第三章 あぶない花壇
テスト勉強期間
ミノのことを変な子だと認識したのは生物部に入部することになってから、しばらく経ってのことだった。
「あたしが犯人を知りたいのは、これ以上ない青春破綻者を拝めるかもしれないからよ」
「はあ……。なんですかそれは?」
真面目くさった表情で妙ちきりんな言葉を発するミノに私は呆然と聞き返した。殺人事件の第一発見者になってしまい、どういうわけかミノが事件の捜査に乗り出そうとし始めて、それに私が巻き込まれたときの一幕。この事実だけで信じられないくらい変な子なのだけど、ここからが彼女の本領発揮だった。
「中学二年のとき、青春ヒエラルキーなんて痛々しいものを構築していたときに発見した興味深い存在のことよ」
「青春ヒエラルキー……?」
意味不明な単語の説明に意味不明な単語を持ち出してくるのはやめてほしい。
背後で淡水魚の餌やりをしていた佐渡原先生があくびをしながら部室から出ていく。あの先生も、よく部員たちが殺人事件の話をしたり、妙な単語を口走っているのをガン無視できるものだ。
私はここでもう使っていないという青春ヒエラルキーという単語と、現役バリバリで使っている青春破綻者という単語のレクチャーを受け、ミノが他人の醜聞を集めていることを知った。なかなかエキセントリックな女の子だと思う。
私たちは基本的に他愛のない話しかしないので、ミノさんも常日頃から青春青春口に出しているというわけではない。事件や謎と向き合うときは、興奮しているのかミノのパーソナルな部分がよく出ているだけなのだろう。尤も、そこで発露されるパーソナリティは割とろくでもないので、菩薩のような広い心の持ち主である私以外には見せるだけ損なんだけどね。
◇◆◇
六月も中旬になりました。私のセーラー服から袖がなくなっちゃった……。夏服の出番ってわけです。世間的にはまだ暑いというほどではないけれど、女子は半袖をまとい、男子は学ランを脱ぎ捨て、教師陣は薄手のシャツにフォームチェンジする者が増えてきた。暑がりの私なんか六月一日になってすぐに衣替えしたので、みんな遅れてるとしか思えない。
そしてもう一つ。なんと来週の月曜日から中間テスト。テスト勉強期間ということで今週の頭から部活は休みになっており、学生には四時半には帰宅するようにという命が下っている。
今日はもう木曜日ということもあって、ホームルームを終えたクラスメイトたちが一斉に昇降口へ向かっていた。……一方の私は、その波から逸れて生物部のある北棟へと足を進めている。
肩を落としながら部室の扉を開ける。施錠されていないのは知っていた。
机にノートと参考書を広げて勉強していたミノが、アンビリバボーなものを見るような目を向けてくる。恐る恐るという具合に話しかけきた。
「ど、どうしたの、アスマ……? もしかして、遺言か何かを言いにきたの?」
「人を自殺志願者みたいに言わないでよ」
らしくないミノにつっこみを入れつつ自分の定位置に座った。
「だって余程の理由がなきゃあんたがテスト勉強期間に部室にくるわけないじゃない」
「そうなんだけどさ」
私はだらりと机に突っ伏す。
「……もしかして、あた──」
「家にいるとお母さんが勉強しろってうるさいから、ぎりぎりまで学校にいることにしたの。まあどうせ三十分しかいられないけどね」
嘆き悲しみながら言った。ミノの方を見ると、なんだか妙なしかめっ面で硬直していた。彼女は小さくため息を吐き、
「……実にアスマって感じの理由で安心したわ」
「褒めてなさそうだよね、それ。……ミノが部室で勉強してるのは知ってたけど、なんで家でやらないの? 一人暮らしなら誰にも邪魔されないでしょ」
「家だと集中できないのよ。誘惑が多いから。その点、この部屋にはあたしの心を揺さぶるものが一切ない。パーフェクトな空間ね」
確かに、観葉植物と淡水魚に勉強を邪魔する力はなさそうだ。
「でもそれだと三十分しか勉強できなくない?」
「それだけで充分なのよ。普段から勉強してるから。むしろあんたは勉強しなくて大丈夫なの?」
私は若干の微睡みを感じながら手をぱたぱたと振った。
「勉強なんてしなくても教科書読んでたら平均点以上は取れるから問題ないよ。私は人の顔と名前以外は、思い出そうと思えばいつでも思い出せるからね。忘れるのも早いけど」
そんな特技があるおかげで私はこれまでまともに勉強をせずに済んでいる。この脳みそで産んでくれた両親に感謝。
「羨ましい脳みそしてるわね……。でも、それで満点にならないわけ?」
顔を引きつらせたミノが疑問を投げかけてきた。
「読むのも面倒な長ったらしい文章問題とか、答えが長くなりそうな問題はパスしてるの」
「本当に、あんたらしいわ」
ミノは呆れたように嘆息すると、改めてノートと参考書に向かい合った。私も私で微睡みに身を任せる。……意識が途切れた。
扉が勢いよく開いた。私は超速で覚醒して立ち上がる。……あ、いつのも癖が出ちゃった。佐渡原先生が部室にやってきたとき即座に帰るため身に着けた術が暴発してしまったのだ。
見れば、佐渡原先生が愕然とした表情で私のことを見ていた。
「明日、爆発すんのか……地球が」
「しませんってば」
私は椅子に座り直す。時計を見るに十分は寝ていたらしい。
佐渡原先生はすぐにどうでもよさそうに私から顔を背け、
「なんでもいいが、早く帰れよお前ら。四時半過ぎまで学校にいることが知られたら、俺が上にどやされかねん」
この徹頭徹尾自分本位で生徒のことを気にしないのが佐渡原先生の持ち味だ。
佐渡原先生は鼻歌を歌いながら淡水魚に餌をやり始める。それを見ながらミノが口を開いた。
「佐渡原。あんた最近やけに機嫌がいいわね。鼻歌歌いながら餌やりするのはいつも通りだけど、メロディが数オクターブ高い」
そんなことに気づく、普通?
佐渡原先生はこちらを振り向くこともせず答える。
「そりゃあそうだろう。テストが近づいて早く帰れるのはお前ら生徒だけじゃなくて、教師もなんだからよ。帰宅時間が早くなるとくれば自然とテンションも上がるってもんだろ」
「なんかアスマみたいね」
「おい桂川。俺だから寛大な心で許してやるけど、それ他の奴に言わないよう気をつけろよ」
「人の名前を悪口の代名詞扱いしないでくれませんか?」
私のつっこみは届いたのか届いていないのか、ミノがペン回しをしながら、
「そんなに早く帰れるわけ?」
「普段は残業残業ガキどもの世話とかったるいことこの上ないが、今はもうテストを作り終えてボーナスタイムだからな。五時半にはもう大半の先生が帰るぞ」
「佐渡原先生ってちゃんと働いてるんですね」
意外に思って呟くと、佐渡原先生がムスッとした形相でこちらを振り向いてきた。
「お前、俺から生物の授業受けてるよな?」
「あー……生物のときは基本寝てるんです。でも佐渡原先生が隙だらけなのが悪いんですよ?」
「なんてクソみたいな教え子だよ」
頭を押さえて吐き捨てる佐渡原先生。そしてそんな彼にミノが冷淡に告げる。
「クソみたいな教師にはお似合いじゃない」
佐渡原先生は反論しなかった。
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