第6話 わがまま王女の婚約破棄

(明日、麗しのアネット王女殿下は、結婚式を挙げられる)


 それが、幼い頃から見守り続けたジリアンの、感慨深い想いだった。


 結婚式前夜の今、王女殿下と婚約者の公爵令息であるウィリアム・ディーン、そして2人の両親と大臣達は、挙式リハーサルに臨み、その後に続く晩餐会の真っ最中だった。


 長い長いテーブルに、主役の2人を挟んで、招待客達がずらりと並ぶ。

 騎士姿のジリアンは、さりげなく壁の前に立って、バンケットホールの様子を見守っている。


(アネット殿下のお相手は、麗しの公爵令息であり、殿下と私の幼なじみであり、そして私の……)


 ジリアンは、幸せそうに微笑むアネットから、向かいに座るウィリアムへと視線を動かす。


(ん? いや違う。落ち着け落ち着け)


『大好きな』って何だ。何を言おうとした?

 思わず自分にツッコミを入れる。

 そんなジリアンの物想いは、突然破られた。


「ウィリアム・ディーン。よく聞け。今日この瞬間をもって、そなたとの婚約は破棄する!」


 突然、アネットのよく通る声が響いた。

 ジリアンはギョッとして、反射的にテーブルに並ぶ人々の顔に注目する。


 晩餐会のテーブルに揃った、かなりお年を召した王国の重鎮達の顔は、一堂に「ぽかん」だ。

 一方、2人の両親である国王夫妻と公爵夫妻の表情は一言、「無」。


 一体、何が起こったのだ?


 ジリアンは今日、アネットの影武者として、アネットと同じウエディングドレスに身を包み、結婚式のリハーサルに向かった。

 実際のリハーサルはアネットが行い、ジリアンは騎士姿に着替えると、護衛としてアネットに付き添っていた。


(どこかで、問題がなかったか? 思い出さねば……)


 晩餐会の大きな長いテーブルで、ウィリアム・ディーンは、アネットの正面の席に座っている。


 アネットも、ウィリアムも、テーブルの中央の位置だ。

 それぞれの両親が、子どもの両側に並ぶ。


 黒の髪に黒の瞳が印象的なウィリアムは、常に落ち着いていて、冷静さを失わない男だった。


 今も、ただ静かにアネットをまっすぐに見つめていて、その物言いたげな視線を見たジリアンは、ずきりと心が痛むのを感じた。

 しかしウィリアムは淡々と婚約破棄を受け入れてしまう。


「アネット王女殿下、全ては仰せの通りに従います」


 ジリアンはウィリアムの言葉を聞いて動揺した。


 ジリアンはぎこちなくアネットに歩み寄り、そばに立つと、勇気を奮って声をかけた。


「殿下。ウィリアムの気持ちを……、それに恐れながら、こんな間際になっての婚約破棄による殿下自身への評判もお考えください」


 アネットがジリアンを見上げた。

 まるで姉妹のような、同じ明るい金色の巻毛、鮮やかな青の瞳をした2人の少女が見つめ合う。


 アネットは濃いピンク色のふわりとしたドレスを身に付けていて、まるで1輪のバラの花のようだった。


 ちょっと不満そうに目を細め、キュッと唇を結んだその表情は、時に『わがまま王女』と宮廷貴族達に揶揄される姿そのものだったが、子どもの頃から一緒に過ごしてきたジリアンが見ても愛らしい。


 ジリアンが首の後ろでまとめた明るい金色の巻毛を揺らし、大きな明るい青の瞳を潤ませて、かすかに唇を震わせながらアネットを見つめると、アネットは一瞬、困ったように眉を下げた。


「殿下、ウィリアムは……!」


 ジリアンはそう話しかけて、声が震えてしまっていた。

 深呼吸をして、改めて話し始める。


「殿下、殿下はとても思慮深いお方です。決して、噂で言われているような、『わがまま』王女などではないことは、幼い頃からご一緒している私は存じております。思いつきでーー婚約破棄をされたのではないはず」


 ジリアンは、アネットを見つめた。


「しかし! 今はいったん、ウィリアムと2人で、お2人で話されるべきではーーこんな形で婚約破棄をする理由はありません!」


 アネットは無言だった。

 しかし、ようやく我に返った大臣達が、騒ぎ始めた。


「ジリアン殿! 王女殿下に意見するとは、何事ですか!?」

「王女殿下の護衛に過ぎないあなたが言っていいことではない!」


 自分を非難する人々に、ジリアンは正面から向き合って、ぴしゃりと言い返した。


「臣下の想いに耳を傾けることなく、人の上に立てますでしょうか!?」


 睨み合うジリアンと大臣達の会話を遮るように、アネットが静かに口を開いた。


「いいのよ、ジリアン。あなたの言うことはわかるわ。臣下の意見は、これからも耳を傾けるつもり。でも、わたくしはもう決めたの。もちろん、何度も考えた結果よ」


 ジリアンの目から涙がこぼれ落ちそうになった瞬間、横からウィリアムがジリアンの腕を引いた。


「もういい、ジル。さあ行こう」

「しかし、ウィル!」


 ウィリアムは無言で、ジリアンの腕を掴んだまま、テーブルから離れた。


「ジリアン、もうわたくしの影武者になる必要はないわ」


 ジリアンの背後から、アネットの不機嫌そうな声が届いた。


「殿下……!?」

「だからもう、わたくしに構わないでちょうだい」


 ジリアンがウィリアムの腕を振り解いて、振り返った。

 気が昂って、幼かった頃のように叫んだ。


「アネット! ウィリアムの気持ちはどうなるんだ! なんてひどいことを」

「ジリアン殿! 王女殿下に対して不敬ですぞ!」


 ばーん、とテーブルを叩き、我慢しきれなくなった財務大臣が叫ぶと、晩餐会のテーブルは大混乱になった。

 ウィリアム・ディーンは今度こそジリアンの腕をしっかりと掴むと、一礼して、彼女を連れてバンケットホールを退出した。


 * * *


 ローデール王国を守る将軍の娘であるジリアンは、第一王女アネットと同じ年に生まれ、同じ髪、同じ目の色をしていた。


 背格好もよく似ていたジリアンは、幼い頃は王女の遊び相手、そして学友に、成長してからは騎士となるべく訓練を重ね、王女の護衛騎士に、さらには影武者となり、王女に仕えてきた。


 公爵家の令息であるウィリアム・ディーンもまた、アネットの学友に選ばれた1人で、アネット、ジリアン、ウィリアムの3人は幼なじみとして多くの時間を過ごしてきた仲だったのだ。


 今でも、3人で会えば、アネット、ジル、ウィル、とお互いに呼び合うくらい、気の置けない関係だと思っていたのに。


 ジリアンは黙ってウィリアムに腕を引かれて、王宮の回廊を歩きながら考えていた。

 そして思い出す。


 学友仲間には、もう1人、隣国から留学していたジークフリートもいた。

 ジークフリートは、隣国の第2王子だったが、アネットとウィリアムの婚約後、突然、母国へ帰国してしまったのだった。


 * * *


 ぱたん、と閉まった扉の向こうに、ウィリアムとジリアンの姿が消えた。

 2人の姿を見送ったアネットは心の中でそっとつぶやく。


(ひどいと思うなら、ウィリアムを幸せにしてあげて)


(わたくしは、もう少しの間、『わがまま王女』らしくいなければいけない)

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