第三章 此処より始まる

3.1.ふりだしっ!


 そよ風が木々を通り抜けて草木を揺らしている。

 冷やされた空気は心地が良く、思わず欠伸をしてしまった。


 そんな心地よい風を受けながら、刃天は天然のベッドに寝転がって寛いでいた。

 良い空気にひんやりとした草むら、更に丁度いい按配の木漏れ日。

 昼寝をするのに丁度いい時間ということもあって思わず惰眠を貪ってしまいそうになる。


 だがそれは単に疲れているだけという可能性があった。

 何故かというと、ダネイル王国で一悶着を起こしてしまった刃天はその日の内に国を出てしまったのだ。

 入国にあそこまで時間がかかったので出国も似たようなものかもしれないと覚悟していたのだが、どうやら出国に関しては大した荷物を持っていない場合に限りすんなりと通してくれるようだった。


 無事に出国できた二人はそのまま来た道を戻り、森の中に作っていた拠点に戻ってきたのだ。

 まさかこんなにも早くここに戻って来るとは思っていなかった。

 アオは久しぶりに使ったベッドを懐かしく思いながら、刃天の隣りに寝転がって寝息を立てている。


 出国してから休憩することなくここまでやってきたのだ。

 こうなってしまうのも無理はない。


 因みに戻って来る最中、何故生き返ることができたのかなど散々アオに聞かれてしまった。

 別に隠していたわけではなかったので、沙汰であるということを伝えて説明を終わらせている。

 だが『沙汰』という意味を理解してくれなかったので『呪い』というように説明しておいた。

 とりあえずこれで理解してくれたらしい。


「戻ってきたはいいが、振出しだなぁ~」


 国の中で考えていた計画はすべてとん挫した。

 お家再興計画は一から始めることになり、その計画も練り直さなければならないという事態に陥っている。


 とはいえ、布石は撒いておいた。

 冒険者ギルドの中であそこまで大暴れして大言を言い放ったのだ。

 アオを狙っている暗殺者もそうだし、権力を握っている者たちにもこの台詞はいずれ届くことになるだろう。

 この時、アオの一族に従えていた者たちも話を聞くはずである。


 裏切った家臣に靡いてしまった使用人たち、今現在も逃走を試みている者たち、そして何かしらの縁、恩がある者たちが集まってくる可能性は充分にあった。

 つまるところ、今はそれを期待して待つしかない。

 かと言って刃天たちが拠点にしているこの森に彼らが来てくれるとは限らないところがネックである。

 しかし拠点の場所を教えてしまっては暗殺者も近づきやすくなる。

 この辺はどうしようか……と今もなお悩んでいる最中だった。


「森の中に入って来てくれりゃあ、気配で分かるんだがなぁ」


 そんなことを口にして、森の奥を見た。

 この辺りはのどかではあるが街道からは少し距離がある。

 この場を訪れることができるのは最低でも自分の身を守れるほどの実力を持った人物のみ。

 給仕などをしている使用人などは、国を出ることも旅を続けることも難しいだろう。


 そう考えると……情報を聞いて回ってこの拠点を発見するに至る確率は相当低い。

 戦える実力があり、頭が切れ、追跡の心得を持っている狩人くらいしか見つけられないのではないだろうか。


「んん……難儀だぁ……」


 こうして頭を使うのは久しぶりな気がする。

 だが何を考えようにも人が集まらなければ大したことはできないのだ。

 あれだけ大きな騒ぎを起こしてしまえば、さすがにダネイル王国に戻ることはできないし、あの騒ぎはどこに行っても大きな騒動として報道されるだろう。


 もう小さな村に居候をしながら活動する方が速いような気がしてきた。

 だが貧相な村に赴き、アオの力を知られると邪な考えを持った者たちが集まるかもしれない。

 便利だが、それと同時に危険な代物……。

 これを理解してくれる理解者が今のアオには必要だった。

 そういった人物こそが本当の味方となる。


「ともなれば、結局待つしかねぇか……。はぁー、暇だぁ……」


 再び大きな欠伸をして目を擦る。

 今日はいつにも増して昼寝がしやすそうな気温であり、風も気持ちがいい。

 もう待つしかすることがないのだし『寝るか』と呟いて目を閉じた。

 一つ深呼吸をして睡眠を取ろうとした時、一つの気配を森が教えてくれる。


「……」


 眉を顰め、渋々と言った様子で上体を起こした刃天は腰に栂松御神を差し直す。

 これから気持ちよく寝る所だったのに、それを邪魔されたとなると機嫌が悪くなるのも必然。

 こんな所に足を踏み入れる奴はどこのどいつだ、と集中して気配を辿ろうと目を閉じる。


 すると……以外にも素早い速度でこちらに接近しているということが分かった。

 少しアオから距離をとった方がよさそうだと感じたので、刃天は少し森の奥へ入って待ち構える。

 あの時と同じだ。

 だが向かってくる相手は……いつぞや仕留めた女二人とは比べ物にならなさそうな予感がした。


「そろそろか」


 相手もこちらを認識したようで、明確な意思を持ってこちらに接近してきた。

 草木を掻き分ける音が聞こえたと同時に、その人物が姿を現す。


 アオとが着ている物と同じようなフードで顔を隠しており素顔は見えない。

 だが歩き方と体つきから女だということは分かった。

 目立った武器は持っていないが、服の下に忍ばせているという可能性は充分にある。

 その証拠に……女は片手を腰に回した。


「敵か?」

「フッ!」

「敵か」


 少しばかり大きめの短剣を取り出して斬りかかってきた。

 暗殺者というのはどうにも語るのを拒む傾向にある。

 この世も同じなのだな、と理解した後、刃天は栂松御神を抜刀した。


「そろそろまほーってのを使わない奴に出会えねぇものかね」


 そんな愚痴をこぼしつつ、刃天は飛び掛かってくる女に向けて鋭い斬撃を繰り出した。

 素早い動きで接近してきた女だったが、この攻撃を避けるつもりはないらしい。

 かと言って受けるつもりもないように思えた。


 一瞬妙だ、と思ったが動いた体を急に止めることができない。

 そのまま切り裂いてしまったのだが、どうにも手ごたえがない。

 刃が女に触れた瞬間、その肉体は霧のように溶けて消えてしまった。


「おお」

「そこっ!」

「残念」


 いつの間にか後ろにいた女が短剣を突き出してきたが、刃天は気配を辿るのが非常に得意である。

 森の中にいるのであればなおの事。

 真後ろにいるということを察知していた為、振り抜いた栂松御神の柄頭を女の顔面に殴りつける。

 突き出された短剣は残った片手で簡単に受け流しておいた。


 見事の額を金具で打たれた女は、予想外の一撃に大きく怯んで後退する。

 だがすぐに持ち直した。

 構え直して一度刃天を観察するためにゆっくりと横に動いていく。


「今のはなんだ? 面白い妖術を使うじゃねぇか。あれが分身……いや、身代わり?」

(こいつぅ……!)


 刀を構えることなく先ほどの現象について真剣に考えている刃天。

 その姿は舐められていると思われても不思議ではない。


 すると、女がもう一度攻撃を仕掛けてきた。

 これに気付いた刃天は少し目を開いてから脱力していた腕に力を入れ、間合いを見計らって空を切る。

 やはり女の姿は霧のように溶けてしまい手応えがない。

 だがその代わり気配は真横にあった。


「はぁっ!!」

「そい」

「いったああ!?」


 残っていた手で思いっきり平手打ちをかました刃天。

 乾いた良い音が森中に響き渡る。


 この女が使う妖術、刃天は面倒くさいと直感した。

 切られるまでは確かにそこに気配があり、切るまでは実体があるのだ。

 だが実際に切ってみればそれは霧に変わり、それと同時に気配が移動する。

 つまり切らなければ成す術無くそのまま切られ、切ったとしても一瞬で移動してしまうので仕留めることができない。


 一度切られなかったことにする妖術と言えばよいだろうか。

 初見で見極められる人間はそうそう居ないと思うので、この女は相当暗殺向きな妖術を身に着けている様だ。


「あ、まほーだったか。またアオに指摘されるな」

「お、おのれぇ……!」


 力強いビンタをまともに喰らって首を痛めたのか、片手で頬を、片手で首を押さえている。

 思ったよりいい一撃が決まってしまった様だ。


「んでー? お前は何しに来たのよ」

「この外道め! エル様を誘拐した異人は貴様だな!」

「……? 誰だそりゃ」

「エルテナ・ケル・ウィスカーネ様だ!」

「……おお??」


 なんだか聞き覚えのある名前だった。

 もしこの女が言っている人物がアオである場合……言動からしてアオに仕えていた使用人なのではないだろうか。


 しかしどうしたことか、己のことは下手人という認識のままである。

 どうしてそうなっているのだと問いただしたいところだったが、味方であるならば好都合だ。

 今すぐ誤解を解いて陣営に加わってもらわなければならない。


「待て、待て女。お前……アオの味方か?」

「エル様の味方だ!」

「おうおう待て待て、違った。アオってのがそのエルって奴で……」

「エル様を何処にやったぁ!!」

「うっわ面倒くせぇなこいつ!!」


 説明が下手な自分にも非があるかもしれないが、この女も相当だと刃天でも思った。

 再び切りかかって来たので先ほどと同じように刃を振るい、移動した気配を追って今度は力強い平手打ちを顎に喰らわせる。

 森中に響き渡る乾いた音。

 その音に驚いて虫が逃げる程の大音量だった。


「いっぺん寝てろお前」

「きゅう……」

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