異世界にてやりなお死
真打
第一章 下された沙汰
1.1.沙汰
三途の川は綺麗なものだという認識は甘かったのかもしれない。
そもそも死後の世界があると微塵も考えていなかった己にとってこのすべてが異様な光景にしか見えなかった。
ここはどこだ、と亡者に聞けば『地獄だ』と簡単な返事が返ってくるだけでそれ以上の会話が続かない。
時々火の荷車が亡者を運んでいくのを見るが、あれでは地獄に着く前に死ぬのではないだろうか。
「ああ、もう死んだのだったか」
そう独り言ちたのは白装束をなぜか身に纏った男だった。
汚れたぼさぼさの髪は毛先に行くほど縮れて引っ掛かる。
不気味な目は底なし沼のように何かを渇望しており、ギザギザの歯を見せながら口を三角に尖らせた。
あるはずの物が腰にないことに舌を打ってから前を見る。
さて、この川をどう渡ったものか。
凄まじい激流の中を進めと言われても流されるのが落ちである。
それに加えてなぜか大蛇の背がちらちら見えた。
あれに襲われればひとたまりもなさそうだ。
そもそもなぜこのような川渡りをしなければならないのか。
隣にいた亡者に聞いてみれば『罪が最も重い故』と言葉短く吐き捨てて激流に身を投じた。
激しく険しい死出の山を乗り越え、子供がわらわらと石を詰む賽の河原を通り過ぎてきたというのに、ここに来てさらに厳しい道が残っているなど聞いていない。
だんだん腹が立ってきた男は苛立ちを隠すこともせずにその辺の石を蹴り飛ばした。
あの老夫婦に罪の重さを量られたことは知っているが、死後ぐらいもう少し大目に見ろと言いたくなる。
全くあほらしい。
とはいえこの道を進むしかならなさそうなのは事実。
それにこの程度の激流、数多の戦場を駆け抜け死線を潜り抜けてきた己には大した障害にはならない。
“足場もある”ことなので、早々に乗り越えることにする。
地形を把握し、川の流れを見て最も足場の良い場所を探す。
少しでも緩やかな流れの道を選ぼうとすると、やはりそこには大蛇が構えていた。
楽な道を選べば奴らが出しゃばってくるということか。
男はそこに飛び込んだ。
軽く泳いだところで激流が襲ってくる。
それを乗りこなすように泳ぎ、早速大蛇の背中に飛び乗った。
足場があるのだからこれを活用しないわけにはいかない。
そのまま大蛇の背を伝って激流を簡単に乗り越えてしまった。
しかし大蛇も自分を足場にされたことに起こったらしい。
言われた通り激流を乗り越えたというのに、岸に大蛇の頭が飛び込んでくる。
どうやら己を喰らおうとしている様だ。
「カハ、ええぞ」
地面を蹴って大きく飛び退く。
すると地面に大蛇の牙が突き刺さった。
地面に着地した瞬間、今度は一気に接近して大蛇の目玉をつま先で蹴り飛ばした。
河原の小石を足の指で掴んでねじ込んだ為、多少たりとも傷を負ったはずだ。
眼球に激痛を覚えた大蛇は首を大きく横に振ってその場から逃げ出した。
人を喰らう程に大きな蛇ではあったが生き物などただの畜生に過ぎない。
しかし地獄の畜生を傷つけてしまった。
これで沙汰が重くなることはないよな、と少し不安になりながらも特に気にすることなく前へと進んだ。
ある程度進んだところで亡者を鬼が連れていく光景を目にした。
どうやらここで待機して呼ばれたら鬼についていけばいいらしい。
であればそれまでゆっくりしておくか、とその場に寝ころぼうとした矢先に鬼に御呼ばれしてしまった。
今しがた来たばかりなのに休む間もないのか、と嘆息しつつ付いていく。
そして辿り着いた。
赤々とした朱塗りの柱が幾本も立ち並んで厳格な屋根を支えている。
巨大な写し鏡がこれまた朱塗りの豪勢な机の隣りに置かれていた。
そして机の前に座っている存在こそ、かの有名な閻魔大王だ。
威厳と厳格さを混ぜた様な鋭い眼光。
立派な髭はそれを助長させるに十分な役割を担っていた。
机の上に置かれた書類と己を見比べる。
大層立派な衣に身を包んでいるのを見ると、こいつも上流階級の者たちと変わらない生活をしているのだろうな、と小さく笑って呆れた。
その感情の変化を閻魔大王の隣りにいた鬼が感じ取ったらしい。
「亡者、
「あん? 喋っていいのか?」
「問いにだけ答えろ」
彼も閻魔と似た様な衣を纏っている。
若々しい見た目をしているが人間とは違う一本の大きな角が額から飛び出していた。
聞いたことのある鬼とはまるで違う。
だが衣の裏に隠れている肉体は鬼らしいようだ。
細い体ではあるが、しっかりと筋肉が付いているらしい。
刀もなしに、ここで暴れるのは得策ではないだろう。
刃天は諦めて素直に先ほどの問いに答える。
「さぞいい暮らしをしてるんだろうって思っただけだ」
「嘘ではないようだな。さて、貴様は随分多くの罪を背負った。生き物を多く殺し、盗みを働き、快楽に溺れ、酒も飲み嘘も多く吐き続けた」
「生きるに必要なことだっただけだが」
「鏡を使うまでもありますまい。閻魔大王、沙汰を」
鬼が閻魔大王に向きなおって刃天の沙汰を待つ。
これだけの多すぎる罪だ。
何を弁解したところで意味がないのも分かっているし、なにより生きるのに必要だったことは確かであった。
それを否定も隠しもしないし、する必要すらないように思える。
閻魔大王は大きく息を吸った。
地鳴りがしそうなほどの圧が向けられるが、刃天はそれを笑ってみていた。
物怖じしないことが気にくわないのか、それともいつもこのように沙汰を下すのか分からないが、なんにせよ彼は杓子を使わずにまずは拳を握りしめた。
「まずこいつ殴っていいかな」
「閻魔大王????」
貫禄溢れるその姿からは想像もしなかった言葉が飛び出し、刃天は目をぱちくりとさせた。
鬼が即座に名前を呼ぶが、閻魔大王は止まらない。
「お前何人殺したか分かってんのか? 四百だぞ四百。お前のせいで余計な仕事が四百増えたんだぞ!!」
「閻魔様????」
「正確には四百十三!」
「閻魔大王? 止まってくれません?」
「数えてみても罪、罪。罪、罪、罪ばかりではないか! ここまで善行がない者がおるのか!?」
「閻魔様。おい閻魔様」
「こんな汚れた魂を戻したとあればまた同じ魂にしかならん!! 阿鼻地獄でも生ぬるい!! よって沙汰を下す!」
「閻魔──む、聞け刃天。沙汰を下される」
緩んでいた表情を一気に引き締めた鬼がこちらを振り向く。
閻魔も今し方の失言を無かったことにしたように杓子を持ち上げて厳しく沙汰を下するつもりのようだ。
この茶番は何なんだ、と心の中で呟いた。
貫禄はただの飾りだったか、と彼らの印象が大きく低下したところで閻魔大王が杓子をビッと刃天に指して沙汰を下した。
「“やりなお死”だ!!」
「では、そのよう……は? はああああああ!!?」
沙汰に鬼が最も驚いた。
刃天を連れてきた二人の鬼も驚愕に目を瞠っている。
この様子をどういう面持ちで受け取ればいいのだろうか。
己はポカンとしている事しかできず、彼らの会話を聞くしかなかった。
鬼がずんずんと閻魔大王に近づいて机を平手で叩きつける。
凄まじい力を振るったようではあったが机はびくともせず、ただ空気がぶつかって来ただけだ。
それに付き添いの鬼がびくりと肩を跳ね上げた。
「閻魔大王! どういうおつもりですか!?」
「どうもこうもないわ! このような穢れた魂は地獄に落ちたとしても洗われぬ! であれば清き魂になるまでやりなお死をさせるまで!!」
「仕事が増えるだけに決まってるでしょう!? 何を申されているのかお分かりか!?」
「ああ十分に分かっているとも! 故に落とすのは日ノ本に非ず!!」
「……は?」
聞き捨てならない台詞が聞こえた気がした。
今閻魔大王は何と口にしたのか。
「待ってくれ、おい。今なんて言った?」
「お主が住み慣れた日ノ本でやりなお死をさせても変わりはせぬ! 故に! 別の世に魂と肉体を投げ飛ばす!」
「閻魔大王!? いや閻魔てめぇ何言ってんのか分かってんのか!? そんなことで魂が変われるはずないだろう!?」
「いいや変わる! 変わるはずだ! そのきっかけがなかっただけに過ぎぬ故な!」
そう言い終わると、鬼を突き飛ばして閻魔が立ち上がった。
巨大な杓子を持って刃天の目の前に立つと、それを大きく振りかぶる。
なにかを察した付き添いの鬼が刃天をガッと捕まえた。
「お!? おいおいおいおい待て待て待て待て!!」
「亡者刃天。罪を償える魂になるまで、やりなお死を命じ、人を斬ることを禁ず! もし人を殺めれば、貴様の幸が失われるだろう!」
「は、はぁあ!?」
「沙汰は下された!」
「ちょま──」
ゴッ……と鈍い音を立てて杓子が頭部にめり込んだ。
そのありありとした感触を感じ取った瞬間、視界は暗転した。
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