第二章 名無しのラブレター

アスマの幼なじみ

 あたしとアスマの出会いは去年の四月半ばのことだった。地元で問題を起こして実家から勘当されたあたしは、母方の祖母が住むこの町に飛ばされることになった。とりあえず一番近所にある四ツ川高校に入学することにしたのだが、部活強制入部という校則を知って軽く後悔した。

 興味のある部活なんてあるはずもなく、どうしたものかと頭を悩ませた末、面倒くさくなって入部届を提出しなかった。その結果、部員ゼロの生物部へと配属されることになった。

 そして、こんな部に入部するのはあたし一人だけだろうと思って椅子の上でリラックスしていると、いきなり扉が開かれて、女子生徒が一人入ってきたのだ。

 やや高い背丈に長くきめ細かい黒髪を垂らし、一切の感情を伺えない瞳がぱっちりとした二重に納まっている。顔立ちは整っており、美少女と形容して差し支えない容姿のはずなのだが、その認識を持つのに時間がかかった。彼女にオーラと呼べるものがまるでなかったからだ。わざとらしいくらい顔面に『普通の人です』と書かれているような、そのくらい存在の厚みも特殊性も感じられない女子だった。

 これがアスマとのファーストコンタクトである。

 彼女はあたしに一瞬目を止めると、特に気にする素振りも見せずに扉を閉めて、椅子を引っ張り出してきて座った。そのまま、十分を超えるほどの沈黙……。

「いや、あんた誰?」

 もう負けでいいとばかりにあたしは訊いた。アスマはきょとんとしながらこちらを向き、

「新入部員です」

「ええ、そうでしょうね。あたしもよ。名前は桂川美濃」

「あ、同級生なんだ。遊間薫子かおるこでーす」

 やる気があってこの部活に入部したようにはとても思えない気の抜けた声と雰囲気。

「あんた、なんでこの部活に入ったの? そうは見えないけど生き物好きとか?」

「入部届の存在を忘れてたら、なんか生物部に割り振られてたの」

 こいつあたしより馬鹿何じゃないかと思った。一年生には再三説明があったでしょうに、と。結果だけ見ればあたしも同じだけども。

「こっちも似たような理由よ。でも、楽そうだしよかったんじゃないかしら」

「そうだね」

 そしてしばしの沈黙。話題は出そうと思えば出せたけれど、彼女の出方を伺いたかったのだ。あたしは謎の少女に妙な警戒心を抱いていた気がする。

 すると今度はアスマから口を開いた。

「桂川さん。私たちってさ、お互いこの部を辞めなければこれから長い付き合いになるわけじゃん?」

「そうかもしれないわね」

 意外に思った。てっきり、自分から話しかけてくるタイプではないと読んでいたからだ。

「今後の関係のためにミノって、下の名前かつ呼び捨てで呼んでいい?」

 またもや意外、と同時に若干のつまらなさを感じた。変わり者かと思ったのだが、部活仲間と仲良くなりたいという普通の年頃の女子だったらしい。

「別に構わないわよ。でも、あたしはあんたを下の名前で呼んだりしないから」

「うん。そりゃあそうでしょ、普通」

 疑問符を浮かべるアスマ。あたしもその返しに違和感を覚えて首を傾げる。

「あんた今、どういうつもりでこの会話を繰り広げたの?」

「え、『桂川さん』七音、『美濃』二音、二音の方が楽……と思っての会話だけど」

 ぽかんとしてしまうあたしをよそに、アスマはのんきな口調で続ける。

「『遊間』は三音、『薫子』は四音でしかもちょっと言いにくいときた。そりゃあ下の名前で呼ぶわけないでしょ」

 つまり今後、会話の度に桂川さんと呼ぶのが面倒だったので、言いやすい美濃と呼びたかったわけだ。……前言撤回。変わり者どころか、大分頭おかしいわねこいつ。

 しかし、この今まで遭遇したことのなかったタイプの少女を前に、あたしは小学一年生の入学式以来の胸の高鳴りを感じていた。


       ◇◆◇


 あたしの住むアパートから四ツ川高校へは徒歩五分で着く。朝に弱い学生──アスマとか──からしたら垂涎ものの環境であるが、あたしは朝限界まで寝ているという無駄な時間の消費の仕方はしない。毎朝三十分のランニングをした後、シャワーを浴び、朝ご飯を食べてから登校している。身体を動かさなければ運動神経が鈍りそうなのだ。他人から舐められるのは勘弁なので、成績と運動能力は高水準を維持しなくてはならない。

 リビングにあるのはソファとテーブル、殆ど使わないテレビ、それから健康器具と、女子高生らしさの欠片もない部屋だ。一人暮らしをしている女子高生が日本に何人いるのかという話だが。一応、寝室には漫画やら小説やらゲームやら化粧品やらが置いてあるが、それが女子高生らしさを補強するものかどうかは知らない。

 今日は起きた時刻が早かったこともあって、少しばかり時間に余裕があった。ソファにふんぞり返りながら、メモ帳アプリを開く。

 中学三年生から現在に至るまでに集めた学生の醜聞が記録されている。器物損壊、盗難、いじめの証拠、はては殺人事件の詳細まで……。撮影できたものは写真のおまけ付きだ。

 このリストをアスマは醜聞コレクションと呼んでいるけれど、これらは全て彼ら彼女らが青春破綻者かどうか、あたしが選別するために集めているものだ。青春破綻者ではないと判断した者はリストから消している。

 先月の透明人間事件の一件から、当然のように阿久津理香もリスト入りしていた。これまで殺人犯は何回か見ることになったが、あそこまで愚かな奴は初めてかもしれない。

 リストに目を走らせる。青春破綻者……。自分から青春を捨てるようなことをする、あたしのような青春弱者からしたら愚か極まりない存在……。おっと、青春弱者なんてもう使ってない指標を使ってしまった。青春ヒエラルキーに関しては割と黒歴史なので触れないようにしなくては。

 青春破綻者の発生要因を探るのが今のあたしの課題の一つだが、観察の結果二つの説に辿り着いている。

 一つは、偽っていた自分が青春という強烈な環境下に耐えきれずに発露してしまったという説。これは、もともとは青春側にいるべきではない灰色の人間が、青に染まりきれずに破綻してしまうことだ。

 そしてもう一つは青春に侵されてパーソナリティを歪められてしまったという説。これは、青の中にいる人物がより強烈な青を求めるあまり……あるいは、何としてでも青を守りたいがために破綻してしまうこと……。

 傍目では、どちらなのか判然としないことが多い。発生原因はどちらなのか? これはあたしが青春に飛び込むにあたって重要な問題だ。前者ならばあたしが自分を偽るのは危険。後者ならば自分を偽って青に耐え続けることで、青春の中を生き残ることができるかもしれないのだ。

 あ……時間やば。こんな痛々しいこと考えていたせいで遅刻しかけるなんて馬鹿らしすぎるわね。スマホを切ってバッグを手にすると、誰もいない部屋を出た。

 心持ち足早に学校へと向かう。急勾配の坂と階段を上り、車がこないことを確認して歩道橋を使わずに車道を渡った。四ツ高へと続く丘──というか坂──を見上げると、見知った背中……正確には腰付近まで伸びた見知った長い髪があった。

 歩くペースを早めて彼女の横に並んだ。アスマの方があたしよりも十数センチ身長が高いので、傍から見たら凸凹コンビだろう。

「あんた、いつもこんなギリギリの時間に登校してるのね」

 アスマがちらりとこちらを見てきた。

「逆にミノは学校の近所に住んでるのによく限界まで寝てないよね」

「時間の無駄じゃない、そんなの」

「無駄な時間を慈しんでこその人生ですよ」

「アスマの場合、人生の大半を慈しむことになりそうね」

「慈愛の女神って呼んでもいいよ」

 当然呼ぶわけもなく、それっきり会話もなく、あたしたちは校門を通り抜けて昇降口へ入る。遅刻間近な時間だけあってあたしたちの他には誰もいない。

 二人して二年生の下駄箱へ向かう。アスマは下駄箱の列の端で立ち止まり、あたしはその少し先にある自分の学籍番号が書かれたマグネットの貼られた下駄箱を開けた。上履きに履き替えながら、彼女に訊きたかったことがあるのを思い出した。

「そういえばこの間、進路希望調査があったけどあんたはなんて書いたの?」

 四ツ川高校は進学校なので進学以外の選択をする生徒は殆どいないらしい。三人も進学以外を選択した者がいれば多いくらいなんだとか。この人間性がやや欠如したサイコパスに最も近い女なら珍しい答えをしたかもしれない。

 上履きを履いたアスマはすのこにとんとんとつま先を打ちながら、不思議そうな顔で質問に答えた。

「自宅の家政婦、って書いたよ。後で職員室に呼び出されちゃったけど」

 想像を超えているのか下回っているのか……。実にアスマらしい回答な気がする。

「あんた家事とかできないでしょう、絶対」

「人間、最初はできないものですよ。何事もね」

 それはそうかもしれないが、こいつの場合はできないというより、やらないと言った方が適当だろう。


       ◇◆◇


 放課後。普段ならば部室へ直行するところ、あたしは図書室にいた。場所は北棟の三階。基本的に利用者は少なく、静かに使うのが常識の部屋ながらも常に問答無用で静かなエリアにあたる。

 あたしはよく利用しており、本を借りるのに学生証が必須かつ五時半に閉まってしまうこと以外は本も充実していて気に入っている。室内にトイレがあるのもグッド。

 とはいえ、今日は珍しいくらい利用者が多かった。本を読んでいるというよりかは勉強している者が殆どではあるが。

 今は五月下旬。中間テストが六月中旬に行われるため、早くも勉学に精を出しているのだろう。結構真面目な奴が多いのよね、この学校……。それでも殺人事件が何度か起こったのだから、皮肉にもならない。

 あたしはカウンター前のテーブル席に料理雑誌を何冊か持ってきてパラパラと捲っていく。あるページで手を止めた。自作ラーメン、か……。せっかく一人暮らしをしているのだから、実家にいたらまずできないしやらない料理を作りたいと常々思っていたのだ。チャレンジしてみるのも一興かもしれない。

 あたしは他の雑誌を戻すと、その雑誌を持ってカウンターへ向かう。クラスメイトで先ほどあたしと一緒に図書室にやってきた図書委員の蕨野わらびの結華ゆいはに雑誌を差し出す。図書委員は二人体制のはずだが、先ほど片割れが慌てた様子で帰っていったのを見た。

 蕨野と事務的な会話をした後、あたしは図書室をあとにした。


 部室の扉を開けると、アスマが机に突っ伏して溶けている。彼女は溶けたまま視線をこちらに向けてきた。

「あれ、遅かったじゃん」

「図書室いってたのよ」

 へにゃへにゃの声に返答しつつ、いつもの定位置へと座った。

 会話もなしにアスマは眠り始め、あたしはスマホでゲームをプレイする。四月に行っていたウサギの世話は、あたしたちが殺人計画の証人にされかける形で巻き込まれたこともあって、佐渡原から中止させられた。なんでも、ウサギが事件に巻き込まれたらたまったものではないから、らしい。生徒よりウサギを心配するのが佐渡原という教師である。

 そんなわけで、生物部は去年度同様に何もすることなく、ただ佐渡原が部室にくるまで待機する部活に逆戻りした。

 静かに過ごしていると、いきなり扉が開いた。瞬間、アスマががばっと上体を起こす。佐渡原がきたと思ったのだろう。

 あたしも、珍しく早くきたわね、と思って扉の方を見る。しかしそこに立っていたのは知らない男女の生徒たちだった。

「誰?」

 つい顔をしかめて声を漏らしてしまった。一方のアスマはぽかんとした表情で二人を見て、

「あれ、狛人こまひとくんじゃん」

 と呟いた。狛人……? 敬称的に男子の方のことだろう。さっぱりとした短髪で身長こそ平均くらいだがなかなか良い身体つきをしている。顔も男前に感じられた。

 狛人と呼ばれた男子はアスマに軽く手を挙げる。

「よお、薫子。ちょっと頼みがあってきたんだけど、いいか?」

「嫌だけど」

 でしょうね。

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