い方なので、今でも鮮明に覚えていますよ。だから、お嬢さんが見た絵の中で僕に似ている絵があったとすれば……、それは僕ではなく、王族の誰かをモデルに想定して描いたものだと思います。それこそお父上のご依頼通り、「王族との縁を匂わせる」ために。
――……そうだとすると、あなた自身が王族の……。
レオルニは、自身の秘密に触れる憶測を口にしかけたアンの唇に唇を重ねて、言葉を封じ込めた。
長い口吻の末に、唇を離して、アンの耳元で囁く。
どうしよう。あなたの絵をこのままずっと描いていたい。
離したくない。
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