4.9.語るべきこと


 地伝から粗茶を勧められたが、首を横に降って断りを入れる。

 分かり切っていた反応にくつくつと笑ったあと、茶を置いてから口を開く。


「亡者刃天。私は長い間……この沙汰の間で閻魔様が判決を下す姿を見てきた。亡者と面を合わせるのはその時が最後だ。だが貴様は違う」

「何が言いたいんだ」

「貴様は亡者で、沙汰の最中で、人斬ではあるが……。今、頼りにできるのは貴様しかおらん」

「その理由を聞いてもいいか?」

「敵がどこにいるか分からぬからだ」


 周囲を警戒する様に、目だけを泳がせる。

 刃天は気配で周囲に誰もいないということは分かっているが、地伝はそういう感覚には疎いらしい。

 彼は続ける。


「これに気付いたのは最近だ。貴様がダネイルの国のギルドマスターとやらを斬り伏せた時を思い返せば、疑念は多く潜んでいた。『幸喰らい』の不透明さが浮き彫りになり、真の力を理解した時でもある」

「んあ? どういうこっちゃ」

「貴様は人を斬った。だが『幸喰らい』はその罪を許した」

「……おお? てことはなにか。俺の幸は未だに減ってねぇってことか?」

「然り」


 刃天はこの話を聞いて安堵するでもなければ喜ぶこともなく、ただ首を傾げる。

 まず最初に“何故?”という疑問が脳内をよぎった。


 聞いていた話では『幸喰らい』はこれから訪れるはずだった出会いの道を、未来を消し去ってしまう呪いだ。

 発動条件は様々あるかもしれないが、刃天は人を殺すことでこれが発動する様になっている。

 そういう沙汰なのだから、仕方がない。


 まぁそれはいい。

 問題は“呪いが罪を許す”という妙な行為にある。


「地伝。『幸喰らい』ってのは……なんだ?」

「貴様の簡潔な問いの中には複雑な問いが数多く紛れ込んでいることが分かる。正味、私もよく理解していないのが現状だ。なにせ聞いていた話とは違う力を有していたのだからな」

「……この……『幸喰らい』ってのは……」


 刃天は言葉を整理する。

 どういう言い回しが適切なのかを脳内で構築し、まとまってから言葉を発した。


「……誰が判断してんだ?」

「……どういう意味だ」

「誰かが判断しねぇと沙汰を下せねぇのと同じだろ? 罪を許すってのも……誰かが決めなきゃ許されねぇ」

「!」


 判決を下す身として、これに気付けなかったのは不覚だ。

 ある種の衝撃を覚えながら、顎に手をやって真剣に考える。


 確かに『幸喰らい』は“誰か”が罪を“判断”して“沙汰を下す”。

 刃天で例えるなれば“刃天”が“人を殺した”瞬間に“幸を減らす”といった具合だろうか。

 しかしこれを判断する人物は地伝でもなければ、閻魔でもない。


 これは……………………誰だ?


「……神?」

「まぁそう言うしかねぇだろうなぁ。ありえねぇ沙汰、そして力だ。運命を左右させる力を持つ者などいるのか?」

「少なくとも私の知識の中にそういった者はいない。理解できぬ現象を目に見えぬ者のせいにするのは人間らしい行いではあるが、ましてや地獄にもこれがあろうとは……」

「んじゃ結局分からずじまいか?」

「貴様が人を一人斬れば、何か分かるやもしれぬ」

「幸減らせって?」

「そもそも貴様に下された沙汰だ。これはしかと受け止めよ。……なにが罪を判断しているかは別としてな……」

「ま、俺は亡者だからな」


 適当な返事を返し、宙を仰いだ。

 なんだか面白いことになってきた、と心が躍り出したのだ。

 こうした理解の及ばないことに直面した時、好奇心が勝るのは刃天の悪い癖かもしれないが、人の理から外れた知識に触れるのだから好奇心が勝っても仕方がない。


 とはいえ『幸喰らい』に関しては刃天が人を斬らなければ理解できることは少ない。

 一度人を斬ったはずなのだが……罪を許されてしまったのだ。

 これでは人を斬っていないと同じである。


 さて、そろそろ刃天が本当に聞きたかったことを聞く手番だ。


「まぁこの話は後でいい。地伝、貴様はなにに見張られているんだ」

「やはり気付いていたか」

「俺を舐めるなよ?」

「……妙だと感じたのは貴様に夢の中で初めて語りかけた後だ。向こうの神々が私に文を寄越してきてな。『勝手な真似はしないように』という内容だった」

「ほぉ?」


 この“勝手な真似”というのは十中八九夢の中で刃天と情報を共有した時のことだろう。

 今ここで会話をしている内容を相手は知ることはできない。

 夢の中の会話も傍聴することはできないようだが……会話をした、ということは把握されてしまうらしい。

 地獄での会話であれば問題ないが、刃天が異なる世にいる間に干渉してしまうと把握されてしまう様だ。


 と、地伝は知っている限りのことを刃天に共有した。

 知りたいことを知ることができた刃天は一つ息を吐き、腕を組んで思案する。


「……何故、俺のことなのに世の神が出張る?」

「そこだ。そこなのだよ」


 現状としては沙汰の場所を借りているだけであり、刃天を見張るのは地伝だけで十分なはずだ。

 人を斬ってはならぬという縛りがある以上、己から積極的に人を殺すことはないのだし、世に大きな影響を与えることはない。

 だが世の神々は地伝が刃天に接触するのを警戒、もしくは拒絶しているように感じられた。

 そうでなければこのような文は届かない。


 なにか目的がある。

 そこに気付くと、新たに一つの疑問が浮上した。


「……俺を使って何をしようとしているんだ?」

「やはりそう思うか」

「まぁな。夢の中の会話の内容を把握していなくても、そこで何かしら会話をしたというのは向こうも分かっているはずだ。この会話自体が相手にとって警戒すべきものならば……」

「私に世の理を知られたくないということか」

「かもな。俺を通してあの世の中身をお前に知られたくねぇ……ってのが、俺の考えになる」


 地伝に知られたくないということは、地獄、もしくはこちらの世の管理人に知られたくないという事。

 地伝を通じて目的を果たせなくなる可能性がある……のかもしれない。


 とはいえ相手が何をしようとしていて、それを阻止できる者が誰なのか分からない今、彼らの真の目的を暴くことはこの段階ではできそうになかった。

 推察は幾らでもできるが、未だに情報が少なすぎて判断まで至れない。


 刃天の答えに静かに頷いた地伝は、茶をぐっと飲み干して息を吐く。


「貴様も分かっていると思うが、何もかも足りぬ。こちらはこちらで調べを進めよう。貴様も沙汰の最中だが警戒しておけ」

「地獄の獄卒がよくもまぁ亡者にここまで構うもんだな。まぁ別にいいが」

「そうだな、確かにこれは異例なことだ。だがしかし」


 地伝は持っていた湯呑を簡単に握りつぶした。

 パキンと硬い音が鳴り響き、破片が地面に転がる。


「この世を侵そうものならば……。他の世、他の神とて容赦せぬ」


 今までに見せたことのない形相を浮かべ、突き刺さった湯呑の破片を手の平の筋力のみで弾き出す。

 元より縄張り意識の高い日ノ本の人間が作り出した存在だ。

 彼らもそういった感覚が根強いのかもしれない。


 怒りを静かに鎮めた地伝は水晶を見る。

 するとよい頃合いだったらしく、巨大な杓子を取り出した。


「お、もうそろそろか」

「ああ。貴様の連れが肉体をくっつけたようだからな」

「……? おいおい待て待て……俺、俺千切れてたのか!?」

「真っ二つだったぞ」

「よくやったチャリー!!」

「……では、頼むぞ」

「ハッ。任せな」


 鈍い衝撃が訪れ……刃天の意識は刈り取られた。

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